Rain day

「……いきなり雨が降るなんて、ついてないなぁ」
 黒に近い灰色の雲に覆われた空を見上げ、そこから次々と落ちてくる雨雫を、珠紀は睨みつけるように見つめた。
 さて、どうしよう。
 珠紀は傘を持っていない。
 そして今日に限って、珠紀は一人だったりするのだ。
 学校の生徒用の玄関に佇みながら、珠紀はそっと溜息をつく。
 雲の厚さから、通り雨ではないだろう。
 時間が過ぎれば小降りになるような雨でないことも、判る。
 玉依姫の力が増せば増すほどに、そんなことも判るようになった。が、雲の流れ、風の吹きかたなどで、あらかじめその日一日の天気を予測できなければ、役に立たない。意味のない力だ。
 今どきテレビもなければ、携帯電話も持っていない家なのだから、それくらいできなければ普段の生活に困る。
 ……そう、困るのだ。
「うう、もう少し修行しなきゃダメだなぁ」
 ロゴスとの戦いを経て、鬼斬丸を破壊することを決めた際に、荒業的に玉依姫の力を使うことはできたけれど。もともと基礎的なことを、ちゃんとした形で教えてもらったわけではない。
 先代玉依姫である祖母と、その世話役兼補佐役としてついていた美鶴に、改めて、玉依姫としての役割や力の使い方、結界の張り方などを教えてもらっている真っ最中。
 自己採点では、わりと良い点数をつけられるようになったと思っていたけれど、自己採点は自己採点でしかなかったようだ。
 まだまだ自分は、「もっとがんばりましょう」の判子しかもらえない位置にいるらしい事実を、たった今認識した。
「正式に玉依姫を襲名したんだけどなぁ」
 呟いてみても現実は変わらない。
 いつだったか、使い魔であるオサキ狐のほうが天候を解っている、と、俺様守護者である真弘に指摘を受けたことがある。
 そういうことを言うときは、いつも小馬鹿にした顔をする真弘が、そのときに限って神妙な顔つきだったせいか、変に焦ったというか、危機感を持ったのだけれども、それでも言った相手が真弘だったから、大して重く受け止めていなかった。
 だけど。
「もう少し集中力が必要だよね……」
 そして、やっぱり要修行。
 ついついおーちゃんに構ってしまったり、アリアに構ってしまったり、……真弘との会話に夢中になってしまったりとなりがちな自分を、反省する。
 反省しながら空を見つめていると、
「おい、大口開けて間抜けな顔を晒してる玉依姫なんざ、みっともねぇぞ」
 呆れた口調を隠しもしない言葉が聞こえた。
 ああ、もう、相変わらず口の悪い人だなと思いながら、珠紀は声のした方へと顔を向けた。
 そして、
「真弘先輩」
 声の主の名を呼ぶ。
「ほら、傘つきで迎えに来てやったぞ」
 にやりと笑った真弘がそう言って、珠紀のものじゃない傘を掲げて見せた。
「それ、真弘先輩の家の……? え、でもどうして?」
 真弘はどうやって、珠紀が傘を持っていないことを知ったのだろう?
 真弘が宇賀谷の家に立ち寄ったのなら、わかる。でもそうなら、美鶴が真弘に珠紀の傘を渡すはずだ。けれど、真弘の手に握られている傘は、どう考えても真弘の母親のもの。真弘の家の玄関先置かれた傘立てに、立てかけられていたのを見たことがある。だったら、真弘が宇賀谷の家に立ち寄ったとは考えられない。
「そんな不思議そうな顔をするほどのことかよ。まったく。お前の使い魔が知らせてくれたに決まってるじゃねぇか。なぁ、クリスタルガイ」
 真弘の足元から、するりと珠紀の足元に移動したオサキ狐が、「ニー」と鳴く。
 珠紀に褒めて欲しいとでも言いたげな、誇らしげなその鳴き方に、珠紀はにこりと微笑んだ。
 すっと膝を折ってしゃがみこみ、小さな頭を撫でると、「ニー」と満足そうに一鳴き。
「ありがとうね、おーちゃん」
 そう声をかけると、オサキ狐はもう一鳴きして、珠紀の影にするりと身を隠した。
 オサキ狐が姿を隠してしまうのをじっと見ていた珠紀は、
