約束とゆびきり

「千鶴いるか? 土産を持ってきたんだがよ」
 障子越しに左之助が声をかけると、そっと、動く気配。
 警戒でもしているように、恐る恐る近づいてくる人影が、そうっと音もなく障子を開けた。
「原田さん」
 どことなくぎこちない声を出す千鶴に、左之助は痛ましい思いを抱く。
 鬼の襲撃を受け、千鶴が攫われそうになったのは、昨夜のことだ。
 襲撃されるその少し前に、千鶴自身が「鬼」と呼ばれる一族なのだと、千姫と名乗る、やはり同じ「鬼」だという少女から告げられたばかりだった千鶴は、短時間に起こったそれらに、さすがに疲れたようだった。
 千鶴自身はたいして口にしていない朝飯を終え、その片づけも終えると、誰に言われるまでもなく、早々に自室に引き篭もった。
 呼び止める暇さえなかった。
 昨夜の事もある。けれど、だからこそ気晴らしに、巡察ついでに外の空気でも吸いに出ないかと誘うつもりだった左之助は、構われることを拒絶するような千鶴の背中を見送り、千鶴の様子を気にかけつつも巡察に出かけたのだった。
 昼の巡察から何事もなく戻った左之助は、土方への報告を済ませた足で、そのまま千鶴の部屋に直行した。
「お帰りなさいませ」
「おう、無事に帰ったぜ。……気分はどうだ? ちょっとは落ち着いたか?」
 沈んだ表情の千鶴の顔を覗き込む。
「……はい。あの、ご心配をおかけしまして」
「そんなこと、お前が気にすることじゃねぇよ」
 いいながら、昨夜そうしたように千鶴の頭を撫でようと手を伸ばしたところで、千鶴がぎくりと体を強張らせたことに気づく。
 ふと手の動きを止めた左之助は、しかし、千鶴の強張りになど気づかぬふりで、その小さな頭を撫でた。
 はっとしたように千鶴が左之助を見返す。
 なにか言いたげに開きかけた千鶴の唇は、躊躇うように閉ざされた。
 千鶴の眼差しが、困ったように彷徨う。
 きっと、まだ、千鶴の中では混乱したままなのだろうと、左之助は察しをつける。
 それも当然かと、左之助は思う。
 十数年、ずっと、自分は人だと信じてきたのに、いきなり「鬼」だと告げられ、まるでそれを肯定するように、千鶴を目的とした「鬼」の襲撃を受けた。
 受け入れるには時間がかかるだろう。心の整理など、そうすぐにつけられるものではないだろうし、事実を受け入れるにも時間が必要だ。
 黙って千鶴の頭を撫でていた左之助は、手に持ったままだった土産を思い出して、その手を止めた。
「忘れてた」
 呟くように言って、千鶴に土産を差し出す。
「土産だ。ちょっとは気持ちも華やぐんじゃねぇかと思ってな」
 いつも食い物じゃ芸もないしな、と、左之助は笑って、千鶴の手に花を渡した。
 日中の暑さで、少し元気のない花を千鶴が受け取る。
 道端に咲いているような、小さな花だった。
 白い花を見つけたときに、これだったら千鶴の心も和むのではないかと思い、左之助は部下たちの目を盗んで摘んだのだ。
 左之助の渡した花に目を落とした千鶴は、小さな声で何かを言ったようだった。
「千鶴? なんだって?」
 聞き取れなかった言葉をもう一度促すように呼ぶと、千鶴が泣き出しそうな顔で左之助を見つめ、言った。
「気味が悪いとお思いではないんですか?」
「は?」
 突拍子もないその言葉に、左之助はぽかんとした。
 いきなり何を言い出すのかと、左之助は千鶴の顔を凝視した。
「気味が悪いって、なにがだ?」
 千鶴の言いたいことが判らず、不思議そうに問いかけると、千鶴の表情が歪んだ。
 まるで自分を蔑むように口元を歪め、千鶴は言った。
「私は「鬼」です。人間ではありません。……気味が悪いと思われませんか、原田さんは」
 悲痛な声だ。
 千鶴の言葉を聞きながら、左之助はそう思った。
 言い終えて俯いた千鶴の艶やかな黒髪を、左之助は見つめる。
「千鶴、顔を上げろや」
 意識して、柔らかな声を出し、左之助は言った。その声に応えるように、のろのろと千鶴が顔を上げる。
 悲壮な顔をした千鶴の頭にもう一度手を伸ばし、左之助は撫でた。
 千鶴の大きな瞳が見開かれる。
「原田……さん?」
