気づいたのは偶然じゃない。
 ずっと、キミを見ていたから……。



〜ペイン


 なにかを強く決意した横顔が、綺麗だった。
 その横顔を横目でちらちらと眺め続けながら、気弱なことに、これで最後になるのかもしれない、と、そんなことを考える。
 お互いに、譲れない願いがあった。
 けれど、その願いすら捨てて、お互いが選んだ道。
 そして、過去に何度か交わった道は、また、分岐点を迎えた。
 最後の最後には、同じ道を選ぶと信じて疑っていなかったけれど、それは幻想に終わった。
 結局、最後まで交わることのない相手だったなと思いながら、ロイは、停まった車から降りた。
 先に降りていた子供は、真っ直ぐな瞳でロイを見返した。
 深い悲しみと、痛みと、絶望と、不安。それから、僅かな希望。強い、決意。
 それらをすべて内包した瞳は、とても強い力でロイを惹きつけた。
 こんなときだというのに、ロイは、背筋を伸ばして立つ子供を抱きしめたい衝動に駆られた。
 ずっと、好きだった。
 そう言ったら、目の前の子供はどんな反応をするのだろう。
 呆れるだろうか。それとも呆気に取られるだろうか。目を見開いて、真っ赤な顔をして、「ふざけんな!」と、いつものような調子で怒鳴るかもしれない。
 困るかもしれないし、不審そうな顔をするだけかもしれない。迷惑そうな顔かもしれない。反応を見てみたいなと、そんなことを考えながら、ロイはエドワードの瞳を見返した。
「大佐……」
 呼びかけたものの、エドワードはなにを言えばいいのか判らなくなったように口を閉ざした。
 迷うように。
 あるいは、言葉を探すように、視線をさ迷わせていた。
 ロイはなにも言わず、続く言葉を待っていた。
 黄昏が、濃くなる。
 日が落ちる時間が、少しずつ早まっているなと思いながら、ロイは空を見上げた。
「大佐」
 静かに呼びかけられた。
 ロイはゆっくりと視線をエドワードに戻す。
「――訊いていいか?」
 ためらいを捨てきれない口調で、エドワードがそう言った。
「ああ、私が答えられることなら」
 ロイは、そう言って頷いた。
 エドワードがほっとしたように表情を緩めて、肩の力を抜いた。
「敵討ちなんて、大佐らしくない気がする」
 ストレートな言葉に、ロイは苦笑した。
「キミは知らないだろうが、私は案外、情に篤い人間だよ」
「中佐はそんなこと望んじゃいないだろう? あの人は大佐が頂点に上り詰めることを望んでいた。この国のトップに立つことを望んでいたんだ。復讐なんて、望んでない」
 ああ、知っている。
 ロイは心の中で頷いた。
 知っている。判っている。もし、いま、なにかの奇跡が起こって、死んでしまった親友の声が聞こえたら、怒鳴られること間違いなしの選択を、ロイはした。
 けれど、それには理由がある。
 エドワードには告げないけれど。
 言わないけれど。
「鋼の、ヒューズは、キミたち兄弟が元の体に戻ることも、望んでいたよ」
 エドワードの言葉に答えずそう言うと、子供の顔が悲しそうに歪んだ。
「そんなこと、わかってる」
 力なく呟いて、エドワードが項垂れた。
 エドワードの小さな後悔は、ずっと、消えないだろう。
 ヒューズも望んでくれていた望みを、切り捨てる道。
 これから先、何度も。幾度となくくり返すだろう後悔と、後ろめたさ。
 もういない人に向ける感情を、子供は、また背負うのだろう。
 頼りない姿に手を伸ばそうとして、ロイは思いとどまった。
 ぎゅっと、指先を握りこむ。
 触れられない。
 触れてしまったら、言わずにはいられなくなる。
 言わないと決めた気持ちを、口にしてしまう。
 そして、立ち止まって、動けなくなってしまうだろうことを、ロイは良く判っていた。
 もしそうなってしまったら、意味がないのだ。
「解ってるけど……、決めたんだ」
 しっかりした表情で、エドワードが顔を上げた。
