〜めぐり逢う世界 未来はひとつだけだと、ずっと、思っていた。 出会った瞬間は、運命なんてもの、感じもしなかった。 ただ、やけに気になる、とは思った。 中学生独特の幼さと、落ち着きのない騒がしさ。普段だったら遠ざける類の、元気で騒がしい明るさ。 夏の向日葵のような、とはありふれた例えで、けれど、その表現が一番しっくりくる空気と表情を持った少女に、なぜ近づいてみようと思ったのか、その理由はいまだに説明できない。 無意識。本能、あるいは衝動、というものだったのかもしれない。 気がつけば、近づいていた。声をかけていた。 傍にいたいと――きっと、心の奥底で思っていた。 自分では、気づいていなかったのだけれど。 「それは一目惚れというものじゃなくって?」 過去から定められていた、孤独を分かち合う相棒の、揶揄をたっぷり含んだ物言いに眉を潜めつつ、無言でカップを傾けた遠い日を思い出して、思わず顔を顰める。 あの時、なにかを言い返そうとして、けれど反論の言葉など思いつかず、誤魔化すように紅茶を飲んだんだった。 今でも。あの日から時を重ねた今でも、相棒の言葉に納得しつつも、反発する心が確かにある。 一目惚れ、という言葉はどうもしっくりこない。そんな気がするのだ。 他にどんな言葉があるのかと問われれば、答えられはしないのだけれど。 「一目惚れじゃないというのなら、じゃあ、はるか。それは前世の後悔の気持ちが、あなたを突き動かしているのかしら?」 守れなかった月の王女の生まれ変わりである少女を見つめる、僕の眼差しを揶揄するわけではなく、冷静に、僕より正確に僕の感情を見定めるような眼差しで僕を見つめながら、相棒はそう言ったことがあった。 その問いかけにも、僕は、答える言葉を持たなかった。 今も、持っていない。 相棒の問いかけのどれにも、そして自分自身の中にある疑問にも、いまだに答えられない僕を、相棒は仕方なさそうに見守っていてくれているけれど。 「はるかさん」 心配そうに。けれど、甘い音を残した声に呼ばれて、僕はゆっくりと瞬きをする。 焦点をあわせた先に、大きな、瞳。 「はるかさん、難しいことを考えてる? ここに皺が寄ってるよ」 言いながら、柔らかな指先が僕の眉間に触れる。 労わるような触れ方は優しくて、心地好くて、ゆっくりと瞼を落とす。 指先から伝わる熱に心を預けるように、しばらく瞼を落としていると、小さく笑う気配。 くすくす。笑いながら、うさぎの指先が、僕の前髪を優しく掻き上げた。 それから、そっと、触れて離れた、指先とは違う柔らかな感触。 キスをくれるなんて珍しいなと思っていると、 「はるかさんが甘えてくれるなんて、珍しいね」 うさぎが嬉しそうに囁きを落としてきた。 僕はいつだってキミに甘えているよ、とは、言葉にしない。心の中で呟く。 「ねぇ、はるかさん」 「なに?」 僕の隣に腰を落ち着けた甘い熱を、目を閉じたまま感じる。 甘えて絡められた腕。 左にかかる重み。 服を通して伝わる体温。 それだけで、僕のすべては呆気なく攫われてしまう。 「あのね、わたし、未来はひとつだけだと思ってた」 ぽつりと零すような呟きに、僅かな罪悪感が宿っているように思えるのは、未来を変えた僕の罪悪感が見せる錯覚かもしれない。 「ちびうさが目の前に現れて、未来を知って、わたし、未来は決まっちゃったんだって思ってた。……大好きだった人との未来、嬉しかったよ」 うさぎの正直な気持ちは、時に、とても残酷で、胸が軋む。 頼むから、黙って。言いたくなる気持ちを、押し殺す。 温もりは、いま、僕の傍らに在って。 笑顔は、僕に向けられているから、不安に思うことも、嫉妬を伝える必要もない。 彼女の中で、彼の王子の存在は過去になっている。彼女は過去から、現在への気持ちを、思いを、語ろうとしていると解っているから。 「でもね、はるかさんに会って、はじめて、未来が決まってること、悔しいって思ったよ。わたし、いろんな可能性を、未来を、ただ見送るだけなんだって、思った。もどかしかった。運命って言葉が嫌だって思った。……はるかさんが使命だって言う度に、どうしてって思った」 「どうして?」 「うん。どうして、手を伸ばせないの、って。こんなにも焦がれているのに。どうしようもなく、惹かれているのに。出会ってしまったのに、どうしてわたし、過去をなぞらえなくちゃいけないの。 はるかさんの、使命だけでわたしを守るって言う言葉が痛かった。――それだけなの? って。たったそれだけの繋がりしか、持てないの?」 それだけで守っていたわけじゃなかったよ、と、言いたくて、けれど、なぜか言葉は出なかった。 左の肩口にかかる重みを、さらに引き寄せて、抱き締める。 最初は、確かに使命だけだった。 守れなかった、遠い過去。自責の念。後悔。さまざまな感情が渦巻いていた。 今度こそ、と思った。 その思いは強かった。 使命を優先して、尊重することが、彼女を守る、彼女が望むすべてを守ることだと信じていた。 