 自分に何が起こっているのか解っていないような、解っていても信じられないような千鶴の表情が少しおかしかった。
「気味が悪いなんて、俺は思っちゃいねぇし、他の連中だってそんなこと思っていねぇよ。「鬼」だろうが「鬼」じゃなかろうが、千鶴は千鶴だろう?」
 それ以外の何者でもない。
 左之助がきっぱりそう言うと、千鶴の顔が泣き出しそうに歪んだ。
「そんなことをずっと考えてたのか? 馬鹿だな。そんなんじゃゆっくり休めてねぇだろう? 夕飯までなにも考えずに寝てたらどうだ?」
 そう言ったものの、左之助は蒸し暑さに眉を潜めた。
「……こう暑くちゃ眠れねぇか」
 ただ立っているだけで、汗が滲む。
 纏わりつくような夏の熱気は不快感を誘うばかりで、疲れた体を休ませるには不向きに思えた。
「京の夏には、慣れそうにねぇな」
 額に滲む汗を拭いながら、左之助は忌々しく呟く。
「そうだ、千鶴。団扇でも持ってきて、仰いでやろうか?」
「えぇっ!?」
「そうすれば少しは休めるだろう?」
「そんなこと、原田さんにさせられませんっ!」
 ぎょっとした顔で叫ぶように言った千鶴に、左之助は「そうか?」と首を傾げつつ、
「まぁ、でも、団扇くらい持ってきてやるよ」
 そう言って、左之助はまた千鶴の頭を撫でる。
「原田さん……」
「ん?」
「ありがとうございます」
 千鶴がそう言って頭を下げた。
 突然頭を下げられて、左之助は面食らう。
「なんだ? 団扇くらいで大げさだな」
 肩を竦めて苦笑を零すと、千鶴の細い首がゆっくりと横に振られた。
「いえ、そうじゃなくて……。あ、その、団扇のこともそうなんですけれど」
 困ったように眉根を寄せた千鶴が、目線を落とす。
 視線を追えば、千鶴の手の中の白い花。
 きっと、その花のことだけじゃないのだろう。千鶴の言った礼の言葉は。
 そう思いながら、しかし左之助は敢えて追求することなく、花を挿すものはあっただろうかと思いを巡らせる。
 むさ苦しい男所帯。しかもここは寺という素っ気無いところだ。きっとなにもないだろう。
 いざとなればどこかで花を挿す筒を買ってくればいい。
 帰り道に買ってくれば、もっと気が利いていたのになと、左之助は自分の失態に苦笑した。
「ついでに、それを挿すものも探して持ってきてやるよ。気の利いたものはねぇと思うが」
「そんな!」
 ふるふると千鶴がまた首を振った。
「本当に、ありがとうございます」
 それから、また、礼の言葉と共に深々と下げられる頭。
「ほら、そんなに何度も頭を下げられちゃ、俺が居た堪れねぇだろう。たいしたことはしてねぇんだから。――顔を上げて、それから、いつもみたいに元気な笑顔を見せてくれたら、十分だ。今日明日は無理でも、明後日にはいつもみたいに笑ってくれるか?」
「――原田さんから頂いたお土産や、お言葉で、十分、元気が出ましたから、もう笑えます」
 強がりでもなく笑って言った千鶴に、左之助も笑った。
「よし。いい笑顔だ。やっぱり千鶴は、そうやって笑っているほうがいいな」
 言いながら、さきほどまで沈んだ表情を浮かべていた頬に手を伸ばした。
 左之助の手の平に、千鶴のすべらかな肌の感触が伝わった。
 慰めるように、左之助はその頬と、それから、涙を滲ませたままの目元に指を滑らせた。
「千鶴、泣くなら、俺がいつでも傍にいてやるから、一人では泣くなよ。気が済むまで泣いて、そのあとにちゃんと笑ってくれるなら、……笑うって約束してくれるなら、いつだって付き合ってやる」
 言いながら、そっと、涙を指先で拭う。
 左之助を見上げる千鶴の瞳が軽く見開かれて、やがてゆっくりと微笑んだ。
「はい。もし泣きたくなったら、その時は、原田さんをお呼びします」
 約束します、と、そう言った千鶴が、差し出した小指に戸惑いながら、左之助は自分の小指を絡めた。

                                    終

今さらですが風間さんの襲撃受けた次の日設定で。
甘い仕上がりを目指したはずなのに(涙)。

タイトルに捻りがなくてすみません。