硝子の花 遠い日に見かけた君は、近づくことも出来ないくらい遠い人だった。 けれど、今は、僕の腕の中でまどろむ人。 転生、というものを、あの頃の僕は、まったく信じていなかった。 信じるほど子供っぽくはなかったし、夢見がちだったわけでもなかった。 生まれ変わるなんて、そんなことは馬鹿馬鹿しいと切り捨ててさえいた。 けれど、あの憧れてやまない月の王国が瓦解し、月の住人ごと消えてなくなったと聞いたとき、初めて、必ず僕は生まれ変わって、今度こそあのふわふわとしたプリンセスを守るのだと、心に決めた。 あれからいったいどれだけの時間が流れたのか、正直僕には判らないけれど、転生など信じていなかった僕の願いは叶い、想うという気持ちは彼らの――次こそ必ず共に生きようと誓っただろう願いさえ凌駕した。 幼く、ふわふわとした月のプリンセスは、今は僕の腕の中、歪められた未来に、けれど欠片も不安を覚えることもなく幸せそうに微笑を浮かべてまどろんでいる。 「おだんご」 夢現にまどろんでいる少女の愛称を、そっと耳に落とす。 腕の中、眠そうな顔のうさぎが小さい子がぐずるように身じろぎした。 「んー」 ちょっとだけ僕の呼びかけに抗議するように顔を顰めて、僕の呼びかけから逃げるように、隠れるように、僕の胸に顔を押し付けた。 「おだんご」 もう一度、苦笑混じりに呼びかける。 「ほら、そろそろ午睡から起きな。いいかげんみんなを迎える準備をしよう」 「んー、ぅん、もぅそんな時間?」 舌足らずな言葉で、もぞもぞとうさぎが動く。 そしてぼんやりと起き上がったうさぎの長い髪が、好き勝手に乱れているのに笑いながら僕もベッドから起き上がり、指でその髪を梳いた。 さらさらと触り心地良い髪が、指をすり抜けるように零れる。 「ご機嫌いかがですか、プリンセス?」 おどけたように言いながら、僕はまだ眠そうなうさぎの頬にキスを落とす。 「うん、ご機嫌」 にこりと、幼い子供のような笑顔でうさぎが言って、華奢な体を僕に預けるように腕の中に飛び込んできた。 「おだんご……」 また眠るつもりなのかと、少しの非難を込めて名前を呼ぶと、くすくすと笑い出す。僕の腕の中、細いうさぎの肩が、笑うたびにかすかに揺れる。 「こら」 じゃれてくる無邪気な恋人の体を、けれど、僕は突き放せなくて、結局、甘やかすように抱き締める。 「間に合わなかったら怒られるんだけど」 うさぎの温もりを腕の中に収めたまま、それでも冷ややかな嫌味を言う相棒の顔を思いだしつつ、憔悴した声で訴えかけるように言えば、 「平気」 なにを根拠に言っているのか、暢気で楽観的な返事が返された。 「みちるさん、優しいから怒らないよ。それにお茶も美味しいお茶を用意してくれるって言っていたよ。お菓子はまこちゃんが用意してくれるし」 みちるさんが用意してくれるお茶も、まこちゃんのお菓子も美味しいから楽しみ。 綿菓子みたいな甘い声で、うさぎが言う。 僕はこっそり溜息を零した。 そりゃみちるはうさぎのこと気に入っているから、うさぎには甘いし、優しい。けれど、僕には結構容赦がなかったりする。 「その優しいみちるが気に入るようなポットとカップの用意くらい、しておきたいんだけど」 「みちるさんが来てから、一緒に選ぶからいいよ」 さらりと返された言葉の後、不意に、うさぎが僕の腕から抜け出した。 「あ、そうだ! みちるさんが来るまでに、顔を洗っておこう!」 ぱたぱたと軽やかに部屋を出て行く背中に、僕は声をかけた。 「……カップ、みちると一緒に選ぶの?」 今日のアフター・ヌーン・パーティーのホストとホステスは、確か僕とうさぎではなかっただろうか。 疑問を感じながらの問いかけに、足を止めて少しだけ振り返ったうさぎは、にっこり笑って頷いた。 「うん! みちるさんが一緒に選びましょうね、って! だからみんなより少しだけ早く来るって! 忘れてた。起こしてくれてありがとう、はるかさん!」 明るい声で言って、うさぎが部屋を出て行く。 足取り軽く部屋を出て行った恋人の背中をぼんやりと見つめながら、僕は、深く溜息をついた。 「次に生まれ変わるときは、誰よりも早く君を見つけて、誰にも見られないよう、触れられないよう、その笑顔ごとどこかに閉じ込めてしまおうか」 昏い願望を、半ば本気で口にして。 けれど、きっと、そんな願いは、騒がしくも頼もしい仲間たちに打ち砕かれてしまうんだろう、と、自嘲する。 特別な立場を獲得しても、誰もが愛するプリンセスを独占することなどできないだろう。 あの優しい光をもつ少女を、闇の中に閉じ込めることも出来ない。閉じ込めたところで、彼女の輝きを増させるだけ。 叶えても仕方のない願いを抱くのは、虚しいだけだ。 「次の転生のときも、甘い恋人の立場を射止められるように、と願うに留めておくかな」 この地球のプリンスは、次はどう出てくるだろう。 ちらりとそんなことを頭の隅で考えたけれど、今は考えても仕方がない、ずっと、ずっと、ずっと先の――果てない未来のことだと、苦笑を零したところで、ドアチャイムの音が響き渡った。 「あれもある意味ライバル、か」 次の転生のときはいったいどうなっていることやら。 ちゃっかり一番の親友の位置に納まっていそうだと、あながち間違っていないんじゃないかと思える予想をしながら、僕は僕の相棒を迎え入れる恋人の声を聞きながら、部屋を出た。 終 |
10万Hit小説三弾目は、はるうさです。
いつも来てくださる方に感謝を込めて。
でもみちるさんが美味しいところを持っていく
展開のような(苦笑)。