星祭

 オーブンから取り出した焼きたてのクッキーを見て、ほっとすると同時に、珠紀の顔が綻んだ。
 台所に漂う、香ばしく甘いのは焼きたてのクッキーの匂い。
「うん、これも成功!」
 珠紀は満足げにひとりごちる。
 厚みも、色味も、大成功。
 さっき味見と称して食べた一枚の味は、我ながら最高の出来だ。
「でも美鶴ちゃんや慎司くんには、負けるんだろうけど……」
 そこだけは、落ち込む要素だ。同時に、悔しいとも思う。仕方がないことだけれど。
 最後に焼き上げたクッキーを、形が崩れないよう、割れてしまわないよう、丁寧にお皿に移しかえる。
「珠紀さん、出来上がったんですか?」
 生地の量から焼きあがり時間を計算して顔を出したのか、ずっと様子を窺って待機していたのか、美鶴ならどちらもやってのけていそうだなと思いながら、タイミングよく台所に現れ、声をかけてきた同居人を、珠紀は振り返った。
「うん、美鶴ちゃんの作るものには負けると思うけど、我ながらいい出来上がりだと思うんだ。……味見、してみてくれる?」
 最初に焼き上げたクッキーを盛ったお皿を、珠紀はちらりと見つめながら言う。
 美鶴が珠紀の視線を追うように、お皿のひとつを見た。
「よろしいんですか?」
「うん。感想を、よろしく」
 台所に入った美鶴は、クッキーを一枚摘んだ。口に入れ、味わうように租借する。
 珠紀は祈るように、美鶴の言葉を待った。
 美鶴の判定次第で、これを渡すかどうかが決まる。
「どうかな?」
 美鶴の喉が上下する様を見つめながら、珠紀は恐る恐る訊いた。
「とても美味しいですよ」
 美鶴はゆっくりと味わったクッキーに、頬を緩めながら言った。
「味も、焼き加減も、ちょうどいいです」
「本当!?」
「はい。どれくらい美味しいかと言いますと、これを鴉取さんに差し上げるのが悔しいと思うくらいには」
 にっこりと笑う美鶴の笑顔が、どことなく怖いのは気のせいにしようと、珠紀は心の中でこっそり呟きつつ、ほっと肩の力を抜いた。
「喜んでくださいますよ」
 美鶴が、柔らかな声音で言葉をくれる。珠紀の小さな不安を打ち消すように。
「――本当に喜んでくれるかなぁ」
「喜んでくださいます。……珠紀さんも、それはちゃんと解っていらっしゃるんでしょう」
「……うん」
 珠紀は苦笑気味に頷く。
 美鶴に確認を取らなくても、本当は、ちゃんと解っている。知っている。
 真弘は珠紀の作ったものを、喜んで受け取ってくれるだろうし、食べてくれるだろう。
「でも、真弘先輩、素直じゃないし」
 きっと口に入れるまで、散々、言われるのだ。
 曰く、
「腹を壊さないか」
「本当に食べられるのか?」
 そんな天邪鬼な言葉を。
 それを考えると、少し、腹立たしいというか、あげないほうがいいかとか、考えてしまうのだけれど。
「でも、きっと鴉取さんは」
「うん、わかってるよ。大丈夫」
 美鶴が言おうとする言葉に、珠紀は笑って頷いた。
 真弘は散々文句をつけた後、クッキーを食べて、言う。
「美味いじゃねぇか。……ありがとな」
 絶対に、そう言ってくれると確信している。
 珠紀から僅かに視線を外しつつ、ぶっきらぼうに、けれど、照れながらだろうけれど。
「……雨、止むといいですね」
 ふと美鶴が台所の窓から空を見つめながら言った。
 珠紀は頷きながら、
「でも、大丈夫、星はここにあるからね」
 お皿の上、焼きあがったたくさんのクッキーを、指差した。
「もちろん、天の川には負けるけど」
「そうですね。でも」
 美鶴が小さく笑う。
「これを入れたら、天の川にも負けないと思いますよ」
 美鶴が、袂から小さな袋を取り出した。
 色鮮やかな緑色の紐を取り払い、袋を開けて、クッキーを盛ったお皿の上にざらざらと中身を空けた。
「わぁ!」
 かわいい、と、珠紀は歓声を上げた。
「大蛇さんにお願いして、ネットで取り寄せていただいたんです」
 美鶴がそう言いながら、にこにこと笑った。
 星型のクッキーに散りばめられたのは、星型の砂糖菓子。――金平糖だ。
 緑色、白色、桃色に黄色と、色鮮やかな星。
「みんなは嫌がりそうだけどね」
 甘いと文句を言われそうだと思いながら、けれど、珠紀は美鶴のトッピングに大満足だ。
「文句がある方は、食べなければいいんですよ」
 すました顔で美鶴が言って、珠紀はそうだねと、笑う。
 美鶴の言うとおりだ。文句があるなら食べなければいい。
 だって、結局は、イベントにかこつけた珠紀の自己満足だ。それに真弘を吐き合わせたいだけ。
 一枚でも食べてもらえたらいい。
 今年の七夕は生憎の雨模様。
 空の星の代わりにと、用意しただけのもの。
「紅茶の用意って、慎司君と卓さんがしてくれるんだっけ?」
「七夕らしいフレーバーティーを用意しましょうって、大蛇さんが仰っていましたよ」
「楽しみだね」
「楽しみですね」
 美鶴とふたり瞳をあわせて、珠紀は小さく微笑みをかわす。
「そろそろ、お茶会の用意をしましょうか」
「うん。――あ、そうだ。美鶴ちゃん、これ。良かったら食べてね」
 小皿に取り分けておいたクッキーを、差し出す。
「ありがとうございます」
 軽く目を瞠った後、美鶴が嬉しそうに笑みを浮かべた。
「金平糖のトッピングは、お好みで、ね?」
「はい」
 珠紀に差し出された小皿を受け取りながら美鶴は頷き、ふと首を傾げた。
「珠紀さん」
 呼びかけに、珠紀は頷く。
 美鶴の言いたいことは、ちゃんと判っていた。
「実は、ちゃんと、別に取り分けてあるんだ。……この金平糖、少し貰ってもいいのかなぁ」
「構わないと思いますよ」
「ありがとう」
 珠紀はニコニコしながら、お皿の上から金平糖を取って、テーブルの端に置いていたラッピングペーパーの中に入れた。
「渡せるといいですね」
「タイミングが難しそう」
 美鶴の言葉に、珠紀は溜息を零しながら、リボンを結んだ。
 特別な真弘のためだけに用意した、一袋。
 さて、これはいつ渡せばみんなに騒がれないだろうかと考えながら、珠紀は焼き上がったクッキーの乗ったお皿を手に、美鶴とふたり、みんなが待つ居間へと向かった。

                                  終