バレンタインデー小話


「…………」
 心底うんざりした顔をしている兄の横顔をちらりと眺め、アルフォンスは珍しいねと、小さく呟いた。
「なんだよ?アル?」
 小さすぎる呟きは、しっかり聞き咎められたらしい。エドワードが怪訝そうに問いかけてきた。
「兄さん甘いもの平気なのに、珍しいね」
「あー、嫌いじゃないけど……」
「けど?」
「胸やけしそうなくらい、町中ショコラの匂いがしてるんだぞ。いいかげん逃げ出したくなる」
 エドワードの半泣きに近い表情を見て、ショコラの匂いがそんなにすごいのかと、アルフォンスは鎧の首を巡らせた。
 なにかのお祭りでも近いのか、町の人達の表情も明るく、楽しげで、浮かれていると言ってもいいほどだ。
 見ているアルフォンスも、なんとなく楽しい気持ちでいっぱいになってきたところで、この町に着いたときに聞いた話を思い出した。
 確かどこかの小さな国の風習を真似て、愛する人にショコラを贈るのだったか。
 面白そうだと思って、この町でおいしいと評判の店のショコラを買っておいたことを思い出した。
 が、エドワードの辟易としたとした顔に、トランクの中に入れておいたそれのことを言おうかどうか、アルフォンスは迷う。
 顔を顰めているのだ。なんとなく、喜んでもらえないような気がしてしまう。
「アル?」
 立ち止まってしまったアルフォンスを、エドワードが不思議そうに振り返った。
「どうした?」
「うん…」
「アル?」
「ねえ、兄さんはこの町に着いたときに聞いた話を、覚えてる?」
「……好きな人にショコラを贈るとかいうやつか?」
「うん」
「……もしかして、買ったのか?」
「……うん」
 アルフォンスはエドワードの問いかけに、ためらいながら頷いた。するとエドワードが、ぽかんとアルフォンスを見つめた。
 なんとなく居心地が悪い思いをしながら佇んでいると、エドワードがすっと手を差し出した。
「兄さん……?」
「食う」
「え?」
「アルがくれるなら、ショコラ食べるぞ」
「嫌じゃない?」
「なんでだよ? 確かにこの匂いにはうんざりしてるけど、アルがくれるものだったら、平気だぞ」
 にやりと笑って言ったエドワードに、アルフォンスは心配が杞憂だったことを知って、嬉しくなる。
「えへへ。そう言ってくれると、すごく嬉しいよ、兄さん」
 弾んだ声でアルフォンスはそう言った。
 エドワードが、微笑んだ。
 そして。
「アル、お前が元に戻ったら、今度は俺が用意してやるよ」
 早口にそう言ったエドワードが、くるりと踵を返し、そして照れを隠すように足早に歩き出した。
 その背中を追いかけ、肩を並べたアルフォンスは、トランクの中にショコラを入れてあるからね、と真っ赤に染まっているエドワードの耳に囁いた。



                                    END