Valentine day

「はい、はるかさん」
 温かな湯気の立ち上るカップを、うさぎははるかに差し出した。
「ありがとう、おだんご」
 はるかが差し出されたカップを、極上の笑顔を浮かべて受け取る。そして、カップの中身に満足そうに目を細めて、口をつけた。
 はるかがカップに口をつけるのを見たうさぎは、ほっと息をつき、肩の力を抜いた。
 ちょこんと、はるかの隣に座ったうさぎは、けれども、ソファに座ったとたんに大きな溜息を零した。
 溜息が消えてしまわないうちに、
「ごめんね、はるかさん」
 しょんぼりと肩を落としながら、うさぎは謝った。
 うさぎから受け取ったカップの中身を、嬉しそうに飲んでいたはるかは、突然の謝罪に驚いてカップを置いた。
 うさぎに向き直り、驚きを隠さない声で、はるかが問いかけた。
「なにを謝っているのかな、おだんご?」
「だって……」
「だって、なに?」
「失敗しちゃったから」
 悲しそうに目を伏せて、うさぎはぽつりと言った。
 自然と俯いてしまう。
「はるかさんに食べてもらうつもりで作っていたケーキだったのに。本当に、わたしってば不器用で……」
 言いながら、うさぎは分量を間違えてしまったせいでふんわりとは仕上がらなかったチョコレートのスポンジを思いだして、なんだか泣きたい気持ちになった。
 せっかくマコちゃんにレシピを書いてもらったのに。うさぎでも失敗しないで作れそうなレシピだったのに。
 どこでどう間違えたのか、やっぱり料理の才能がないのか、ふわふわと仕上がるはずだったチョコレートのスポンジは、予定よりも少し硬い仕上がりになってしまった。
 今年こそは上手に作ろうと、気をつけていたのに。
 思わず涙目になってしまったうさぎは、
「でも、おだんごの淹れてくれたホットチョコレートを、僕は飲んでいるよ」
 はるかの優しい声に顔を上げた。
「あのね、おだんご」
 言い聞かせるような優しい声に、うさぎは耳を傾ける。
「僕にケーキを作ろうとしてくれた気持ちが、嬉しい。失敗しちゃったかわりに、ホットチョコレートを淹れてくれた、その気持ちが嬉しいよ」
「…………はるかさん、甘やかしすぎだよ」
 不器用だねって、笑ってくれたらいいのにとうさぎは思う。思うのだけれど、はるかは笑わない。
「そうかな? そうなのかもしれないけど……でも、嬉しい気持ちは本当だから」
 にっこり笑って、
「このホットチョコレート、美味しいよ。ありがとう、おだんご」
 はるかが言った。
「手作りじゃなくても、おだんごからバレンタインにチョコレートをもらえたら、それだけで最高に幸せだよ」
 ウィンクつきで言われて、うさぎは苦く笑った。
 うさぎがこれ以上気落ちしないようにと、気を使ってくれているのだ。
「…………ありがと、はるかさん」
 やっぱり甘やかしすぎだと思いながらも感謝の言葉をのべると、はるかの眉が心外そうに跳ね上がった。
「おだんご、嘘じゃないよ。気休めでもない。僕の本心。三十円のチョコレート一個だって嬉しいよ。だってそれは、僕のためだけに用意されたチョコレートだからね。うさぎが僕にくれる本命用なら、それがどんなものだって受け取る。失敗したって言うケーキだって、食べられる」
「はるかさん……」
「だからね、うさぎ」
「はい」
「有名店のチョコだとか、高価なものだとか、手作りだとか、そんなことじゃなくて。バレンタインっていうイベントに、僕のために用意してくれる気持ちが嬉しいんだから。ホットチョコレートで十分。落ち込まなくていいよ」
「…………うん」
 はるかの言葉は、とても嬉しい言葉だった。
 落ち込んでいるうさぎを慰める、それ以上の気持ちが、確かに込められている。それが十分に伝わってくる。
 だけど、と、うさぎは思う。
 はるかがどんなに言葉をくれても。それがとっても嬉しくても、うさぎ自身が納得できない。
 はるかの言葉に頷いたうさぎの気持ちは、きっと、はるかにはわかってしまったのだろう。
 仕方がなさそうにはるかが苦笑した。
「ねぇ、おだんご」
 悪戯っぽいはるかの声に呼びかけられたうさぎは、
「なぁに?」
 とはるかを見返した。
「納得できないなら、じゃあ、こうしよう」
 妙案を思いついたと言いたげなはるかの表情に、うさぎは首を傾げた。
 なにを思いついたのか、はるかの顔はとても楽しげだった。
「キスが欲しいな」
「え?」
「うさぎから、キスしてよ。失敗してしまったケーキのお詫び。ちゃんとしたチョコレートを用意できなかったお詫びってことで」
「キス?」
「うん、そう。キス」
「わたしが、はるかさんに?」
 うさぎが驚いた声を上げると、はるかは楽しそうに「うん」と頷いた。
 戸惑ううさぎに、
「譲歩はしてあげるよ。唇じゃなくてもいい。どこでもいいよ」
 はるかにそう言われて、うさぎは金魚のように口をぱくぱくさせた。
 唇じゃなくてもいい。どこでもいいと言われたからって、簡単にできることじゃない。
 恥ずかしさに硬直していると、
「うさぎ?」
 はるかの声が急かすように名前を呼んだ。
「キスもくれないのかな、お姫様?」
「意地悪……」
「心外だね。妥協案だよ」
 くすくすとはるかは楽しそうに笑うばかりだ。
 うさぎはしばらくうんうんと唸って、迷っていたけれど、「うさぎ」と優しく名前を呼ばれて、諦めの溜息を吐いた。
 そして、ちょっとだけ上体を伸ばして、楽しそうに笑っているはるかの頬に、ちょんと、触れるだけのキスをした。
「来年こそは、絶対に、手作りのものを渡すね、はるかさん。だいすき」
「期待して待っているよ、愛しい僕のプリンセス」
 囁くように告げたうさぎに、はるかが優しい優しい笑顔を返してくれた。

                          END