Don’t forget 「ねー、アル」 お皿に取り分けたアップルパイのひと欠片をフォークでつついていたウィンリィに、アルフォンスは声をかけられた。 同じようにアップルパイにフォークを突き刺していたアルフォンスは、その手を止めて、作業着姿のままの幼馴染みを見つめた。 アルフォンスに声をかけたくせに、ウィンリィは言いよどむ様子を見せている。 「ウィンリィ?」 促すように呼ぶと、勝気なウィンリィの視線が彷徨った。 なんとなく珍しい。 「どうしたのさ?」 アルフォンスが問いかけると、 「うん……」 と、迷っているらしい曖昧な生返事が返る。 じつにウィンリィらしくない歯切れの悪さだ。 そう思う一方で、アルフォンスは、そんなにも言い辛いことなんだろうかと、身構えた。 「なに?」 警戒したように問いかけると、ウィンリィが意を決したようにアルフォンスを真っ直ぐ見つめる。 手に持っていたフォークを皿の上に置いて、姿勢を正す。 ウィンリィのそれにつられるように、アルフォンスも姿勢を正した。 和やかだったお茶の時間が、突然、緊張感に支配される。 ウィンリィが、躊躇いを捨てきれない様子のまま言った。 「あのね、アル。聞きたいことがあるんだけど」 「聞きたいこと?」 なんだろう。なにを聞きたいのだろう。 ウィンリィがエドワードではなく、アルフォンスに聞きたいことなんて、あるのだろうか? あるのかもしれないけれど、そんなもの、さっぱり思いつかない。ウィンリィの言葉を復唱しながら首を傾げ、アルフォンスはそう思う。 ウィンリィがやけに重々しい顔つきで、こくりと頷いた。 ずいぶんと深刻な話のようだと、アルフォンスはわずかに眉を顰める。 いったいなんの話なのだろう。 そうとは悟られないよう緊張を巧く隠しながら、アルフォンスはウィンリィの言葉を待つ。 大きな深呼吸の後、ウィンリィがゆっくりと口を開いた。 「あのね、その、十月三日って言えば、アルはなにを連想する?」 「十月三日?」 どんな重要なことを聞かれるのだろうと身構えていたアルフォンスは、ウィンリィの唇から零れた言葉に拍子抜けした。 眼を瞬きながら、 「え……なに、急に?」 アルフォンスがそう問うと、ウィンリィが困ったように曖昧な笑みを浮かべた。 「なんとなく……」 「ふうん? うーん。十月三日かぁ」 アルフォンスは宙を睨むように視線を上げ、考え込むように言った。 「特に連想することってない?」 宙を見つめたままのアルフォンスの耳に届いた声は、安堵と期待と不満を混ぜ合わせたような、複雑なものだった。 ウィンリィのその言葉で、アルフォンスはなにを問われているのか、なんとなく悟る。 十月三日。 その日がいったいどんな日であるのか。どれほど特別な日なのか。常に思い出すことはなくても、忘れたことはなかった。 ウィンリィを見ないまま、アルフォンスは呟くように言う。 「なにもないわけじゃないよ」 そう言うと、 「……そう。そっか……そうだよね」 やはり安堵と落胆の入り混じった声が届いた。 「ボクにとっても十月三日は、この命が果てる瞬間まで忘れられない日だよ」 アルフォンスはそっと目を閉じて言った。 ウィンリィがはっと息を飲む気配が届く。 それにはかまわずに、アルフォンスは過去を回想する。 いまでも鮮明に思い出すのは、空を焦がす炎の色。 泣きたいのを我慢したような、エドワードの表情。 悲しみと怒りにも似たものが入り混じったピナコの顔。それから泣いていたウィンリィ。 「ねぇ、ウィンリィ」 目を閉じたまま、アルフォンスはウィンリィに声をかけた。 「兄さんが忘れないって決めた日を、ボクも忘れないよ。ずっと、一生、忘れない。――ウィンリィだってそうだろ?」 ゆっくりと目を開き、アルフォンスはウィンリィに視線を戻した。 泣き出しそうに顔を歪めたウィンリィが、微かに目を見開く。 