包容 痛いくらいに抱きしめられて。 「アル……アルフォンス……」 確かめるように何度も、なんども、耳元で連呼された名前。 アルフォンスを呼ぶエドワードの声は、少しだけ、涙声で。 エドワードの声を聞きながら、この温もりに触れたのは何年ぶりだろうと考え、考えながらエドワードの背中に腕を回して、アルフォンスは年齢のわりに少しだけ小さい―かなり小さい気もするけど、とは心の中で思っておくだけにする―背中を抱きしめ返した。 声は、震えないだろうか。 ちゃんと話せるかな。 他人からすれば失笑されそうなことを思いながら、アルフォンスは 「兄さん」 と、鎧姿のときと同じ口調でエドワードを呼んだ。 幸いなことに声は震えなかった。 呼んだとたん、アルフォンスの腕に伝わった小さな震え。戸惑いを含んだような……。 「兄さん」 もう一度呼びかけると、エドワードの唇から、溜息にも似た吐息が吐き出された。 そして。 「やっと……鎧を通したものじゃない声が、聞けた。アル……。アル、ずっと、その声を聞きたかった。――おかえり」 「……っ、ただいま」 静かな。 常のエドワードからはずいぶんとかけ離れた、落ち着いていて、静かなその声が紡いでくれた言葉に、一瞬、言葉に詰まった。 ずっと、傍にいた。 離れていたわけじゃない。 それでも。 それでも「おかえり」という言葉に、泣き出しそうになってしまって、答える声は隠しようもなく震えてしまった。 ぽんぽん、と。 まるであやすみたいに、優しく背中を二度叩かれて。 子ども扱いなんて酷いよ。 一瞬、そう思ったけれど。言葉にしたかったけれど。 誤魔化しも、強がりも、全部涙に邪魔されてしまって、声にはならなかった。できなかった。 ぎゅうぎゅうとエドワードにしがみついて、傷のついたレコードのように「兄さん、兄さん、兄さん」とただ繰り返した。 その言葉しか知らなかった、幼い頃のように。 抱きしめてくれる温もり。 鼻腔をくすぐる、抱きついた肌から香る、甘い体臭。 幼い頃のままの、すべて。 一番求めていた温もりを、アルフォンスは抱きしめ返しているのだと、ぼんやりと考えた。 一人で眠るには、少し大きめのベッド。 けれど、ふたりで眠るには少し小さいそれに、アルフォンスはエドワードと一緒に眠っていた。 自分の肉体を取り戻してから、早、数日。 いいかげん、これは夢じゃないと信じてもいい頃だ。けれど、すぐに夢じゃないかと疑ってしまう。 不安になってしまう。 だから、つい、甘やかしてくれるのをいいことに、エドワードの体温を求めてしまう――のだけれど。 そろそろ、この温もりを手放してしまわないといけない、とも思う。 指先から伝わる熱が。 確かに感じられる体温が、アルフォンスの心を乱し始めているのだ。 鎧の姿のときから、たしかにあった恋情。 鎧の姿のときにはなかった、欲望。 けれど、自分の肉体を取り戻すと同時に、エドワードを求める気持ちと連動して、強く抱きしめたいという欲が強くなってきた。 触れるたび、触れられるたびに、際限なく。もっと、もっと触れたい。触れられたい。触れ合いたいと――叶うなら、この欲望ごと受け入れてもらいたいとさえ、思ってしまう。 貪欲に。 モラルもタブーも、飛び越えて。 (だめだなぁ) 本当なら、抱いてはいけないはずの想い。 ……抱いたとしても、同じ想いを返して欲しいと願ってはいけないはずの。受け入れて欲しいと、求めてはいけないはずの、それを、つい、口にしてしまいそうになるのは、エドワードがアルフォンスを甘やかすからだ。 「アル」 と、甘い声音で名前を呼ばれるたびに、つい期待してしまう。 甘く呼んでくれる声の中に、アルフォンスと同じ気持ちがあるんじゃないかと。 