Sweet & Bitter 2


「はい、はるかさん!」
「お帰りなさい」の言葉ももらわないうちから、満面の笑みで渡された小箱に目を落として、はるかは困惑した。
 そろりと視線を動かして、うさぎを見つめ、小首を傾げる。
「おだんご?」
 問いかけるように愛称を口にしても、目の前の愛しいプリンセスはなにも答えず、ただにこにこと笑みを浮かべたまま、「受け取って」と小箱を差し出すばかり。
 いっそう困惑を深めて、はるかは差し出された小箱にもう一度視線を落とした。
 いったいこれはなんだろう?
 うさぎからの贈り物だということはわかるけれど、今日が誕生日なわけでもないはるかには、その贈り物を差し出される理由が思いつかない。
「あら、いいわね、はるか」
 それまで黙って傍らに立っていたみちるが、珍しく、本当に羨ましそうに呟いた。
 はるかは小箱からみちるへと視線を移し、見つめた。
 みちるにはこれの意味が判るのだろうか?
 そんな無言の問いかけは、長年の相棒にちゃんと伝わったらしい。
 みちるがあきれ果てた顔つきで、はるかを見返した。
 相棒と視線が交わったのは、わずか一秒。
 はるかからすぐさま視線をはずしたみちるは、はるかの目の前に立つ年下の少女に向き直って、言った。
「うさぎ、はるかに渡すことなんてなくってよ」
「おかえりなさい、みちるさん」
「ただいま」
 にこりと笑ったうさぎに笑顔で挨拶を返すと、相棒は真面目な顔でもう一度、言った。
「はるかはいらないみたいだから、わたしがそれを頂いてもいいかしら?」
「ええ!?」
 みちるの言い分に、はるかの眉間に自然と皺が寄った。
 うさぎは驚いたように声を上げて、少しだけ困ったように首を傾げている。
「……んー、ええと……えー、どうしようかなぁ?」
 迷うようにうんうんと唸っている姿は微笑ましくて、かわいいと思うけれど、はるかはその姿を悠長に堪能していられる心境じゃなかった。
 うさぎの手の中の小箱。
 それはうさぎが、はるかのために用意したもの。
 それなのに、うさぎはそれをみちるに渡そうかどうかと悩んでいるのだ。
「ちょっと待って、おだんご」
 そう声をかけようとはるかが唇を動かすと同時に、みちるも唇を動かして、はるかの制止の声を遮った。
 邪魔をしているとしか思えないタイミングに、はるかは思わず小さな舌打ちをしてしまった。
 そんなはるかをちらりと見たみちるが、少し意地悪そうに笑ったのは、きっと気のせいでもなんでもない。
 はるかは眉間の皺を深くして、うさぎにはそうと悟られないよう、相棒を睨みつけた。
 睨みつけるはるかを無視して、みちるがうさぎに声をかける。
「うさぎ?」
「んー、うん、……やっぱり、ダメ。ごめんね、みちるさん。これははるかさんのために用意したものだから、みちるさんにはあげられないよ」
「あら、ダメなの?」
「うん。はるかさんのために用意したものをみちるさんに渡すなんて、そんな失礼なことできないよ」
「わたしは気にしないわよ?」
「ダメだよ!」
「残念だわ」
 深く、深く溜息をついて、みちるが残念そうに表情を曇らせた。
 はるかが口を挟む間もないやりとりは、束の間の沈黙をおいて、再開された。
 ふたりともはるかの存在など、すっかり蚊帳の外に置いている。
 うさぎはみちるとの会話に夢中になっていて、きっと無意識で、――それはそれではるかを落ち込ませるのだけれど――、みちるは意識的にはるかの存在を排除しているに違いない。
 面白くない気持ちを抱え込んだまま、はるかはふたりの会話が収束するのを待つことにした。
 会話に割り込もうとしても、どうせみちるがわざと邪魔をするに決まっているのだ。
 みちるの気が済むまで口を閉じているほうが、よけいな苛立ちを感じなくて済むというものだろう。
