バレンタイン・デー? すぱーん! と、小気味いい音をさせて開かれた、宇賀谷家、居間の障子。 顔を上げて、視線が合って、挨拶もなく、 「作れ!」 姿を見せて早々、相も変わらず、傍若無人な科白を宣う台風。 「――何様ですか?」 答えなんて聞かなくても判っているけれど、珠紀は一応、訊いてみた。 周囲から「馬鹿だな」という視線を送られているけれど、いつもいつも上から目線で言われるままに従っていては、一層、真弘をつけ上がらせる気がしたのだ。 「鴉取真弘様に決まってるだろ!」 珠紀の言葉が気に入らなかったのか、真弘は不機嫌な口調でそう答え、不機嫌そうにどっかりと腰を下ろす。 珠紀の真正面だ。 睨むように見つめてくる真弘の視線を受け止め、珠紀はゆっくりと息を吸い込んだ。 真弘と珠紀の雰囲気に、自然と居間の空気までが静かに緊張する。 珠紀はそっと息を吐き出す。 その仕草に、今度は真弘が緊張したようだった。 あれ? と、珠紀は思う。 思いながら真弘を注意深く見つめていると、真弘は倣岸不遜な態度を見せながらも、ずいぶん緊張している。 まるで珠紀の返す答えに身構えているようだ。 なにを緊張しているのだろうと思いながら、ふと、真弘に「作れ!」と言われたものの、なにを作ればいいのか判らないことに気づく。 これではまた甘やかしてしまうと思いながら、しかし、内容が判らなければ、真弘の言葉に頷くことも拒否することもできない。 「真弘先輩は、わたしになにを作れっていうんですか?」 静かに問いかけると、ぴくりとかすかに真弘の肩が揺れた。 見つめる先、真弘の視線が泳ぐ。 照れたように目元が薄っすらと染まっているように見える。 真弘の態度から推測することもできない。珠紀は首を傾げ、 「真弘先輩?」 促すように名を呼んだ。 珠紀の言葉と視線を受けた真弘は、落ち着かない様子で視線をあちらへ、こちらへ。一向に答える様子もない。 「真弘せんぱーい?」 真弘の挙動不審な仕草を訝しく思いつつ、しかし、きょろきょろと周囲を気にしている様子が、ちょっと可愛いかもしれないと思いながら、珠紀はもう一度真弘の名を呼んだ。 途端に、あからさまに、真弘が肩を跳ねさせる。 悪戯を仕掛けてみたものの、怒られるのを怖がっているような小動物の姿を、珠紀は思わず連想してしまった。 「真弘先輩、偉そうに命令しているんですから、ちゃんと、何を作れといっているのか言ってください」 モノがわからなければ、作ろうにも作れない。にっこり笑って告げると、真弘が嫌そうに顔を歪めた。 まるで珠紀の察しが悪いと言いたげな表情だ。ちょっとかちんとくる。 「言わなくても判るだろう!? なんて、そんな暴言許しませんからね?」 真弘がなにかを叫ぶ前に釘をさすと、真弘は小さく舌打ちをしたようだった。 言うつもりだったらしい。 釘をさしておいて良かった、と、珠紀は思いながら、軽く真弘を睨みつけた。 居間に集っていた面々は珠紀と真弘のやりとりに、すっかり緊張を解いて呆れ顔だったり、いつものことと、知らん顔だったりと、様々だ。 珠紀の睨み顔に対抗するように、真弘も珠紀を見返してくる。が、やっぱりどこか緊張気味だ。 態度も、いつものように強気じゃない。大人しい。 これは余程の無理難題だろうか、と、珠紀が考えていると、 「あの」 遠慮がちに美鶴が声をかけてきた。 「なに、美鶴ちゃん?」 珠紀は穏やかな表情で、傍らの美鶴を振り返った。 態度の違いに、真弘が不機嫌そうに片眉を跳ね上げたようだが、無視する。 「珠紀様、少し、宜しいですか?」 言いながら、美鶴は廊下の方を見やる。 「あ、うん、いいけど……」 話が終わっていないのに居間を出ると、煩いんじゃないだろうかと気になりながら、ちらりと真弘を見やると、真弘はなんとも気まずそうに顔を歪めていた。 「すぐに済みますので」 美鶴も気まずそうに言って、立ち上がった。 ゆっくりとした足取りで、美鶴が廊下に出る。珠紀も立ち上がり、その背中を追いかけた。 居間の襖を閉めて、珠紀は美鶴を振り返った。 珠紀の様子に、少しだけ、美鶴が苦笑を浮かべる。 なんとなく意味深な苦笑に、珠紀は首を傾げた。 「美鶴ちゃん?」 どうかしたの、と、問いかけるより先に、美鶴が口を開いて言った。 「今日はバレンタインですよ」 「へ?」 「鴉取さんは、珠紀様の手作りのチョコレートが食べたいんじゃないでしょうか?」 「チョコレート……、バレンタイン……?」 「はい」 珠紀の言葉に美鶴が笑顔で頷いた。 その頷きに、珠紀は血の気が引いていくのを感じる。 「え、……あれ? 今日、だったっけ?」 美鶴の勘違いじゃないだろうか、という、一縷の望みをかけて呟いた言葉に、美鶴の笑顔が固まった。 ぴしり、という、硬い音までが聞こえそうなほどだった。 「珠紀様……」 「え、いや、だって!」 忙しかったから、という言葉を口にしようとしたが、珠紀はできなかった。 美鶴の重い溜息が、それを許してくれる雰囲気じゃなかったからだ。 「……材料を、買ってまいります」 ちらりと襖―正確には向こう側―を見やった美鶴が、ぽつりと言った。 真弘を憐れんでいるかのような眼差しに、珠紀は明後日のほうを見たい心境になった。 普段、真弘に手厳しい美鶴が、同情的な眼差しを送らなければいけないほどのことを、してしまったのだと実感する。 大失態だ。言い訳もできない。 「よろしくお願いします」 珠紀は深々と頭を下げて、短時間でできるチョコレートなどあっただろうかと、数少ないレパートリーを思い出しつつ、今のやりとりが聞こえていただろう真弘に向かって、襖越しに「真弘先輩、ごめんなさい」と、珠紀は呟いた。 終 |
VDの話を書くつもりでした(苦笑)。が、なんだかまひろんが気の毒な話になりました。
リベンジができるといいなと思います(ちーん)。