ずっと、そうして生きていたから。 前世では言葉を交わすことどころか、お互いの存在すら知らなかった。関わることを禁じられていた。 外部の戦士は、そうでなくてはいけないと、決められていたから。 けれど、自分だけは転生をしなかった――転生することができなかったのかもしれない――クイーン・セレニティの、いったいどんな思惑が働いたのか。今生では思いがけず出会い、言葉を交わし、近くで守ることを許され、共に戦うことさえした。これはずいぶんなイレギュラーだ。 抱き締めて、綺麗に結わえられた髪を指で梳きながら、僕は言う。 「それだけ――課せられた使命だけが、キミに関わる唯一の術だったんだ」 「……外部の戦士は、月にも地球にも関わってはいけなかった、から?」 「そう。良く覚えていたね」 笑い混じりに言いながら、おでこにキスのご褒美。 子ども扱いにむぅっと子供っぽく膨らんだ頬にも、キスを落とす。 ふたつめのキスに、僕のお姫様はくすぐったそうにはにかんだ。 抱き締めなおして、僕は言葉を紡ぐ。 「出会った頃は、本当に使命だけだった。それだけで僕らは――、僕は動いていた。生まれ変わったプリンセス・セレニティがいるこの地球を、今度こそ、沈黙から、崩壊から守らなくてはいけない。それがプリンセス・セレニティを守ることだと信じていた」 信じるしかなかった。 判らなかったのだ。知らなかったのだ。予想もしていなかった。銀水晶の唯一の後継者が、まさか、戦士として戦っているなどと思いもしていなかったのだ。 守護戦士たちに守られているのだと思っていた。あの頃のように。 幸せに笑っているのだと思っていた。 すべての世界を崩壊に導いても手に入れたかった恋を、叶えて。 傷ついて、泣いて、泣いて。怖いのを我慢して、戦って。それでも誰も傷つけない方法を、誰に非難されようと貫いている姿は痛々しくて。 手を伸ばして、抱き締めたかった。傍で支えたかった。守りたかった。他の誰より先に。 そして、笑っていて欲しかった。 世界中の誰よりも、幸せに。 あの陽だまりのような。見ているだけで、思わず強張りがほどけてしまうような笑顔を、いつだって浮かべていて欲しかった。 無意識に、僕の中の何か――きっとウラヌスだ――が、彼女こそがプリンセス・セレニティだと確信していた。 だから、かもしれない。 本来なら関わりあいたくないはずだった類の彼女に、近づいたのは。 深く関わっていたのは。 でも、きっと、それは本当に最初の頃だけで。 出会って、知り合いになって、深く関わって。彼女の弱さも強さも、甘さも知って。 運命だとか、必然だとか。理屈も理由も因縁も、業も。それこそ前世も、それらはまったく関係なくて。……きっかけ、にはなっていたのだろうけれど。 とにかく、関係のないところで生まれた気持ちは、ただ、好きだと。愛しいと、シンプルな感情だった。 ああ、そうだな、みちる。これは確かに一目惚れといえるのかもしれない。 だって僕は、このお姫様がプリンセス・セレニティだとは知らなかったんだから。 「おだんご」 「なに、はるかさん」 腕の中の温もりを、逃さないように抱き締めなおす。 きっと、思いがけず強く抱き締めてしまったから、痛いだろうに。それなのに健気なお姫様はなにも言わない。 痛いと言われない事に甘えて、温もりを感じながら、僕は囁く。 愛しいお姫様の未来を砕いた、一言を。 「ねぇ、僕のお姫様。ずっとどう言おうか考えていたんだけど、やっぱりいつだってこの言葉しか思い浮かばないよ。好きだよ」 僕の言葉に応えるように、僕を抱き締める細い腕。 それから。 「わたしもはるかさんが大好き!」 誰より一番、大切、と。使命だけでも何でもいいから、ずっと傍にいて。離れないで。遠くに行ってしまわないで、と、小さな声で続けられた言葉に、僕は「もちろん」と囁いて、目を閉じた。 使命だけで傍にいるなんて、もう無理だと知ってしまった。 そんな甘いことを言っていられない。 だってキミの周りには、キミを大切に思う人で一杯。気を抜く暇もない。 けれど、ねぇ、お姫様。そんなことを言って、敵に塩を送るなんてことできない僕は、今日もキミを独占欲で絡め取ってしまおうと思っているんだよ。 薄く薔薇色に色づいた唇を、甘く、塞ぐ。 啄むように。時には、深く。そして奪うような激しさで、くり返す。 僕らの前に幾筋も用意された、未来への道。 いま、僕らがどんな未来に向かって歩んでいるのかなど、知りもしないし、判らない。 たとえどんな未来に繋がっていても、せっかく掴んだこの手を離すなんて、そんな無様な真似はしないと決めているから。 だから、もっと、もっと、僕に溺れて。夢中になって。 僕がキミに縋りつくように、僕に縋りついて。 この甘い時間を邪魔しに来る、キミの守護戦士と僕の相棒には、今日は退散してもらおう。 軽く響いたチャイムの音に、かすかに身じろいだ体を抱きこんで、僕は甘いキスを続けながら、お姫様の両耳を塞いだ。 終 |