世界の果てで眠る君へ


 一面の星空を頭上に掲げ。
 一年前までの真弘のように、命の終わりを静かに受け止めている珠紀の姿が、真弘の瞳には痛く切なく悲しく映っていた。
 本当に、なによりも。
 告げた言葉に嘘はなく、この世界よりも大切で愛しい。
 選べと言われたら躊躇いなく。
 どんな非難も憎悪もすべて受け止めてでも、世界よりも珠紀を選ぶ覚悟は揺らがない。きっと、どんな場面に遭ってさえ。
 一秒、時間が進むごとに、一緒にいられる時間は少なくなって。
 一秒でも長く、永く、一緒にいたいだけなのに、きっとそれすら自分たちには赦されない。
「守ってやるよ。だから生きててくれよ。生きることを望んでくれ。俺が全力で守るから。――それでも、どうしようもなくなったら、……本当に、もう、どうしようもなくなったそのときには、俺がお前を殺してやるよ」
 真弘がそう告げたとたん、珠紀の瞳が大きく見開かれて、それからくしゃりと表情が歪んだ。
 堪えていただろう涙がぽろぽろと零れ落ちて、珠紀のすべらかな頬を濡らしていく。
 流れる涙を拭うために伸ばした手が、珠紀の白い手に取られた。
 それからぎゅっと握り締められて。
 絡められた指に落ちる涙の雫の、一瞬の熱さ。
 すぐに冷えて流れた、幾筋もの跡。
 珠紀と一緒に泣きたい気持ちになりながら、絡められた指先に視線を落とし、真弘は、忘れられないと思う。
 刻印のように刻まれた熱と冷たさを、この命が終わる瞬間まで覚えているだろう、と。たとえば所謂奇跡というやつが起きて、なにもかもが上手くいったとしても、真弘は忘れられないだろうと思いながら、珠紀の手を強く握り返した。
 珠紀の顔に視線を戻すと、涙を零しながら、それでも微笑む珠紀と視線が合った。
 淡い微笑を浮かべた珠紀が、絡めた手を動かし、真弘の手ごと上に持ち上げる。
 それから、
「ありがとうございます、真弘先輩」
 いつもよりは小さな声。それでもはっきりとした音でそう言った珠紀が、絡まったままの互いの指に口づけをした。
 まるで神聖な誓いのような光景だと、真弘は泣きたいような気持ちのままで思う。
「真弘先輩がいるなら、諦めません。足掻いてみせます。だから一緒に頑張ってくれますか?」
 祈るように両手で握り締められた左手。
 真弘は珠紀を真似て、真弘の手を握る珠紀の指に唇を寄せた。
 冷えて冷たくなった指先に、熱を与えるように口づけて、
「当たり前だろ。鴉鳥真弘先輩様がついていて、なんとかならないわけがないんだよ! お前は俺を信じてろ。今度は俺がなんとかしてやる。お前が望むままに、お前も世界も救ってやるよ」
 応えてみせる、と、誓うように呟きながら、真弘は珠紀の額に自分の額を寄せた。
 こつり、と互いの額を合わせて、瞳を閉じて、祈り、願う。
 呪文のようにくり返す。
 大丈夫だ、絶対になんとかしてみせる。なんとかなる。
 世界も、珠紀も、全部救って、なにもかもが上手くいく。
 そうだ。奇跡を待つのではなく。そんなものに頼るのではなく、真弘自身の力で、救ってみせる。
 珠紀を。
 世界の終わりとなった、真弘の愛しい女を。
 愛しい女が望むまま、世界を救ってみせる。
 そして明日にはまた、今までのように馬鹿なことで言い争ったり、笑ったり、当たり前の日常を取り戻すのだ。
 取り戻して、今度こそみんなで――珠紀ももちろん一緒に、平和な毎日を満喫する。
 宿命だとか運命だとか、国だとか。そんなものなど撥ね退けて。
「幸せになろうな」
「……はい!」
 とびっきりの笑顔で笑った珠紀の顔が、どうしてか滲んできた涙で歪んだ。