 揺るがない決意の表れた表情は、やはり、綺麗だった。
 ロイは目を細めて、その姿を見つめた。
「そうだな」
 ロイは、それは自分も同じだと頷いた。
 エドワードが苦く笑ったけれど、すぐに真面目な表情になって、唇を開いた。
「大佐がオレたちに中佐の死を教えなかったのは、オレたちが敵討ちをしないように、だろ?」
「あぁ」
「――オレたちには敵討ちをさせないんだな」
「ヒューズがそれを望んでいないからな」
 ロイがそう言うと、エドワードが何かを言いたげな顔をした。
 しかし、エドワードは何も言わなかった。
 言っても、さきほどと同じ言葉を繰り返すだけだと、良く判っているのだろう。
 小さく息をついて、エドワードが肩を竦めた。
 ロイは「それに」と続ける。
「キミは夢よりも大事なことを選び取ったのだろう? 進む道を決めたキミが、ヒューズの敵討ちを取りに行くとは考えられない」
「大佐は……親友だから敵を取りに行くのか?」
「ああ、それもあるな」
「他にも理由があるのか?」
 少しだけ驚いたようにエドワードが言った。
 ロイは頷いて、
「だが、それはキミたちには関係のない理由だ」
 追求を拒むように言った。
 エドワードが一瞬厳しい眼差しを向けたが、すぐに諦めたように目を閉じた。
 次に瞳を開いたとき、エドワードの瞳は、静かな感情だけを宿していた。
 エドワードが飲み込んだもの。
 ロイはそれを考えて、僅かに口角を上げた。
 ヒューズの敵を取りに行くロイに、エドワードは羨ましさを感じたのだろう。
 エドワードにはさせてもらえないこと。できないことをロイはするのだ。
 ロイは瞬きをするよりも少しだけ長い時間、目を閉じた。
 気づいたのは偶然じゃなく、ずっとエドワードを見ていたからだ。
 エドワードがヒューズに向ける感情。
 恋情。
 異性を好きになるのと同じように、エドワードはヒューズを好きだった。そして、ロイも、そういう意味でエドワードを好きだった。
 エドワードの瞳に、ヒューズという存在を組み込んだときのロイの存在が、どのように映っていたのかはわからない。
 ヒューズの親友。
 ヒューズが力になるんだと決めた相手。
 わかるのはそれだけだ。
 ヒューズの傍にいるロイを、羨ましいと思っていたのか、疎ましいと思っていたのか、なんとも思っていなかったのか。
 聞いてみたいけれど、聞く勇気はない。
 エドワードの、ヒューズに対する思いの深さを知るだけのような気がするからだ。
 自分で自分を打ちのめすような行為をする必要は、ない。
 これから強敵に対峙しに行く身であるのだから。
 自分の心のため。
 ヒューズを思うエドワードの心の、少しの、代わりをするために。
 そして、なによりも。
 復讐など。
(私がキミにさせたくはないんだ、鋼の)
 これ以上、ヒューズのために心を動かすエドワードを見たくない。そんなエゴも抱えて、ロイは敵を取りに行くのだ。
 そんなことを知られたいと思わない。
 望むのは、ただ、まっすぐに信じた道を。選んだ道を進んで、そして幸せになってくれたらいい。
 吐き出すことのできない灰汁があることなど、キミは知らなくていい。
 純粋な子供の、そのまっすぐな気持ちを忘れずにいて欲しい。
 残酷な善悪の判断基準を、失わないままで。
「さらばだ、鋼の」
 差し出した手に、エドワードが少し照れくさそうに微笑った。
 握り返されることなく、軽く触れた指先の熱。
 それがロイに与えられた、子供の熱。
 掠めただけで消える熱。
 それだけの熱が、それでもロイの胸を満たして―――痛めた。
「さようなら、大佐」
 しっかりとした声でそう言って、エドワードは背中を向けた。
 ロイは歩き出した背中を見送りながら、考えても仕方がないことを思った。

 どうしてキミの好きな人が、私じゃないのだろう……。





                          END