隠されていたもの


「アル!」
 適当なノックをして、返事も待たずに扉を開けながら弟の名を呼んだエドワードは、けれど、いつもなら「どうしたの、兄さん?」とすぐに返るはずの返事がないことに戸惑って、立ち尽くした。
 目の前には鎧の背中。
「アル?」
 エドワードの声に反応しないその背中に、もう一度呼びかけてみるものの、やはり、返答なし。
 返事の代わりに届いたのは、鳴き声。
 か細くもしっかり届いたその声に眉を顰め、顔を顰めたエドワードは、不機嫌を隠しもしないでアルフォンスの傍らに立った。
 そして、いつものように一喝しようとして、思わずその声を飲み込んだ。
「……どうしたんだ、そいつ」
 大きな手の中で震えている小鳥に、エドワードの眉根がきつく寄せられた。
 翼の片方に添え木と、包帯。
「折れちゃってるのか?」
「……うん」
 沈みきったトーンが答えて、そっと、繊細な細工物に触れるような慎重さで、アルフォンスの指が小鳥の頭を撫でた。
 チチチ、と、アルフォンスの心配そうな指の仕草に答えるように、小鳥が啼く。
「裏庭で……性格の悪そうな猫に襲われているのを宿のおかみさんとボクが見つけたんだけど、仕事が忙しくておかみさんは面倒をみてあげられないから、ボクにお願いしていいかって」
「頼まれちゃったわけか……」
「うん……」
 小鳥の怪我のことと、勝手に決めてしまったことから、しょんぼりと肩を落としている弟の肩を、エドワードはこつんと軽く叩いた。
「ほら、アル。元気出せよ。その鳥の羽だって、ちゃんと治るんだろう? お前が落ち込んでたら、その気持ちが鳥に移って、治りが遅くなっちゃうぜ? ……その添え木が取れるまで、この宿に泊まっていいから」
「え!? いいの!?」
 エドワードのお許しに驚いて、アルフォンスが顔を上げた。
 信じられない、と、弟が全身で驚いているのは、普段、猛反対する態度から考えれば仕方がないことだけれど、思いやりが少ない人間のように思われている気になってしまうのは、ただの被害妄想だとエドワードは思いたい。
「頼まれて、引き受けたんだろ? それを放り出して旅に出るわけにはいかないじゃないか。それとも、アル、ここで待っているか?」
 別行動を匂わせると、
「ダメだ! 嫌だからね!」
 即座に返されたのは、否定と拒絶の言葉。
 抑えきれない苦笑を滲ませて、エドワードは
「だったら、しばらくここで一休みしようぜ。情報集めくらいできるし、他の錬金術の研究もできる。賢者の石のことばっかり考えていたら、自分で自分を追い詰めそうで、なんか欝っぽくなる」
 だから、気分転換。
 そう言いながらエドワードも小鳥の頭を、そっと指先で撫でた。
 ちち、と、アルフォンスに鳴いてみせたときとは違うトーンで、小鳥が鳴いた。
「ああ、もう、兄さん、小鳥が怖がっているじゃないか」
「オレは撫でただけだ!」
「大声を出さないでよ! 普段から動物に接していないから、警戒されるんだよ、兄さんは。……ごめんね、怖い兄さんで。でも大丈夫だから。噛み付いたりはしないからね。……たぶん」
「たぶんって、お前な……」
 いったいどういう認識をもたれているのか知りたい気分になったけれど、ロクなことを言われかねないので、エドワードはそのまま黙り込んだ。
 エドワードに意識を向けないまま、小鳥にかかりきりの弟の傍を離れ、エドワードは自分が使っているベッドに腰を降ろした。
 そして、図書館で借りてきた本を広げる。――が、どうにも弟のことが気になって、集中できない。
 これじゃあダメだと文字を追うけれど、内容はちっとも頭に入ってこない。
 同じところを何度も読み返し、情報として蓄積されないことに溜息をつき、エドワードの様子に気づきもしない弟の背中を眺める。
 それを何度かくり返しているうちに、ますます集中力がなくなって、エドワードは読んでいた本を閉じると、読書を放棄した。
 ブーツを脱いで、ごろりとベッドに寝転ぶ。
 宿の薄汚れた天井を見つめながら、
「なあ、アル」
 エドワードは呼びかけてみた。が、やはりというか――返事はかえらない。
 むっとしつつ寝返りを打ち、アルフォンスを見ると、文献を読むとき以上に真剣な雰囲気で、アルフォンスは小鳥に集中している。
