あなたへのHappy Birthday

 照りつける陽射しにうんざりとしつつ、歩き慣れた道を歩く。
 影のない畦道から、木々の茂った森の中に足を踏み入れ、幾分涼しい空気に、拓磨はそっと息をついた。
 額やこめかみから流れる汗を拭い、山に続く道へと足を向ける。
 深い呼吸を繰り返すたびに、清涼な空気が肺を満たす。
 時折吹き抜ける風が、ささくれ立ちそうになる拓磨の気持ちを和らげてくれた――けれども。
「暑いもんは暑いし、面倒なところへわざわざ出かけて行った先輩に、文句のひとつも言いたくなる」
 結局、文句を言ってしまった。
 なにもこんな日に、と、拓磨は内心で毒づく。
 毎年――いつからだったか覚えていないけれど、真弘は自分の誕生日になると、姿を消す。
 村の中から自分の姿を隠すように、朝早くから日が落ちるまで、どことも知れない場所に隠れてしまうのだ。
 そしてどこかに隠れた真弘を、拓磨は文句を言いつつ、毎年探して歩く。
 幸運なことに、真弘が隠れている場所を、拓磨はいつだってすぐに探し当ててしまうので、たいした労力を必要とするわけでもなければ、一日中探し回るという苦労をするわけでもないけれど、立秋が過ぎてもまだ、真夏の暑さが和らぐわけでもない日中を、黙々とひとり歩かされる身にもなってくれ、と、拓磨は言いたい。
 真弘が隠れている場所が、常に心地よい風を運んでくれる山の中、それも一番いい風の通り抜ける場所である、ということが、救いといえば救いだろう。
 さすがは風を操る守護者だと、心の中だけで賞賛を送る。
 それでも毎年、隠れる場所は変わってしまうので、さて、今年はどこに隠れているんだろうと考えさせられてしまうところは、ある意味楽しみではあるけれど、迎えに行く身としてはいただけないというのが本音といえば、本音か。
「そろそろ、だと思うんだけどな」
 だらだらと流れ落ちる汗に顔を顰めつつ、拓磨は山の中を進む。
 大して高くもない、けれど、急な斜面はこの季封村を囲んでいる、どこの山よりも立派だと言い切れる山の頂は、もうすぐだ。
 真弘はきっとこの山の頂の、一番枝振りのいい木の上か、根元にいるだろう。
 かなりの確信をこめて、拓磨は頂上を目指した。
 そこここから、小さなカミが拓磨の様子を窺っている。
 ときおりくすくすと笑っている気配がするのは、先に頂上へと向かった先輩の入れ知恵か、情報提供によるものだろうか。
 いったいなにを吹き込んだのやら。
 そう考えて、拓磨は思わず苦笑を浮かべた。
 それが意味するところは、つまり、今年も違えることなく、拓磨は真弘の元に辿り着いている、ということだ。
「いったいあの人は、どんな悪口を言ったんだか……」
 文句を言ったところで、視界が開けた。
 ああ、頂上だと思ったと同時に、
「よー、拓磨!」
 能天気な、そしてどこか面白がっている声がかけられた。
 声の方向に目を向けると、予想通り、真弘が大木の幹に寄りかかって、にやにやと拓磨を見つめていた。
「真弘先輩……」
「今年もご苦労様だなぁ」
「そう思うんなら、捜すほうの身になって、せめて村の中で大人しくしていてくれませんかね」
「俺がどこにいようと、俺の勝手だろ。ついでに言うなら、俺様を探しに来るのも、お前の勝手じゃねぇか。放っときゃいいだろ、祐一みたいに」
 そう言った真弘が、困ったように眉根を寄せる。
 拓磨の頑固さに呆れているようにも、どこかくすぐったく感じているようにも見えるその仕草は、どきりとするほど大人びて見えた。
「そーなんスけどね」
 時折真弘が見せる大人びた表情に心を揺さぶられながら、拓磨は真弘から心持ち視線を逸らしながら呟く。
 放っておけないから、ついつい捜しに来てしまうのだと、解っているくせに、真弘は拓磨に「放っておけ」という。
 放って置かれること、ひとりになることを、誰よりも嫌がっているくせに。
 まったく、どんなときでも傍若無人で我儘な人だ。
 拓磨はそっと息をついて、真弘の傍に歩み寄った。
 前に立って見下ろすと、真弘が不機嫌そうな顔をする。
 背が低いことを常に気にしている真弘は、見下ろされることを嫌っている。
