バレンタインデー小話


「鋼の」
 ソファに座るなり、テーブルの上に用意しておいた文献に関する資料を手に取る姿に、ああ、まったく相変わらずだと内心で苦笑を零しつつ、ロイは数ヶ月ぶりに、彼の二つ名を口にした。
「あ?」
 怪訝そうにというより、不機嫌に眉を顰めた少年は、文献を手にした格好のまま、ロイを振り返った。
 エドワードの琥珀の瞳を見つめ、ロイは、テーブルの片隅に用意していた箱を手に取り、少年の前にそれを差し出した。
 とたんにエドワードの表情が、胡散臭そうに歪められる。
 その警戒心満載の表情に、普段の、エドワードのロイに対する評価が窺い知れて、ふと、遠い場所を見つめてしまいたい気持ちになった。
「なんだよ、大佐?」
 問いかけるエドワードの声音にも、警戒心が滲み出ている。
 ロイの言動、態度を疑いすぎじゃないのかと、文句のひとつでも言いたいところだが、エドワードが警戒しても仕方がない過去のできごとのエトセトラが脳裏に浮かんでは消えて、ロイは喉まででかかった文句を押し留めた。
 かわりに、手に持っているそれをエドワードの頭の上にぽんと置いた。
「鋼の、それはキミへのプレゼントだ」
「プレゼント? あんたが? オレに?」
 エドワードの警戒心が強くなったのが、彼の口調で判った。
 まったく、本当に信用がないのだな。
 泣きたいような、笑いたいような気分で思いつつ、けれど、表情には出さずに、ロイは頷いた。
「くれるつーなら、貰うけど……」
 なんだよ、これ?
 頭の上に載せられた箱を、おそるおそる手に取る姿に、ロイは苦笑を零すしかない心境だ。
「なにも、そんなに警戒しなくてもいいだろう? それの中身はチョコレートだ」
「チョコレート?」
「ああ。どこだったのか忘れたのだが、小さな国に、ある風習があってね」
「うん?」
「二月十四日に、好きな人にチョコレートをプレゼントするそうだよ」
 ロイがそう言うと、エドワードが少し驚いた顔でロイを見返した。
 しばらくロイを見つめたあと、エドワードの視線は手の中の箱に移された。
 戸惑い気味にエドワードの視線が、手の中の箱とロイを交互に見つめる。
「……ええっと、大佐……」
「キミはさっき「貰う」と言ったな、鋼の?」
「…………言った」
「ならば、受け取りたまえ。男に二言はないだろう?」
「じゃあ、ありがたく」
 ニッと笑ったエドワードの表情が、けれど、すぐに渋面になった。
 なんだ?
 なにをまだそんなに警戒しているんだ?
 大人しく受け取ってくれた喜びは束の間だったのか!?
 エドワードの渋面に、ロイが内心ビクビクしていると、またエドワードの表情が変化した。
 眉が八の字になっている。
 困ったような、怒ったような、拗ねたような。器用にも、そんな複雑な表情を浮かべたエドワードの唇が、ためらい、ためらい開かれるのを、ロイは黙って見つめた。
「……ええっと、大佐」
「なんだ?」
「オレ……知らなかったから、なにも用意していないぜ」
 悪い、と、小さく呟かれた言葉に、ロイは小さな笑みを浮かべた。
「そんなことは気にしなくていい。私が勝手に、したくてしたことだ。――キミの気持ちが嬉しいよ、鋼の」
 何も知らなかったから、用意ができなかった。それを申し訳なく思ってくれた気持ちが、ロイは嬉しかった。
 だからそう言うと、照れたらしいエドワードがそっぽを向いた。
 横を向いたまま、エドワードが早口に言う。
「来年、オレが覚えていたら、あんたにやるよ、チョコレート」
「キミの記憶力が人並みはずれていることは、十分、承知しているさ。楽しみにしているよ」
「…………言ってろ、クソ大佐」
 憮然と悪態をついたエドワードの耳が真っ赤なことに気づいて、ロイは小さく笑った。
 きっと、来年の今日、ロイの手の中には、エドワードから贈られたチョコレート入りの箱があることを、確信して。



                             END