 優しい声音で、優しい言葉を、小鳥に向けている。
 本当に、優しい弟だとエドワードは誇らしく思う。思う一方で、
「なんだよ、オレより小鳥が大事なのか?」
 と、不貞腐れた気分になってしまって、ついうっかり、思ったことをそのまま口に出して言ってしまいそうだった。
 だって、アルフォンスが、一度もエドワードを気にしない。意識を向けない。
 いつもなら全神経をエドワードに向けているくせに、今日はエドワードのことなど二の次なのだ。
 エドワードがアルフォンスを呼んで、それに返事がなかったことなんて、なかったように思う。あったとしても、片手でも余る回数だ。
 喧嘩をしていても、エドワードが呼びかければ、不機嫌だけれど返事は返ってきていたのに……。
 つまらない。
 寂しい。
 面白くない。
 そんな感情が湧きあがってきて、自分でも馬鹿馬鹿しいと思うけれど、エドワードは、アルフォンスの大きな掌の上に、守られるようにして存在している小鳥に対して、嫉妬すら感じてしまう。
 ちちち、と、アルフォンスの心配そうな声音に答えるように、小鳥が鳴いた。
 小鳥はアルフォンスの掌の上で小さな首を傾げて、愛らしい声で囀っている。
 それにアルフォンスがまた優しい言葉をかけて。
 エドワードにだけ解らない会話を、アルフォンスと小鳥が交わしているように思えて、仕方がない。
 同じ空間にいるのに、疎外感に包まれる。
「アル」
 ぽそりと呼んだ。
 いつもなら、絶対に、聞き漏らされることのない音量。
 けれどやっぱり返事はなくて、寂しさが、いっそう、募った。
 アルフォンスの鋼鉄の。いまはまだ鋼鉄のままの体の、その背中を見つめながら、エドワードはふとアルフォンスもこんな気持ちを抱え込んでいるのかな、と考えた。
 エドワードが文献に、書物に集中しているときの、弟の気持ちを考えてみる。
 声をかけても生返事しかしないエドワードに対して、アルフォンスは寂しいと思うのだろうか。……思ってくれているのだろうか。
 思っていてくれたら嬉しい。そう思う反面、そんな思いをさせてしまっていて、悪いなとも思う。
 だって、思考のすべてがアルフォンスでいっぱいになって。
 いっぱいすぎて、エドワードは自分でもどうしようもなく制御できない気持ちで、切なくなる。
 目の前にいる。
 手を伸ばせば、触れられる。
 それなのに、声が聞けない。
 忘れ去られたように、見てもらえない。
 応えてもらえない。
 埋めようもないこの孤独を、どうすればいいのかわからない。
 こんな感情を、少なくともエドワードは感じた記憶がなくて、それは、つまり、エドワードが感じなくてもいいように、アルフォンスがいつでもエドワードのことを見ていてくれていたからだ。
 エドワードはそんなふうにアルフォンスに気を使えてなどいなかったのに。
「アル……ごめんな。ありがとう」
 聞こえていないだろう。
 そう思いながらも、エドワードは言わずにはいられなかった。
 小鳥にかかりきりになっているアルフォンスの背中を見つめたまま、これからはできるかぎり、アルフォンスの声に、存在に、ちゃんと応えられるように努力をしよう。
 そう思いながら、エドワードはそっとベッドから降りた。
 裸足の足に感じた木床の感触。
 木の温かさに、そっと息をついた。
 そして、一日でも早くこの感触を感じさせてやりたいと。
 取り戻してやりたいと、もう何千回、何万回と誓い、願ったことを心のうちで繰り返す。
 気づいていないとわかっていながら、気配を殺すようにして、エドワードはアルフォンスの背後に立った。
 エドワードの行動に気づいた小鳥が、なにか文句がありげに「チチチ」と鳴いて、アルフォンスはそれを宥めるようにまた優しく声をかけている。
 小鳥の威嚇に眉を顰めつつ、けれど、いまだけはしょうがないと自分に言い聞かせながら、それでもやっぱり嫉妬は消しきれなくて、エドワードはそっとアルフォンスの背中、ちょうど血印を施した辺りに口づけた。


                                END

いつもお世話になっているアヤセさんへvv
お礼なんだか、嫌がらせなんだか、微妙だと自分で思った。
でも、とりあえずリテイクを出されなかったし、OKも貰ったから、UPです。