 それは知っているけれど、どうしたって見下ろすしかない状況というものがあるのだと、いいかげん、納得してくれないだろうか。
 そんなに見下ろされるのが嫌なら、木に登っておいてくれれば良かったのに。そう毒づきたくなる。
「拓磨」
 名前を呼ばれて、それだけで、見下ろすなと言われているのだと理解する。けれど、ここで素直にしゃがんで目線を合わせたら、それはそれで真弘の逆鱗に触れるのだ。
「俺は小さい子供じゃねぇぞ!」
 と。
 どちらにしても真弘の怒りをかうのだからと、拓磨は真弘の呼びかけを無視した。
 無視して呼びかける。
「真弘先輩」
「なんだよ」
 拓磨が真弘の命令を無視したことに、真弘の機嫌は悪くなったようだった。
 返される声に混じる不機嫌さに、大人げない人だと思いつつ、拓磨は真弘の不機嫌に気づかない振りをして言った。
「祐一先輩のほうが良かったっすか?」
「あ?」
「だから、迎えに来るの、俺じゃなくて祐一先輩のほうが良かったんすか?」
 なんなら呼んできますけど、と、うっかり自己嫌悪に陥りそうな台詞を口にしかけて、拓磨は慌てて言葉を飲み込んだ。
 拓磨の視線の先で、真弘がぽかんと口を開いている。
 言われた意味が解らないと言っている表情が、やがて、むっと不機嫌なそれに変わった。
「なんだ、それ?」
「いや、だって、毎年必ず祐一先輩の名前出すから、本当は俺じゃなくて、祐一先輩に見つけて欲しいのかなって思ったんすけど」
 答えながら、拓磨は溜息を零した。
 一年という年齢差は、本当に、やっかいだ。
 それも自分が年上ならまだしも、年下なぶん、どうしたって拓磨の知らない祐一と真弘の間にだけ存在する時間や絆というものに、嫉妬と焦りを感じてしまう。
 たった一年。されど一年。
 年齢差だけは、どんなに努力したって、頑張ったって、どうすることもできない。
 その現実が拓磨を不安にさせる。
 手が届かないんじゃないかとか、やっぱりどうしたって割り込めやしないとか、考えても仕方のないことを、自分でも情けないとは思うけれど、延々と考えてしまう。
 こんなことを考えていると真弘に知られたら、大笑いされて、ずっと笑いの種にされそうだ。
 拓磨がそんなことを考えていると、思いのほか真剣な真弘の声に呼ばれた。
「拓磨」
「なんすか?」
「俺を毎年見つけるのは、誰だ?」
「俺っすね」
「そうだ。祐一じゃねぇんだよ」
「はぁ」
 怒ったようにそういった真弘の言葉に、拓磨は曖昧に頷いた。
 拓磨の曖昧な返事に真弘の目が剣呑に細められ、さらに機嫌を悪くさせてしまったらしいと覚り、拓磨は困惑しながらも、真弘を見つめていた。
 真弘を怒らせたことは解っても、なぜ怒らせたのかその理由が解らない。ついでに言えば、真弘がなにを言いたいのかも、さっぱりだ。
 困惑したまま真弘を見つめ続けていると、「はぁ〜」と、疲れきった溜息を真弘が零した。
 情けなさそうに眉根を寄せて拓磨を見、もう一度、深く、深く、ふかぁ〜く溜息をつかれる。
「なんすか」
 真弘の態度に、さすがに拓磨もむっとなる。
 不満いっぱいの声で問いかけると、真弘の表情が苦笑の表情にかわった。
 それは拓磨の態度を見守るような。まるで――大蛇卓が真弘を見守るように見つめ、接しているときの仕草に似ていて。
 ああ、また大人びた表情をうかべている。拓磨は思いながら、
「なんすか?」
 と、今度はいつもと同じ声のトーンで、もう一度問いかけた。
「なぁ拓磨」
「だから、なんすか?」
「祐一は、一度だって俺を見つけられなかったし、きっと、これからも見つけられない」
 そう言いながら、真弘がおどけたように肩を竦めた。
 拓磨が想像しているほど、真弘は、祐一に見つけてもらえないことを気にしているようではなかった。
 それだけでなく、祐一が真弘を見つけられないことを、当然のように受け止めている言動だ。
 それを少し意外に思いながら、拓磨は真弘の言葉に耳を傾ける。
 真弘はまっすぐに拓磨を見ていた。
 まっすぐ見つめることに、深い意味があるというように。
 真弘の瞳を覗くように見つめ返していると、不意に、真弘の手が拓磨へと伸ばされた。
