Prism color


 淡い光。
 頼りない光の中、それでも、迷いのない足取りで歩く背中に、ついて行く。
 闇に沈んだ、夜の世界。
 その中の、唯一の、光。鮮やかな色。
 きれいで鮮烈な印象。
 太陽の光を受けた剣の、切っ先に生まれるプリズムのような。
「疲れた? おだんご?」
 いつもは厳しいことばかり言う人が、ふたりきりのときは信じられないくらいに甘い。
 本当に、どうしていいのか判らないくらい、優しくて、甘くて。
「ううん、平気だよ」
 ゆっくりと首を振って、うさぎは立ち止まったはるかの隣に並んだ。
 はるかを見上げて、うさぎは「えへへ」と笑った。
 そっと伸ばした指先を、はるかの指に絡める。
 一瞬、とても驚いた顔をしたはるかは、すぐに優しく笑って、絡めた指先に少しだけ力を込めてくれた。
 手を繋ぐより頼りないけれど、指先と指先だけを絡めて、うさぎとはるかは月明かりに照らされた世界を歩いた。
「ねぇ、はるかさん」
 月明かりが頼りないせいか、周囲の闇が濃い。
 それでも、うさぎは怖いとは思わなかった。
 はるかがいてくれるだけで。それだけで、怖いと思わなくなった。
 怖くても、平気。大丈夫。まっすぐに未来を見据えてやるんだと、そう思えるようになった。
 うさぎの甘えを、はるかは許さない人だったからだ。
 辛くても、悲しくても、それを乗り越えられないプリンセスならいなくてもいいと、はっきりと言う人だった。
 最初は、そんなはるかに反発を覚えたけれど。戸惑いを覚えたけれど、時が経ち、はるかを良く知るようになって。
 守られるばかりの。甘やかされてばかりいる自分に気づいて、ああ、これじゃあダメだと気づいた。
 友人たちに、衛に甘やかされて、守られて。
 みんなを守ると言いながらも、守ってくれる人が傍にいないと立ち向かわない、そんな狡さを自覚した。
「はるかさん、ありがとう」
 うさぎがそう言うと、はるかが不思議そうな顔をした。
 はるかが歩みを止めたから、自然とうさぎも歩く足を止めた。
 そして、向かい合う。
「おだんご?」
 ゆっくりと瞬きを繰り返すはるかは、何を思ったのか、厳しい顔つきになってうさぎを睨むように見据えた。
「なにを考えているのかな、プリンセス」
「え?」
「まさか、自分を犠牲にしようだなんて考えてないだろうね?」
「えぇ、まさか! ちがうよ、はるかさん」
 うさぎはぶんぶんと首を振って、はるかの言葉を否定した。
 けれどもはるかの表情は厳しいままで、うさぎはどうしようと思う。
「だったら、どうして急にお礼なんて言うのかな? まるで別れの言葉に聞こえるよ」
 厳しい声のまま、はるかが言った。
 そんなつもりはなかったけれど、うさぎは自分の間の悪さを呪いながら、口を開いた。
 どうかはるかの誤解が解けますように。そう、願いつつ。
「ええっと、あのね、はるかさん。いま言った『ありがとう』は、わたしと一緒にいてくれることに対してなの」
 意味が判らないと、はるかが眉を顰めた。
 うさぎは、一生懸命言葉を綴る。
「わたし、考えが甘いでしょう? はるかさんたちみたいに、毅然とした考えを持っていないでしょう?」
 うさぎの言葉に少し考えて、はるかは「そうだね」と苦笑混じりに頷いた。
「未来のことより、目先のことにばかりとらわれて。でも、そんなわたしの傍に、はるかさん、いてくれるから。だから、ありがとうって言いたいなって」
 見捨てられても仕方がないことが、過去に、何度もあった。
 はるかだけじゃなく、みんなを犠牲にしかけたこともあった。
 今思い出しただけでもぞっとする。
 大切な人たちを、はるかを失いかけた恐怖。
 うさぎは体を振るわせた。
 指先から、震えが伝わったのだろうか。
 はるかがうさぎを抱き寄せてくれた。
 規則的なリズムに、うさぎは安心する。
 はるかの鼓動に、目を閉じた。
 柔らかな腕の拘束。
 もう、この拘束から逃れられない。振り切れない。
 それが決められた未来を壊すことになると知っていても。
「はるかさんに出会えて、良かった」
 もう何度となく伝えた言葉を口にすると、はるかが小さく笑った。
「おだんごはそればっかりだね」
 揶揄を含んだ声が、おかしそうに言う。
「そう? でも、本当にそう思うんだもん」
「そう思ってもらえて、僕は嬉しいけどね」
 柔らかく、優しい声が包み込むように言った。
 そして、ゆっくりと離れていく体温。
 名残惜しいなと思いながら、うさぎははるかを見上げた。
 中世的に整った顔を、少しばかり仰ぎ見る。
 悪戯っぽい瞳が、うさぎに視線を合わせて笑った。
「さて、お姫様。そろそろ行くとしようか?」
「うん」
 もう一度指先を絡めて、うさぎははるかと肩を並べて歩き出した。
 目指す場所は、もう少し先。
 冷えた空気が、火照った肌を優しく慰撫する。
 絡めた指先が温かい。
 ちらちらとはるかを盗み見ながら、うさぎは足を進めた。
 数分ほど歩くと、目的地が見えてきた。
 はるかと視線を合わせて、笑う。
 自然と心が弾んだからだ。
 はるかの歩みも速まった。
 頼りない月光の中、それでもひろく開けた視界。その、遥か眼下に、薄闇に浮かんだ、光。
 月光に淡く浮かんだ、水晶宮。
 未来のキングとクイーン、そして、セーラー戦士たちがいる場所。
 ひどいことをしているんだと、解っている。
 全てに対する、これは裏切り。
 それでも、心は偽れなかった。
「ばいばい」
 うさぎは、すべての感情を込めて呟いた。
 眼下に広がるすべてが、ゆっくりと揺らぎ始めた。
 崩壊の始まり。
 そして、新しい未来の、はじまり。
 うさぎとはるかの視界の先で、決められた未来が陽炎のように消えた。
 頼りない月明かりの中に、うさぎとはるかの姿だけが照らし出されている。
 他には、なにもない。
 ただ、眠る世界があるだけだ。
「いまごろ大騒ぎしてるだろうね、みんな」
 きっと、あの小さなレディも姿を消した。
 時の番人たるプルートの口から、真実が語られたことだろう。
 帰ってから落ちる雷の多さにうんざりしながらうさぎが言うと、はるかは悪戯っぽく笑って言った。
「だったら、みんなの怒りが収まるまで、新婚旅行でもしようか?」
「……新婚旅行」
 すごいことをさらりと言うなぁ、なんて感心しながら、うさぎは微笑んだ。
 そして、歩き出す。
 後ろは振り返らずに。
 壊した未来の残骸を、胸に抱きしめて。
 そして、あの美しく輝いた未来より、もっときれいに輝いている未来を、はるかと一緒に作り上げて行くのだと心に決めながら。


                                  END