〜微笑みにして


 きれいなもの。
 可愛らしいもの。
 思わず顔が綻んだり、微笑んでしまったり、そういった優しいもの見つけるたび、知るたびに、一緒に見たいと思う。
 たくさんの、同じ思い出をつくりたいと思う。
 一度は終えた命が紡いでいた過去を、振り返るんじゃなく。
 いま生きている時間を、未来を、まっすぐに見つめたい。
 出会った、あなたと。



 そっと、壊れ物を扱うみたいな、そんな触れ方。
 ちょっと困ったように微笑んで、躊躇いを残した腕に包まれる。
 包まれた瞬間、音が消えた。
 時間が止まった。
「おだんご」
 囁くように掠れた声で呼ばれる、特別な愛称。
 それだけで、こんなにも胸が痛くなって、切なくなって。温かくなって、嬉しくなって、複雑な気持ちでいっぱいになる。
 言葉でも、抱きしめ返す腕でも、伝えきれない気持ちが渦巻いて、どうしようもなくて。
 背中に回した腕に力を込める。
 そんなことしかできない。
 こんなときにその呼び方は、ちょっとずるいと思う。
 だって、ねぇ、どうすればいいのか迷うよ。
 とくん、とくん。
 優しいリズムを刻む鼓動に、瞳を閉じて耳を傾けた、一瞬。
 一番、安心する。
 どんなに怖いものがきたって、平気。
 どんなに辛いことが起きても、平気。
 立てるよ。
 ちゃんと、立って、戦える。
 泣いても、嫌になるくらい非力さを思い知らされても、立って戦える。怖い気持ちを、乗り越えて戦える。
 あなたが、わたしを信じ続けてくれる限り。負けないよ。
「はるかさん」
 そっと呼んだ名前。
 あなたが、誰でもいい。なんでもいい。
「はるかさん」
 わたしの大事な人であればいい。
 宿命なんて知らない。
 決まった運命だとか、未来だとか、関係ないよ。
「はるかさん!」
 呼ぶたびに、強まる力。
 深く抱き込まれて。
 悲しいほど掠れた声が耳に注ぎ込まれる。
「おだんご、もう、いいよ。辛いなら……もう、いい……から。ボクらが守るよ、プリンセス。ボクが、守るよ、キミを」
 命も、心も。キミというすべて。だから、逃げていいよ。
 綺麗な旋律を連想する声で言われて、思わず涙が零れた。
 ねぇ、そんなのダメだよ。そんなこと、言わないで。
 そう言おうと思って唇を開きかけたけれど、声は出せなかった。
 抱きすくめられた体に伝わる、強い振動。衝撃。
 夢中で、しがみついた。
 離れたくない。離されたくない。離したくない。
 ぎゅっと、強く閉じた瞼を通して広がる光。
 乱れる、リズム。
 耳が捉えたそれに、心臓が凍りつきそうになった。
 息が止まった。
「……、はるかさんっ!」
 声を張り上げるのと同時に、
「大丈夫」
 平静を装った声が聞こえた。
 安心は、だけど、一瞬だけだった。
「うさぎ! はるか!」
「逃げてっ!」
 みんなの悲鳴みたいな声が聞こえるのと、二度目の衝撃。どっちが早かったのか、わたしには判らなかった。
 判ったのは、はるかさんの言葉だけだった。
 好きだよ、って、いつもと変わらないからかい調子。でもいつも優しい音で響いている。
 ちゃんと守るから、生きて。いつもは言わない言葉を綴られて、涙が止まらなくなった。
「嫌だよ、ダメだよ、はるかさん! そんなこと言わないで? わたしを守るって言うなら、わたしをひとりにするようなこと言わないで!」
 今度はちゃんと出た声で、叫ぶように言った。
 荒い呼吸。
 ときおり、呻くように漏れる声。
 抱きしめてくれる腕の強さに騙されそうになる。だけど、騙されない。
「ねぇ、はるかさん。ふたりで笑っている未来がいいよ。最期が訪れるときは、ふたりで笑っている姿を思い出して、逝きたいよ」
 どうしようもなく、怖い。
 失いたくない。
 ここで、失いたくない。
 やっと、やっと、出会えたの。決まった未来を、一緒に壊してくれる人。
「お願い、銀水晶」
 すべての願いを叶えて、くれるよね?
 ダメ、って、誰かの声が聞こえたけど。聞こえた気がしたけど……構っている余裕はなかった。
 守りたい、って、そんな自分の願いしか、思いつかなかった。
「お願いだから」
 どんなときでも。
 いつでも、思い出す表情は微笑みがいい。
 厳しく怒った表情や、困った顔や、悲しそうな顔。どんな顔を思い出しても、最後の、最期は微笑みにして。
 まばゆい光が発動した世界で、ただ、それだけを願った。

                                   END