「過信しすぎてたよなぁ、俺」
 草原に寝転がり、今にも降ってきそうな星空を見上げたまま真弘は呟いた。
 鬼斬丸を通して伝わった感触は、今でも真弘の手のひらに残っている。
 一生忘れられない……。
 決断を実行した左手を、空に向かって伸ばした。
 珠紀の血に濡れてしまったこの手を取るものはなく、また、清めてくれるものもない。
 珠紀を失い、その代わりに世界を終わりから救って、数ヶ月が過ぎている。
 それを「もう」というべきなのか、「まだ」というべきなのか、真弘には判らないけれど、数ヶ月という時間は確かに流れた。
 流れたけれど、真弘はまだ歩き出せていない自分を自覚していた。
 慣れないのだ。
 一緒にいた時間はたったの一年だったのに、珠紀が傍にいないこと、隣にいないこと。声が聞こえない。泣いた顔も、怒った顔も、困った顔も呆れた顔も、笑った顔も見れない。なにも感じられない。
 そんな現実に、真弘はまだ慣れることができないでいる。
 そして毎晩のように、この秘密の場所に足を運ぶ。
 珠紀と真弘のふたりきりで過ごした、最後の場所。
 星が降りそうな、手を伸ばせば星を掴めそうな、そんな錯覚を見せてくれる、約束を交わしたこの場所で。
 まるで約束の時間に遅れている珠紀を待つように、数時間をこの場所で過ごすのがあれ以来の日課だ。
 星空に向かって手を伸ばしたまま、真弘はひとり言葉を紡ぐ。
 誰も聞くことのない言葉。
 答える者もいない言葉を。
「結局、俺はいつだって背中を押されてばかりだな」
 殺してやると言った。
 本当に、どうしようもなくなったその時は、真弘が珠紀を殺してやると言ったのに、最後の最後で真弘はできないと躊躇ってしまった。
 ニールを殺すこと。そして鏡の契約を無効にすること。それが珠紀を殺すことに繋がると理解した瞬間、真弘は嫌だと本気で思った。
 そんなことはできない。
 失いたくない。
 大口を叩いておきながら、いざその場面が訪れた瞬間に躊躇した真弘の背中を、珠紀が押してくれた。
 いつも無意識に、そうしてくれていたように。
 たいしたことはないのだというように発破をかけて、挑発さえして、真弘から躊躇を吹き飛ばした。
 それが一番正しい判断で、それ以外は認めませんからね、と、迫力に欠ける表情で睨む珠紀の姿が見えたような気さえした、あの一瞬。
 忘れられないできごとや想いばかりが、真弘の中に蓄積されていく。
 積もっていく。
「なぁ、珠紀。俺はお前の後を追ったりはしねぇけど、そう待たせることもないと思う」
 伸ばしたままだった手を、真弘は握り締めた。
 そっと、密やかに。言葉を空に溶かすように紡ぐ。
「もってあと数年――、いや、もしかしたら十数年かもしれねぇけどよ、俺はお前を探しに行けると思う」
 鬼斬丸封印のために存続しているような、鴉取家。
 その家に生まれた宿命を、ずっと、ずっと呪って生きてきたけれど、今回ばかりは贄になる資格が一番にある家に生まれたことを、感謝した。
 ニールとの対決のために、珠紀に封印を解かせた鬼斬丸。
 それの完全なる封印のために、真弘は自分の持つ霊力と、命の半分以上を使った。
 ほとんどの霊力を注ぎ込み、命を削ることになるその行為に躊躇いはなかった。
 この国の、原始より在る災いともなる力の封印を解かせ、唯一完全な封印を施せる玉依姫の命を、守護者自ら絶ったのだ。その責任は、果たさなければいけない。
 そして鬼斬丸の再度の封印も、珠紀の願いだろうと思った。
 本当は、珠紀と真弘のふたりで、その封印を施したかったけれど、それは二度と叶わぬこととなったから。
「だから、珠紀。なぁ、待ってろよ。俺が行くまで常世で待っていろ。絶対に俺様より先に生まれてくるんじゃねぇぞ」
 お前が俺より年上なんて、冗談じゃねぇぞ。
 冗談めかして呟いて、真弘は握った拳で目を覆い隠した。
 勝手に零れてくる涙が、うっとうしい。
 今はまだ、泣きたくないのに。
 あと少しだけ言いたいことを言ってから、泣きたかったのに。
「絶対に見つけるから、だから、珠紀。今度こそふたりで一緒に幸せになろうな」
 生まれ変わってふたり再び会えるなら。
 またこの血の宿命に、季封村や国に縛り付けられてもいい。
 その時は今度こそすべてに打ち勝って、ふたりで幸せになる。そう決めているから。
「絶対に、待ってろ」
 数ヶ月前、珠紀の涙で濡れ、誓うように珠紀の唇が触れた指と、彼女の血に濡れた掌で、真弘は流れる涙を拭った。

                               END

蒼黒の楔版真珠創作、第一弾。
悲恋ED妄想ヴァージョン。
文字色読み辛くてすみません。
原作のあの切なさを再現するのは、当たり前だけど難しいです。
あー、でも、ヒロイン不在の悲恋EDは初…ですよね?
(翡翠の悲恋はまだ全部攻略していないので)