「アル、もしかして……」 知ってたの、と、囁くように呟かれた言葉に、アルフォンスは頷いた。 「兄さんらしいよね。軍に繋がれた鎖。その証である銀時計に、戒めの言葉なんて」 だけどちょっと女々しいよね、とアルフォンスが笑うと、ウィンリィが小さく吹きだした。 その瞬間に零れ落ちたものに、アルフォンスは気づかないフリをする。 涙もろく、優しい幼馴染みは、いつだってエドワードとアルフォンスのかわりに泣いてくれる。 「エドも女々しいって言ってた」 「自覚してるんだ、兄さん。珍しいな」 アルフォンスはそう言って笑いだす。 それからひとしきり笑って満足したアルフォンスは、 「ね、ウィンリィ」 笑いの発作からやっと落ち着いたウィンリィを呼んだ。 「兄さんには黙ってて。兄さんが銀時計に刻んだ言葉のことを、ボクが知っていたってこと」 アルフォンスがそう頼むと、ウィンリィはこくりと頷いてくれた。 「ありがとう」 ほっとしたように笑って、アルフォンスは皿に戻したフォークを手に取った。 「ね、ウィンリィ、早く食べようよ」 この話題はもう終わりにしようと言うように、無邪気に笑って言うと、 「うん。――あ、ちょっと待ってて。お茶を淹れなおしてくる!」 ウィンリィが頷き慌てて立ち上がった。 「いいよ。そんなに冷めていないから」 アルフォンスはそう声をかけたけれど、ウィンリィは納得しないというように首を横に振った。 「熱いほうが美味しいでしょ。ついでだからエドも呼んでくるわ」 ひらり、と手を振って、ウィンリィはキッチンへと駆け込んで行く。 キッチンの中でばたばたと慌しく動き回る音がして、それが静かになったと思ったら、キッチンから出てきたウィンリィは、二階へと階段を上がって行く。 その姿を目で追いながら、アルフォンスは「慌てなくてもいいのに」と呟き、少し冷めた紅茶の入ったカップを見つめた。 階上からエドワードを呼ぶウィンリィの声が届く。 怒鳴り声に近いということは、きっと、またエドワードは文献に夢中になってしまっているのだろう。 ウィンリィの声が聞こえているかも、あやしい。 ウィンリィとエドワードが降りてくるまでには、もう少し時間がかかるだろうと思い、アルフォンスはカップに手を伸ばした。 冷めた紅茶を、一口飲む。 「……やっぱり温かいほうがおいしいや」 そうひとりごちて、カップの残りを飲み干した。 そろそろお湯も沸くだろうと立ち上がり、温かな紅茶とコーヒーを用意しようとキッチンへ向かう。 キッチンへと向かいながら、アルフォンスは、蓋の開かない銀時計に気づいたときのことを思い出していた。 開くことができないよう、錬金術で閉じられた銀時計の蓋に気づいたときに、きっと、エドワードのことだから戒めを記しただろうと気づいて、けれど気づいていないフリを通した。 エドワードがアルフォンスには言わないと決めたのなら。ならば、アルフォンスも気づいていないフリを、ずっと貫き通そうと決めた。 エドワードのように、なにかに記したりしなかったけれど、アルフォンスにとっても十月三日は忘れられない日。忘れないと誓った日だ。エドワードが覚えていようと決めた日なら、なおさら。忘れられるわけがない。 すべてを燃やし、灰にして、優しい記憶も思い出も封印した日。 お互い口にしないまま、絶対にこの日のことを忘れないでいようと、心の中で誓い合った日。 これから先も、十月三日という特別な日を、口に出して確認することはないだろう。 ただ苦い後悔を胸に抱えて、ふたり、その日を過ごす。 それだけのことだ。 「忘れないよ……」 ポットから立ち上る蒸気を見つめて、アルフォンスは誰にともなく呟いた。 あの日の、すべてを、忘れない。 騒がしく言いあうエドワードとウィンリィの声を聞きながら、アルフォンスはもう一度呟いた。 END |