 これが、有無を言わせない雰囲気を放っているときの、相棒との付き合いかただ。
 諦めを含んだ悟りの境地に近いな、などと考えながら、はるかはおとなしく、ふたりの会話に耳を傾けていた。
「ごめんね、みちるさん。でも、安心して! 実は、みちるさんの分も用意してあるから――――はい、これ」
「え? うさぎ……あいかわらず優しい子ね……ありがとう」
 感激して目元を緩めた相棒が、にこりと笑ってうさぎの頭を撫でた。
 うっかり抱きしめそうな雰囲気を漂わせている相棒に、はるかははらはらしてしまう。
 そんなはるかの苛立ちを感じとったのか、みちるがちらりとはるかを見た。
「はるか」
「なに?」
 みちるの呼びかけに返す声は、隠しようもないほど剣を含んだものになった。
 なにか言いたげにみちるが渋面を作ったけれど、溜息ひとつでそれを押さえ込んだらしい相棒は、平坦な口調をはるかに向けて言った。
「うさぎに免じて、今日はこのまま黙って消えてあげるけれど、次にも今日みたいな間抜けなことをするなら、容赦しないわよ?」
「――肝に銘じて」
 まだ、うさぎの手の中の小箱の意味は解らないままだけれど、はるかはみちるの迫力に気圧されるようにそう答えた。
「手のかかる相棒ね」
 溜息混じりの呟きを落としたみちるに、はるかの体が押された。
 不意を突かれて、はるかはよろめくようにうさぎの前に、一歩、近づいた。
「まだ解っていないようだから教えてあげるけれど。はるか、今日はバレンタインよ。
 うさぎ、これ、ありがとう。帰ってからいただくわね」
「うん、みちるさん! 気をつけて帰ってね?」
「ええ。うさぎも気をつけて? ホワイトデーのお返し、期待してて頂戴」
「えぇっ!? 気を使わないでね、みちるさん!」
「ふふ。ごきげんよう、うさぎ。はるかも、ごきげんよう?」
 意味深な微笑を残して去って行くみちるの背中を、はるかは呆然と見送った。
 凛と伸ばされた背筋が人ごみに紛れて消えた頃、はるかは「はるかさん?」と遠慮がちにかけられたうさぎの声で、我に返った。
 我ながら情けない失態を続けているな、と、内心で溜息を零しながら、はるかはうさぎに向き直った。
「ごめん、おだんご」
 謝ると、うさぎの大きな瞳が不思議そうに瞬きを繰り返した。
「バレンタイン、忘れていたんだ」
「仕方ないよ。はるかさん、さっきまでみちるさんの海外公演に付き合っていて、日にちの感覚も、時間の感覚もなかったんでしょ?」
「格好悪いことにね」
 ひょいと肩を竦めて、はるかは苦笑を零した。
 本当に格好悪い。
 みちるの海外公演に付き合うのは、今回が初めてではないのに、どうして今回に限って時差ぼけなんて起こしてしまったのだろう。
 情けないところなんて、うさぎに見せたくなかったのに。
「格好悪くなんてないよ。時差ぼけを起こすのは、良くあることなんでしょ?」
「まぁね」
「格好悪くなんてないよ」
 念を押すようにうさぎがそう言って、するりと、自然にはるかの腕に腕を絡ませてきた。
 そしてはるかを見上げて、片手に持った小箱をはるかに差し出した。
 はるかは極上の笑みを浮かべて、うさぎの手からそれを受け取る。
「ありがとう、おだんご」
 受け取った小箱を愛しげに見つめていたはるかは、ふと、まだもらっていない言葉があることを思い出した。
「おだんご」
「うん? なぁに、はるかさん?」
「ただいま」
「おかえりなさい。お疲れ様」
 労わる言葉が嬉しくて。
 あとで目の前のプリンセスに怒られるかもしれないと思ったけれど、どうしても、どうしても触れたくて。
 触れずにはいられなくて。
 はるかはうさぎの唇に触れた。
 ロビーに広がった、驚いたようなざわめきには、あえて聞こえないフリを決め込んで。

                                 END