目線 「あれ?」 違和感に首を傾げながら、珠紀は思わず呟いた。 珠紀の呟きに一歩前を歩いていた真弘が気づいて立ち止まり、「なんだ?」と怪訝そうに振り返った。 「珠紀?」 黙ったままじっと真弘を見つめる珠紀に、真弘が眉根を寄せる。 「おい、珠紀? なにを変な顔して――ああ、いや、悪い。悪かったよ。変な顔は元からだったな……って、ぉい、いきなり殴るな! 痛いだろうがっ!! いいかげんその暴力的なところを直せ。立ち居振る舞いだけは完璧な美鶴を見習え、美鶴を!」 「うるさいです、真弘先輩。先輩こそ、その一言も二言も余計なことを言う口の悪さを、直してください。言っていいことと悪いことの分別をつけている慎司くんや、卓さんを見習って」 そう言い返しながら、珠紀はにっこりと笑った。 いつも、いつも、二言目には美鶴の名前を出して比べるのは、いいかげん、やめてくれないかな、と思う。 時々、本気で、真弘は実は美鶴のことを好きなんじゃないかと思ってしまう。 そんなことを思わせる真弘に腹が立って、珠紀は、珠紀に対していつも穏やかな口調で接してくれる守護者ふたりを、引き合いに出してみた。 不機嫌そうに真弘が唇を引き結ぶ。 珠紀の家へと続くいつもの帰り道。 その道を塞ぐように立ち止まり、ふたりで睨みあうこと数十秒。 真弘と睨みあいながらやっぱり違和感を覚えて、珠紀はもう一度首を傾げた。 珠紀の仕草に気づいた真弘が、不審そうな顔をした。 「なんだよ、お前は。さっきから」 不機嫌そうな声音で問いかける真弘を、珠紀はじっと見つめる。 違和感の正体を探すように真弘の全身に視線を走らせて、珠紀はさらに首を傾げた。 真弘を見つめても、なんの変化が見つけられない。 なのに、感じる違和感。 「んんー? あれぇ? 絶対、なにか……真弘先輩のなにかがおかしい……んだけどなぁ?」 なんだろう? 「誰の、なにが「おかしい」って?」 真弘の声が聞こえてはっとなった珠紀の目の前に、いつの間にか半歩距離を詰めていた真弘が、にーっこりと満面の笑みを浮かべて立っていた。 いっそ爽やかだといえる真弘の笑顔に、珠紀の顔に乾いた笑みが広がる。 「珠紀、この真弘先輩様のなにがおかしいって? 怒らないから言ってみな?」 そう言った真弘の笑顔が、さらに爽やかさを増して深くなった。 けれど、真弘の瞳は全然笑っていなくて、おまけに額には青筋が浮かんでいて。 怒らないなんて、そんなの絶対に嘘だ。 珠紀は瞬間的にそう思った。 そして心の中の疑問をうっかり、……ついうっかり声に出してしまった自分の迂闊さに泣きたい気持ちになりながら、珠紀は視線を明後日の方向に向けた。 とりあえず、しらばっくれることにしよう! そう心に決めて、 「どうしたんですか、真弘先輩? 幻聴でも聞こえたんですか? ああ、ほら、もう陽が落ちちゃいますよ。早く帰らないと美鶴ちゃんに心配かけちゃう」 きっとこんなことで誤魔化されてはくれないだろうと思いつつ珠紀が言うと、じっとりと睨みつけられる気配。 顔に注がれる視線に、嫌な汗が滲み出す。 やっぱり珠紀の問題発言を、真弘は聞き流すつもりなどないようだった。 真弘の視線に気づかないふりで、珠紀は言った。 「さ、先輩、帰りましょう!」 言いながらさっさと歩き出し、珠紀は真弘の傍らを通り過ぎようとした。が、そのとき、その行動を阻止するように、真弘が歩き出した珠紀の腕を掴んだ。 真弘に腕を掴まれた珠紀は、ぎくりと体を強張らせ、足を止める。 ぎぎぎ、と音がしそうな首の動きで、珠紀は真弘へと視線を戻す。 満面の笑みを浮かべたままの真広の視線と、引き攣った表情の珠紀の視線が合った。 その瞬間、 「あ!」 珠紀は声を上げた。 突然叫ぶように声を上げた珠紀を、真弘が煩そうに見つめている。が、珠紀にはそんなこと気にならなかった。 