エドワードが向けてくれる好きという感情は、同じじゃないのかと。 兄弟以上の。肉親に向ける以上の気持ちを、その声の中に探してしまう。 (ダメだなぁ。どうしても……甘えてしまう) アルフォンスは狭いベッドの中でそっと寝返りを打ち、嘆息した。 エドワードの傍を離れることはできないし、この温もりを手放すこともできないだろう。 ただ、ただ、強く、エドワードを求めてしまう。「アル」と呼んでくれる声に甘えて。 そのうち、自分の欲望が暴走してしまうかもしれない。 そして、エドワードを傷つけてしまうかもしれない。 それがなにをもたらしてしまうのか。――失うのは、信頼。そして永遠の別離。 頭ではわかっているのに。 「ダメ……だなぁ」 溜息交じりに、小さく、小さく呟いたときだった。 「アル。どうした? 眠れないのか?」 心配そうなエドワードの声が背中にかけられて、アルフォンスはびくりと肩を揺らした。 暗闇の中、そろりと首だけで背後を振り返った。 闇に慣れた目は間近にある、心配と不安をミックスしたエドワードの表情を捉える。 アルフォンスがごろりと体の向きを替えると、心配そうに眉根を寄せたエドワードの手が、そっとアルフォンスの頬に触れた。 寝起きのせいだろうか。熱いくらいのエドワードの体温に、刺激される。 ああ、だめだ。止められないかもしれない。 思いがけず触れた体温は、アルフォンスの中のリミッターを壊しにかかっている。 いまだ冷静な部分で、ずいぶん柔なリミッターだな、と、自身を罵りながら、アルフォンスは緩く首を振った。 「ごめんね、兄さん。ちょっと目が覚めただけだよ。眠れないわけじゃない……」 だから心配しないで。 そう続くはずだった言葉は、しかし、 「嘘つけ。ここ二、三日、まともに寝ていないだろ。ずっと溜息をついて……心配ごとがあるんだろう、アル。お前、さっきみたいに「だめだ」って呟いてる」 「気づいてたの?」 「当たり前だ。オレは兄ちゃんだぞ」 エドワードの言葉に遮られ、アルフォンスは仕方なく笑った。 「なぁ、アル。なにがダメなんだ? 記憶か体になにか不都合なことがあるのか?」 怯えてでもいるかのようなエドワードの声に、アルフォンスはまた首を横に振った。 「大丈夫だよ、兄さん。そんな不安そうな顔をしないでよ。記憶とか、体じゃなくて……なんていうか、ボクの気持ちの問題」 「アルの気持ち?」 不安そうな表情から一変して、エドワードの表情が不思議そうなものに変わった。 もうすぐ二十歳になる青年の表情としては、いささか可愛すぎるそれに、可愛いと素直に思うべきか、無駄に可愛さを振り向かないで欲しいと思うべきか、もし自分が第三者だったなら、言われたとたん思わず白けてしまうだろう、そんな複雑な気持ちを抱きながら、アルフォンスは「うん」と頷いた。 「アルの気持ちって……、お前、なにを悩んでんだ? 水臭いな。お兄ちゃんが相談に乗ってやるぞ?」 「あはは……ありがと」 エドワードの言葉に思わず乾いた笑みを零しつつ、感謝の気持ちを言葉にして伝えると、エドワードが不満そうに眉を顰めるのがわかった。 「オレには言えないようなことかよ?」 むっと唇を尖らせたエドワードに、アルフォンスはどう言えばいいかと途方にくれた。 言ってしまっていいことならば、口にする。 だが、エドワードに告げること、それこそが問題で。アルフォンスがエドワードへの想いを口にすれば、きっと、エドワードは困るだろう。 困りながら、それでもアルフォンスの気持ちを優先して、考えて、アルフォンスとまったく同じ気持ちではないけれど、アルフォンスのことを一番好きだといってくれる。大事だと言ってくれるだろう。 