〜ぬくもり

 そうっと音を立てずに開いた窓の隙間から忍び込んだ、風。
 その冷たさに、うさぎはぶるりと身を震わせた。
 つい数日前までは暑いと感じるくらいだったのに、月が変わった瞬間に、いっきに空気が冷たくなった。
 肌を刺すような冷たさを含んだ空気。けれど、うさぎはその冷たさに頓着せず、ベランダへと出た。
 冬の澄んだ空を見上げる。
 漆黒の闇に瞬く星がとても綺麗だと思いながら見つめていると、背後から温かな腕に抱きしめられた。
「風邪を引いてしまうよ、おだんご」
 うさぎの行動を咎めるような声音に、うさぎは「うん」と生返事を返す。
 返事は返すけれど、うさぎは部屋に戻ろうとしなかった。
 抱きしめてくれるはるかの腕の温かさに身を預けたまま、空を見上げ続ける。
 吐き出す息の白さが、夜闇の中に溶けて消える。
「おだんご?」
 困ったようなはるかの呼びかけに、うさぎはまた「うん」と頷いた。頷いて、視線を落とす。
 眼下に広がるイルミネーション。地上の光の洪水。静寂の夜を埋め尽くしてしまうかのように、そして小さな星の輝きを霞ませてしまうように、人工の光は瞬いている。
 ふだんはそんなこと気にならないのに、ふとした瞬間にそれを寂しく思う。
 悲しく思う。
 どうしてそう思うのか、感じるのか、誰かに理由を問われても、うさぎには答えられない。
 うさぎにも判らない感情。
「おだんご、どうしたの?」
 うさぎを抱きしめる腕に力がこめられて、包み込む温かさがいっそう身近に感じられた。
 無意識に、うさぎの唇から吐息が零れ落ちた。
 薄れた寂しさと、悲しさ。
 眼下の光と天上の光を交互に見やって、うさぎは目を細めて微笑んだ。
 寂しかった理由。悲しかった理由。それを、見つけた。
「はるかさん」
 背後の恋人の名前を呼ぶと、
「うん? どうしたの?」
 優しい声が応えてくれた。
 応えてくれる声が嬉しくて、うさぎはほぅっと息をつき、ゆっくりと首を振りながら、「なんでもないよ」と呟くように返す。
「……はるかさん、風邪を引いちゃうね」
 はるかを振り仰ぐように振り返りながらうさぎが言うと、はるかの眉目が顰められた。
 怒ったような口調で
「おだんごのほうが風邪を引くよ」
 そう言われてしまう。
「ぼくは自己管理がしっかりできているし、それなりに鍛えているからね。キミたち女の子より体力もあるから、そうそう風邪なんて引かないんだよ、お姫様」
 そう言うはるかに、部屋の中へ入ろうと促される。
 促されるまま部屋に戻りながら、うさぎは風船のように頬を膨らませた。
「わたしだって平気だもん!」
「へえ?」
 面白そうにはるかが笑う。
「どうして平気なのかな、お姫様?」
 からかうような顔でうさぎを見つめて問いかけるはるかに、うさぎは「ふふ」と小さく笑った。
「だってね、はるかさんが抱きしめてくれるでしょう。温かいの。だから、平気」
 寂しい気持ちも、悲しい気持ちも、全部消えてなくなるくらい、温かい腕で、気持ちで抱きしめてくれるから、平気。
 うさぎはそっと心の中で、そう付け足す。
 人工の光の洪水。
 天上の星の輝き。
 それを映えさせる夜の闇。
 光と闇のコントラスト中、たったひとりのような気持ちが生まれる瞬間に、うさぎの傍にある温もりを思い出させてくれる腕が、抱きしめてくれるから。
 いつも、いつも。
「ぼくは人間カイロ、ってことかな?」
 切なそうに吐息をついたはるかにうさぎは笑った。
「うん、わたし専用の」
「……そういうことを言うと、冬の間中、ずっと抱きしめて放さないよ?」
「うん、いいよ」
 意地悪くそう言うはるかに、うさぎはあっさりと頷いて返した。
 驚いた表情のはるかに、
「だって、わたしが温かいだけだもん」
 無邪気に笑って言うと、「降参」と呟いたはるかが、肩を竦めた。
「ほら、無敵のお姫様、温かいココアを入れてあげるよ。窓を閉めて」
「はぁい」
 幼い子供のような返事を返しながら、うさぎは窓を閉めた。
 ガラス窓の向こう側の、夜の闇。
 夜を霞ませる光の洪水。
 見つめていると、また、寂しさが湧きあがってくるような気がして、うさぎは慌てて振り返った。
 キッチンでお湯を沸かし始めた恋人の姿を見つめる。
 生まれた孤独感を吹き消した、あの温かい腕の中でまどろむことに決めて、うさぎはソファにぽすんと座ると、温かな腕とココアを待った。

                                    END