無色

 鳴動する大地の音は、耳に入らなかった。
 ただ、ただ、悲しくて、怖くて。
 青白い光の中にいる人しか、見えていなかった。考えていなかった。
 その瞬間に求めていたのは、世界を救うことじゃない。
 封印のことなんかじゃなかった。
 たったひとりの大切な人に、生きていて欲しかった。
 一緒にいたい。
 ただ、それだけだった。
 そのために、頑張ってこられた。
 なのに……それなのに、悲しいくらいに潔く、遠ざかって行こうとする。
 ひとりで、ぜんぶ背負って消えて逝こうとしている。
 そんなの。
 そんな自分勝手なこと、認められるわけないよ、真弘先輩。
 わたしが死んだら残された先輩はどうなるんだって、先輩、そうわたしに言ったことあったよね。
 ――ねぇ、じゃあ、先輩がいなくなったあとのわたしは。真弘先輩において逝かれて、ひとり残されたわたしはどうなるの?
 簡単に、ひとりで逝かないで。
 逝ってしまおうとしないで。
 笑って。そんな簡単に、すべてを、わたしを切り捨てて逝かないで。
 ひとりにしないでよ!
 悲しみと怒りが綯い交ぜになった気持ちのまま、わたしは力の入らない足を叱咤して、真弘先輩の下へと駆け出す。
 とても白くて、けれどどこか禍々しさを滲ませた光の中で、真弘先輩の唇が動かされた。
「じゃあな、珠紀」
 別離の言葉だった。
 永遠の別れを告げる言葉なんて。そんなの、絶対、認めないんだから! 受け入れられるわけ、ないんだから!
 いつだったか蔵の中で先輩を怒鳴りつけたことがあった。
 そのときと同じような気持ちで先輩に向かって怒鳴り、叫びながら、わたしは白い光の中へ飛び込んだ。
 わたしが光の中へ飛び込むと同時に、信じられないものを見たように、真弘先輩の瞳が大きく見開かれる。
 呆然とわたしを見つめる真弘先輩は、驚きすぎて、すぐには何も言えないようだった。
 その隙を突くように、わたしは真弘先輩の傍に寄った。
 わたしを見つめている真弘先輩の表情から驚きが去って、焦りから生まれた怒声が、わたしに向けられた。
「お前……何で!? 早く出ろ! 出られなく……逃げられなくなるぞ!!」
 真弘先輩の言葉を拒絶する。
 いや。絶対に、もう離れない。そう決めたのは、わたしだ。
 ずっと、ずっと、ひとりで「死」と向き合ってきた先輩を、もうひとりにしないって決めたもの。
 そして、わたしも、ひとりにならないって、決めたから。
 一緒にいようねって、ねぇ、約束したじゃない。
 怒鳴って、宥めて、なんとかわたしをこの光の中から追い出そうとする真弘先輩の言葉を拒絶しているうちに、周りの光の質が変化したことに気がついた。
 同時に、じわじわと体から力が抜け出して、重くなりはじめる。
「……はじまっちまった……。もう、逃げられないぞ?」
 絶望と諦観の混じった、それでも、どこか苦笑を滲ませた真弘先輩の言葉に、わたしは微笑した。
 もとから逃げるつもりなんてなかったから、平気。
 死ぬことより、なにより。お互いが「ひとり」になるほうが嫌だよ。
 だって、「ふたり」になるために、わたしと真弘先輩は出会ったんだから。
 最後がどんな結末を迎えても。
 他の誰かにどう思われようと、ただの自己満足でも、それでも、一緒にいたいと思った。
 この瞬間、大事なのはわたしの命じゃなかった。
 真弘先輩の命でもなかった。
 封印を――鬼斬丸を封印することでもなかった。
 とても利己的な感情しか、なかった。
 ただ、真弘先輩と一緒にいたい。真弘先輩を一人で逝かせない。
 ねぇ、真弘先輩。もう、先輩に寂しい思いをさせたくないよ。
 わたしも、先輩がいない「ひとり」の世界は、怖いよ。嫌だよ。
「……ひとりは、寂しいよ……」
 ぽつりと落とした呟きに、真弘先輩がはっとしたように目を見開いた。
 それから、少し照れくさそうな、けれどどこか穏やかな表情を浮かべて。
「そうだな。……白状するよ。お前が来てくれて、少し……嬉しかった」
 真弘先輩のその言葉に、ほっと安心した。
 一緒にいようって。一緒にいたいって、真弘先輩もそう思ってくれているんだってわかって、嬉しくなった。
 嬉しくて、嬉しくて。嬉しいから、僅かに離れている距離が、とても悲しいって思えた。
 触れたい。先輩を抱きしめたい。
 先輩に、抱きしめられたい。
 そう思って、重くなりつつある体を、足を、動かした。
 思うように動かない自分の体がもどかしい。
「真弘……先輩」
 声になっているのかどうかもわからない声で、愛しい人の名を呼んだ。
 すると、わたしの意図に気づいてくれた真弘先輩が、動きの悪くなった体をわたしのほうへと動かそうとしてくれる。
 けれど、封印の光に力も命も吸い出されているせいで、やっぱり先輩の体も思うように動かないようだった。
 無理だってわかって。だから余計に触れたくて。抱きしめたくて。
 こんなときでも欲張りな気持ちって、消えないものなんだなって、ちょっと可笑しくなった。
 力の入らない腕を、指先を、先輩に向けて伸ばした。
 先輩の手も、わたしを求めるように伸ばされる。
 触れそうで、触れない指先に泣きたくなった。
 空を掴むばかりの指先に、唇を噛みしめる。
 もう時間がないのに。
 ふっと、途切れそうになる意識。
 きっと、もうこれが最後かもしれない。そんなことを考え、焦りながら、もう一度指先を伸ばした。
 ふと、指先に感じた温もり。
 先輩の手の温かさだと気づいたときには、男の人にしては綺麗な手に、包まれるように握られた手。
 それから、思っていたよりも強い力で、引き寄せられて。温かな腕の中に抱きしめられていた。
 先輩の温かさに安心を感じると同時に、ゆっくりと、意識が落ちて行く……。
 疲れきって、眠りに落ちて行く感覚に似ていた。
 もう瞼を開く力も残っていないわたしの耳に、
「好きだ。珠紀」
 真弘先輩の声が聞こえて……。
「わたしも真弘先輩が大好きです」
 ねぇ、真弘先輩にわたしの返事は届いたのかな? ちゃんと、届いたよね。
 だって応えるように抱きしめてくれる力が、さっきよりも強くなった気がしたよ。
 気がしたんだけど、それを確かめる前にわたしの意識は深い、深い場所へと落ちていった……。

                                END


真弘先輩悲恋ED 珠紀ちゃんの心情SS
わたしの中での公式カプ(笑)。
だって、悲恋でも一緒にいられたのって、真弘先輩だけ……。