アルフォンスを傷つけないように。 応えられないことに、すまなさそうな顔をしながら。 家族に向ける思いやりを、精一杯くれるだろう。 それがどんなに残酷なことか、気づくことなく。 そこに思い至り、アルフォンスはそっと息をついた。 とたんにエドワードが眉を顰める。 「アル」 答えを促すように、名前を呼ばれた。 さあ、どう誤魔化そう。 どう言えば、エドワードは納得してくれるだろう。 考えてもいい案は思いつかない。 じっとアルフォンスを見つめる視線を感じ、焦りが生まれる。 僅かな挑発で、きっと、簡単に「好き」という言葉が零れてしまうだろう。 その言葉を言わないために、零さないための理由は、けれど思いつきもしない。 どうしよう、どうしよう、と、思考のループに陥ったアルフォンスの耳に、か細い溜息が届いた。 「兄さん?」 なぜ溜息をつくんだろう。 追求を諦めるためか? それとも呆れられたのだろうか? 判断がつかないまま呼びかけてみれば、 「アルフォンス」 と、愛称ではない呼びかけ。それから。 「お前がなにを躊躇っているのか知らないけど、躊躇わなくていい。望んでいい。求めていいんだ。お前が躊躇う理由も、我慢する理由もない。だから、アル。なにかあるなら、ちゃんと言ってくれ。でないとオレが不安になる」 闇の中に零れた声は、微かに震えていた。 不安になる、と、そう言ったエドワードの言葉が。震える声が、アルフォンスの躊躇や我慢をあっけなく霧散させて、意思を操るように背中を押す。 踏み出せば、あとは早かった。 性急に。ただ求めるままに、手を伸ばした。 「兄さんっ!」 呼びかけた声に余裕がなかったと思い至ったのは、ずっと後になってからだった。 すぐ傍らの温もり。 アルフォンスの指に馴染む肌の感触。 アルフォンスよりもすっきりとした頬の輪郭に指を這わせながら、 「家族としてだけじゃなく、兄さんが好きだよ。誰よりも、なによりも特別なんだ」 気持ちが逸るままに口にした告白に、暗闇の中でエドワードが笑った。 華やかな笑みは、ずっとその言葉を待っていたような明るさで、闇の中にあってなお、――否、闇の中だからこそ、一層鮮やかな印象をもたらした。 「オレもアルが好きだ。家族としてだけじゃなく、誰よりも特別な意味で。家族としてだけじゃない気持ちで、オレはアルを愛してる」 アルフォンスの仕草をまねるように、エドワードの指がアルフォンスの頬に伸ばされる。 そっと、慈しむ仕草で頬に触れてくれた温もりは、じんわりと温かく、灼熱の熱さでアルフォンスを煽った。 僅かに残っていたはずの余裕など、一瞬で焼き切られる。 「兄さん、……兄さんが欲しい。ねぇ、抱きしめたいんだ。いい?」 「お前が求めるなら、オレはいつだって「イエス」と頷くだけだ。だから、アルの望むままに」 すべてを受け入れる微笑と言葉に、なぜだか泣きたいような気持ちになりながら、アルフォンスはエドワードの唇に自らの唇を押し付けた。 不器用に触れるだけのキスを繰り返し、けれど、だんだん触れるだけでは物足りない気持ちになってきて、閉じられたままのエドワードの唇を、舌先で舐めてみた。 すると、アルフォンスのそれを待っていたように、エドワードの唇がするりと開かれる。 アルフォンスは躊躇いながらも、エドワードの熱い口腔内に舌を忍び込ませた。 舌先に触れたものに、夢中で舌を絡ませ、口腔内を貪る。 性急で、拙い口付けに、けれど、エドワードの吐息は甘く蕩けているようだった。 「……んっ」 甘えるような吐息が、夜の闇の中に零れる。 アルフォンスが長く深い口付けを解くと、エドワードの唇から艶めいた吐息が零れた。 それから、またキスをねだるように首を引き寄せられる。 