「ほら」
 と、ぶっきらぼうに差し出された傘と真弘を、交互に見つめた。
 ゆっくりと立ち上がり、差し出された傘を受け取る。
「ありがとうございます、真弘先輩」
「おう。恩に着ろよ」
 真弘らしい言葉に軽く肩を竦めて、珠紀は傘を開いた。
 開いた傘に雨粒のあたる音が響く。
 ぬかるんだ土の上に足を踏み出して、ふと、珠紀は動きを止めた。
 それから珠紀が横に並ぶのを待っているらしい真弘を、見つめる。
「どうしたよ?」
 歩き出さない珠紀を、真弘が不思議そうに見返してくるのに視線を合わせ、珠紀は首を傾げながら疑問を唇に乗せた。
「ねぇ、真弘先輩。普通……本当にそうなのかどうかは知りませんけど、恋人ならこうとき、相合傘で帰るんじゃないんですか?」
「…………相合傘で帰りたいのかよ」
 微かに眉を顰めた真弘に問い返されて、珠紀は瞬きを二回繰り返した。それからまた首を傾げて、考え込む。
 どうしたいだろう、自分は。
 相合傘で、真弘と肩を並べて帰りたいだろうか。
「うーん、ちょっとは憧れますけど、特には……」
「そう言うと思ったから、わざわざ傘を用意してきてやったんだよ。ほら、行くぞ」
 珠紀の言葉に大きく頷いて、真弘が歩き出す。
 珠紀はその背中を追いかけるように、ぬかるんだ道を歩きだした。
 地面からの跳ね返る雨水が、靴を汚す。
 また雨足が強くなってきた。
 風も少し吹き始めてきたようだ。
 急ぎ足で真弘と肩を並べた珠紀は、天気の変化に気づいて、
「あ……」 
 小さく声を上げた。
「なんだ?」
 珠紀の囁きに近い声に反応した真弘が、問いかけてくる。が、それになんでもないと首を振り、真弘が前に向き直ったのを見届けて、珠紀は微笑を浮かべた。
 変なところで細やかな気遣いを見せてくれる人だ。
 本当に優しいな、と、珠紀は真弘の横顔をこっそり見つめながら思う。
 もし真弘が傘を一本だけしか持たずに迎えに来ていたら。
 男性用の大き目の傘といっても、人間ふたり分の体を雨から守るには少し足りない。さっき珠紀が問いかけたように、相合傘で帰っていたとしたら、今頃お互いの半身ずつが、ずぶ濡れになっていたことだろう。
 真弘は珠紀の言葉を読んだということだけでなく、天候の変化も読んでいた。
 だから、珠紀が濡れないように傘をもう一本用意してきてくれたのだ。
 さすがは風を操ることのできる守護者だ。
「やっぱり格好いいな、真弘先輩」
 小さく、小さく。今度は真弘にも届かないだろうくらいの小さな声で珠紀がそっと呟くと、
「珠紀」
 少しだけぶっきらぼうに名前を呼ばれた。
 もしかして、今のひとり言も聞こえてしまったのだろうか。
 聞こえないように言ったつもりだったのに。
 もし聞こえていたというのなら、それはちょっと恥ずかしいというか、照れくさいなと思いながら、
「なんですか、真弘先輩」
 と答えると、真弘は珠紀を見ないまま言った。
「もっと小降りで、濡れない程度の雨のときなら、してやってもいいぞ。あー、……さっきお前が言ってたやつ」
「相合傘、ですか?」
「おう、それ」
 横目で伺った真弘の頬が、照れで赤く染まっている。
 それをくすぐったいような気持ちで数瞬見つめ、珠紀は微笑んだ。
「はい。じゃあ、次のときに。約束ですよ? 忘れないで下さいね」
「おう」
 やっぱり照れてぶっきらぼうなままの真弘の口調に、それでも珠紀は幸せな気持ちで微笑み、これから先天候がちゃんと読めるようになっても、雨が小降り程度のときは、傘は持たずに出かけるのもいいかもしれないと、そんなことをこっそりと思った。

                                 END

祐一先輩のイベントスチルを真似て、真珠で書こうとして玉砕。
相合傘もしておりません(笑)。
珠紀と相合傘で帰りたいけれど、それで珠紀も自分も濡れちゃうのは、
真弘先輩的に不本意だということですね。