 いつも殴りかかられる身として、思わず――自分でも感心してしまうくらい見事な条件反射で身構え、内心、「しまった」と拓磨は舌打ちした。が、拓磨が身構えたことに気づかなかったはずはないのに、それに対して文句も言わず、真弘がさらに手を伸ばし、拓磨の胸倉を掴んできた。
 ぐいっと容赦なく引っ張られて、不自然に拓磨の上体が真弘へと引き寄せられ――。
 拓磨の目の前にある真弘の顔が、にやりと笑みを浮かべる。
 ああ、この顔はなにかを企んでいるなと思うと同時に、拓磨は真弘に口付けられていた。
 重ねられた唇から伝わる温もり。
 ああ、真弘の熱だ。
 そう思った瞬間、拓磨は真弘の体を腕の中に抱き込んでいた。
 一瞬はなれた唇を追いかけて、今度は拓磨から口付ける。
 焦点の合わない視界の先で、真弘が満足そうに目を閉じた。それに倣って、拓磨も目を閉じる。
 瞳を閉じた瞬間、真弘の唇の柔らかさをリアルに感じた。
 真弘に触れているすべての感覚が、熱い。
 名残惜しく思いながらも、拓磨は口付けをやめる。
 照れくさくて、気恥ずかしくて、真弘の顔を正面から見れなくて、拓磨はやや視線を逸らしながら言葉を探していた。
 なにを言えばいいだろう。なにを言おう。
 必死に言葉を探していると、
「祐一じゃない。他の誰でもない。お前が鴉取真弘様を見つけるんだ。これからさきも、ずっと。どんなことがあっても、どんなときでも、俺を見つけるのは拓磨じゃなきゃ、意味ねぇんだよ。――ここまで俺様に言わせておきながら、「意味が解らない」なんて言わせねぇからな?」
 拓磨と同じように照れた顔の真弘が、早口にそう言った。
 うっすらと赤く染まった真弘の頬を、拓磨はぽかんと眺める。眺めながら、ああ、そうだ、と思った。
 真弘からのキス。その意味。
 それからいま言われた言葉の意味。
 たったひとつだ。導き出される答えなんて。
 たったひとつの感情しか、そこにはない。
 ああ、そうだ。まだ、肝心なことを言っていない。
 告げていない。
 仕掛けられて、ヒントまで言葉にされて、やっと。そこまでされてやっと、真弘の気持ちに気づくなんて、間抜けとしか言いようがないけれど。
 見当違いの嫉妬までして、本当に情けないけど。
「言わなきゃ、さらに格好がつかないな」
 真弘には聞こえないよう、拓磨はぽつりとそう呟いた。
 そして真弘の瞳を、まっすぐに見つめる。
 綺麗な新緑色の、真弘の瞳を。
 じっと見つめていると、真弘の瞳がかすかに不安そうに揺らいでいることに気づく。
 尊大な態度と口調に隠された真弘の不安を、見つけてしまった。
 拓磨からも口付けたのだから、真弘が不安に思うことなどなにひとつないだろうに、と思いながら、拓磨はずっと言いたかった言葉を口にした。
 いつからそう思っていたのか、どうしてそんな気持ちになったのか、もう覚えていなくて。
 でも、その気持ちを不思議と疑問に思うこともなく、当然のように受け入れていた。
 拓磨のなかで、それは当たり前で、自然な感情だったそれを言葉にする。
「真弘先輩、好きですよ」
 見下ろしたままの視線の先で、かすかに真弘の体が震えた。
 真弘の瞳から不安の色が消えて、ほっとしたように瞳が細められる。
「これからさき、真弘先輩がどこに隠れようと、俺が必ず見つけますから、安心して好きなところへ隠れてください。――でも、逃がさないんで、そこんところは覚悟しててくださいよ」
「ばっか、俺様を簡単に捉まえられるなんて、自惚れんな?」
「自分から捉まりにきた人の言う科白じゃないっすよ」
 言いながら拓磨は真弘を抱きしめた。
 真弘を抱きしめて、もうひとつ言い忘れていた言葉があったことを思い出す。
「真弘先輩。誕生日、おめでとうございます」
「おう。さんきゅ、な」
 照れたような言葉とともに、真弘の腕が拓磨の背中に回された。
                                END

野望達成?(笑)
拓真創作です。真弘先輩のBD創作に。
真珠じゃないあたりが。でも一度拓真創作は書きたかったので、満足。
とにもかくにも、真弘先輩、おめでとう!なのです。