「アル」 と、熱っぽい囁きが耳朶をくすぐった。 「兄さん」 応じた自身の声も、エドワードに負けないくらい熱っぽい。 エドワードに引き寄せられるままにもう一度口付けを交わしながら、アルフォンスはそっとエドワードの素肌に手を這わせた。 一瞬、手のひらの下でエドワードの体が緊張に震えたけれど、僅かな強張りはすぐに解かれた。 なにもかもを許してくれているのだと思うと、それだけで頬が緩む。 逸る気持ちを何とか宥めながら、エドワードの熱い肌に触れる。 アルフォンスが指や唇で触れるたびに、まるで泣いているような、甘えているような吐息がエドワードの唇から零れて、アルフォンスを煽り立てる。 そのたびにアルフォンスの中の熱が暴走しそうになったけれど、与えたいのは痛みや苦痛じゃない。 禁忌やモラルを無視しても、肌を重ね合わせたいとまで思わせるほどの、たぶん、言葉では伝えきれないほどの想い。 欲だけではなく、求める気持ち。 ひときわ甘い声の上がる場所を重点的に攻め、お互いの熱を高め、アルフォンスはエドワードの一番深い場所に触れた。 怯えたように強張った頬に、キスを落とす。 「兄さん、ねぇ、欲しがっていい? 傷つけてしまうかもしれないけど……、ボクもそれが怖いけど、でも、もっと触れたい。触れて、繋がって、共有したいよ、このどうしよもない熱を」 暗闇の中で、エドワードの顔を見下ろしながら、アルフォンスは言った。 静かに見つめ返してくる金色の瞳は、熱に潤んでいながら、凪いでいるように思える。 そうっと。 まるで聖職者が手を差し伸べてでもいるかのような仕草で、エドワードの腕がアルフォンスに伸ばされた。 慈しむ動きでアルフォンスの髪を掻きあげる指に、目を細めた。 引き返せない熱情を孕んだ夜の静寂とは真逆の、その静かな指の動きに、けれど熱がおさまる気配はない。 アルフォンスの熱を諌めるための仕草ではないからだ。 求めに応じるための。許容するための、愛撫。 夜の熱を壊さない密やかさで、エドワードの声が音を紡いだ。 「アルが齎す痛みなら。お前がくれるなら、それがどんなにひどい傷でも、痛みでも、快楽でも……なんでも、オレが望んで受け入れるんだ。だから、アル。……言っただろ、躊躇わなくていいんだ」 求めるままに。望むままに。 密やかな声音のまま続けられた言葉に、泣きそうになった。 深く息を吸って、吐き出して、 「うん」 と、ただ頷いた。 どんな言葉も思い浮かばなかった。 だから、言葉のかわりにキスを返した。 笑みを浮かべてアルフォンスを見つめてくれている、エドワードの額にそっと触れるだけの。 面映そうに笑みを浮かべたエドワードの気配を感じながら、アルフォンスは最奥の熱に触れる。 甘く掠れた吐息。それから荒い息遣い。 濃密な空気と、熱すぎる熱に思考を奪われそうになりながら、アルフォンスはエドワードを快楽の高みへと押し上げ、そして、自らも高みを目指した。 やがて、エドワードが、今まで聞いたことのない甘く掠れた高い声を上げ、自らの欲を解放し、エドワードの中の締め付けに促されるように、アルフォンスも自身の欲をエドワードの中に解放した。 ふたりぶんの荒い息が、夜の中、静かに、ゆっくりと溶けていくのを聞きながら、アルフォンスは、甘く、けれどどこかくすぐったそうに見つめてくるエドワードの唇に、触れるだけの口付けを落とした。 そして。 いつもアルフォンスを抱きしめてくれる最愛の人を強く抱きしめ、変わらない温もりに満足そうに息をついて、もう一度触れるだけの口づけを、交し合った。 END |
アルエドリクエスト創作 お題「お初」
見事に玉砕しました。
こんなんですみません(土下座)