違和感の正体がわかったからだ。 「真弘先輩!」 「な、んだよ?」 珠紀の呼びかけに、真弘が僅かに身を引きながら答える。 真弘が身を引いた分だけ、珠紀は真弘に身を寄せた。 ぎょっとした様子でまた距離を取ろうとする真弘にかまわずに、珠紀は「真弘先輩」と呼びかけた。 「だから、なんだって訊いてるだろうが!!」 苛々した様子で叫ぶ真弘に、 「先輩、もしかしなくても、身長、伸びました?」 「はぁ!?」 珠紀の問いかけに真弘が素っ頓狂な声を上げる。 それにかまわず珠紀は言った。 「だって、先輩とわたしの目線、同じ高さだよ。前はわたしがちょっとだけ先輩を見下ろしていたはずなのに」 言った途端に、真弘のこめかみがぴくりと引き攣った。 その様子に気づいて、珠紀はしまったと顔を顰めるけれど、言った言葉を消すことはできない。 ああ、また怒鳴られるなぁ、と、自分の迂闊さを内心で嘆いていると、珠紀の耳に届いたのは、盛大な溜息だった。 「……お前も十分、口の悪い……」 苦々しさを隠しもしない口調で呟いて、真弘がまた溜息をついた。 それから、ふいっと珠紀から視線を外す。 「……あれ以降、ちょっと……な」 ぽつりと零された一言に、珠紀は真弘の横顔を見つめた。 珠紀の視線を感じたのか、真弘が横目に珠紀を見つめて、自嘲の笑みを口元に浮かべる。 珠紀の視線から逃れるように、また、真弘の視線が外された。 そして自嘲の篭ったままの口調で、真弘が言った。 「どうやら俺は、俺自身で成長を止めていたみたいだぞ。生きて良いって……生きるって決めたあの後から、伸び出した」 喜ぶに喜べない。そんな複雑な表情で黙った真弘に、珠紀は「そうですか」と囁くように言って、頷いた。 まだ、時々、真弘は「現在」に戸惑うことがあるようだった。 本当なら真弘の中では存在しなかったはずの、時間に。 「今」生きていることに戸惑う真弘を寂しく思いながら、珠紀は、その寂しさを吹き飛ばすように明るい声を出した。 「あ〜あ、先輩に身長追い抜かされちゃうなぁ。来年の今頃は、先輩のこと見上げてるのかな?」 珠紀の言葉に真弘が微笑した。 大人びた眼差しに、不意打ちは卑怯だと珠紀は思う。 速さを増した鼓動をなんとか静めようと珠紀が努力していると、真弘の翠色の瞳が、一瞬、瞼に隠される。 すぐに開かれた真弘の瞳には、子供っぽい輝きが宿っていた。 意地悪そうに瞳を輝かせて、 「あったりまえだ。来年といわず、数ヵ月後には見下ろしてやるよ」 ありがたく思えとでも言いたげな口調に、珠紀は呆れたように息をついた。 「楽しみにしています」 「おう、楽しみにしていろ」 感情の篭らない珠紀の言葉に、けれど真弘は気づきもしないで、にやりと、いつものように不遜な笑みを浮かべていた。 真弘のそんな顔を見つめながら、珠紀は意地悪な気持ちで思う。 このまま成長が止まることもあるんだって、先輩、気づいていないのかな。 ああ、でも、そんなことを言って、背の高くなった自分を夢見ている先輩の妄想に水を注すのも悪いよね。 珠紀がそんなことを思っていると、 「珠紀」 不意に、真剣な声で真弘に名前を呼ばれた。 珠紀は意地悪なことを考えるのをやめて、真弘を見る。 「来年も、その先も、ずっと、お前の隣で、俺がお前を見下ろしてやるよ」 居丈高な口調で告げられた言葉に、珠紀は笑う。 「約束ですよ?」 本当に身長が追い抜かされてしまうかどうかはともかく、と思いつつ、珠紀は真弘のくれた未来の約束の言葉に嬉しそうに笑って、唇に落ちて来た温もりを受け止めた。 END |
幸せED後のふたりの、ある日。
きっと真弘先輩が「生きる」ことを決めた瞬間から、彼の時間は正常に動きだした、と。
そんな希望いっぱいの解釈。
でも、珠紀より背が高くなっても、守護者の中ではいちばん小さいままでいそうだな、先輩(笑)。