〜花灯り〜

「ヒノエくんがいないと、寂しいよ……」

 言葉通り、寂しそうに微笑んだ顔。
 記憶に焼きついて、消えない。離れない。
「望美……お前に早く会いたいよ」
 思わず零れたその言葉に、ヒノエは自嘲を込めて笑った。
 本気になるなんて、自分でも思っていなかった。

 烏たちの報告から、『龍神の神子』が源氏方についたと報告を受け、ヒノエははじめて『龍神の神子』に興味を持った。
 それまで、本気で源平の戦にも、龍神の神子にも意識を向けていなかったヒノエだ。
 詳しく聞けば、『龍神の神子』は、黒龍の神子と白龍の神子、ふたりいると言う。
 その二人ともが源氏についているとなれば、今回の源氏と平家の戦の様子、どうなるか判らない。
 嘘か本当か判らないが、龍神様を後見人に持つ神子たちだ。どんな力を持っているのかも判らない。実際、怨霊を封じているのだと噂されている。
 源氏側、平家側ともに、浅からぬ縁を持つヒノエとしては、嫌でも興味を持たざるを得なかった。だからわざわざ京まで足を向け、源氏の――否、龍神の神子の動向を探っていた。
 その傍らで、源氏と平家の情報を集め、情勢を探ってもいた。
 平家側の放つ怨霊を、鎮めて、封印する神子たち。
 物静かな風情の尼僧と、明るく屈託ない同じ年頃の少女。最初はどちらがどちらなのか判断がつかなかったが、身内のひとりが調べていた龍神の神子の伝承の内容を思い出し、明るく笑う少女が白龍の神子だと判断した。
 よくよく観察してみると、なるほど、尼僧が怨霊を鎮め、少女が鎮まった怨霊を封印していて、ヒノエの下した判断が正しかったことを示している。
 熊野別当として、源氏につくか、平家につくか、それともどちらにも与せず中立の立場を貫き通すのか。その判断を下さなければならない日は近い。そんな中で、ヒノエは彼女と、ヒノエの思惑と異なった出会い方をした。
 六波羅での出会いは、正直、予定外だった。
 ヒノエとして白龍の神子と邂逅することなど、思い描いた筋書きにはなかった。まして、自分が白龍の神子を守る『八葉』だなんて、想像もしていなかったし、望美に心惹かれて、本気で惚れるなんてこと、冗談でも考えなかった。
 口説いていたのだって、最初は、いつもと変わらない軽口――遊びの延長だったのだ。
 それなのに……。
 人生、なにがきっかけで変わるのか判らない。
 快走している船縁から、ヒノエは夜空を映した海を眺めていた。
 黒色の波間に揺られる、いびつな形の金色。
 満月だ。
 ヒノエは空を見上げた。
 煌々と輝く望月を見つめていると、どうしても望美を思い出す。
 思い出してしまうのは、朔の言葉を聞いたせいだ。
「望月の名を持つ、対」と朔が望美に言った言葉。
 白龍の神子と黒龍の神子は、名前までが対になっているのねと、朔はどことなく嬉しそうに笑っていた。
 その言葉を聞いて以来、満月を見るたびに望美を重ねて見る。
 いま、本当に会いたいと、素直に思う。ヒノエだけの花。
 異世界からこの世界に来た奇蹟の花に、焦がれて、焦がれて仕方がない。
 思えばこんなに長く離れていたのは、出会ってからは初めてだ。
 どうして「一緒に行く」と彼女が言い出したとき、頷かなかったのだろうと、何度も後悔した。
 いまも、少し、後悔を感じている。
 会いたい、会いたい、会いたい。
 一秒でも早く。いますぐに。
「望美……」
 明日には会える。それは解っているけれど、ヒノエの心はどうしても急いた。
 ヒノエに、白龍のように時空を越える力があれば、いますぐに望美の許まで戻るのに。
「慰めるって言ったけど、俺が慰めてもらう立場かもしれないね」
 儚くて、強い。
 優しくて、強い。
 脆くて、強くて、鮮やかなヒノエの想い人。
 あの細い肢体を、早く抱きしめたい。
 望美の腕に、抱きしめられたい。
 そして、安心したい。
 抱きしめあえる距離にいること。
 ヒノエの言葉に、笑ってくれる距離にいること。
 望美は自分たちの世界に帰るつもりでいるようだけれど、ヒノエは思う。
 絶対に逃がさない。手放さない。帰す気なんて、さらさらない。
 望美が言ったのだ。「ヒノエくんに会いに来たんだよ」と。だからヒノエはためらいなく望美を、その心ごと掴まえた。
 ヒノエは満月を見上げながら、ゆっくりと瞳を閉じた。
 温度は感じられない。けれど、柔らかな月の光が、そっと降りそそぐようにヒノエの上に落ちているのが分かる。
 月明かりを全身に浴びながら、望美に抱かれているようだと思った。
 花が灯してくれる、優しい光。
 ヒノエを包んで、守ってくれる優しい光。
 望美がくれた、一条の光。
 辛いことがあっても、後悔だけはしないで進んで行けると確信できる。
 あの、強い花がヒノエの傍で咲き続ける限り。
「望美、好きだよ」
 今はまだ届かないこの言葉を、明日は、何度も彼女に聞かせようと心に決めながら、ヒノエはもう一度天の月を見上げた。

                                   END