明日もあなたに恋をする


 私室の本棚の前でうんうんと唸っていたアンジェリークは、しばらく唸り続けた後、趣味のために集めた本の中から数冊選んで、ことりと首を傾げた。
「どうしようかなぁ?」
 などと呑気に言いつつ、本を抱えたままベッドに寝転ぶ。
 こんな姿を見たら、口煩い親友や守護聖の首座である光の守護聖は、青筋を立てて怒るだろうなぁ、などと考えつつも、アンジェリークは寝転んだままの姿勢で、お菓子の本を広げていたりする。
 ぱらぱらとページを捲り、けれど、興味を引くものがないから、すぐに別の本を手に取って、同じようにぱらぱらとナナメ読み。
 それを数回繰り返せば、本棚から抜き取った本はすぐに全部見終えてしまった状態になって、選んだ本を抱えて本棚の前に逆戻り。
 そうしてまた「どうしようかなぁ?」「どれがいいかなぁ?」と悩みながら、さっきは選ばなかった本を手にベッドに寝転がる。
 私室に戻ってから、ずっと、それの繰り返し。いい加減、目を通す本もなくなりつつある。
「あーん、もう! 本当にどうしよう!?」
 ページを捲る手を止めて、アンジェリークは途方に暮れた声を上げた。
 決まらないのだ。
 もうすぐ。本当に、すぐに、その日は来るというのに、メインのものが決まらない。
 どの本を、なんど見ても、アンジェリークが「これ!」と思うものが見つけられない。
「でも、絶対、……やってみたいし!」
 ほとんど意地に近い意気込みを抱きつつ、アンジェリークは本のページを捲りはじめる。
 華やかで、可愛らしくて、美味しそうな、たくさんのお菓子。
 作ったことがあるものや、まだ作ったことのないものが、たくさん。目移りしてしまうほどあるのだ。
 あるのに、やっぱり、「絶対に、これ!」と思えるものが見つけられなくて、アンジェリークは、ちょっと泣きたい気分になりつつあった。

 ことのはじめは、懇意にしている商人から聞いた話だった。
 アンジェリークが統治している神鳥の宇宙の辺境惑星。
 その惑星のある国に、乙女たちのために作られたイベントがあるのだと教えてもらった。
 二月十四日。セントバレンタインデーと呼ばれるその日。その国の数多の女性たちが、意中の男性に想いをこめて、チョコレートを贈ると言うのだ。
 贈るチョコレートはさまざまで、手作りだったり、既製品だったり。
 でもどうせ贈るのだったら手作りがいいよね、とアンジェリークは思った。
 ちょうどお菓子作りは得意だし。
 気軽に。本当に気軽にそんなことを思っていたのだったけれど、『想いを込めて』となると、意外に決まらない。
 決められないのだ。
 贈る相手の好みは、アンジェリークなりによく判っているつもりなのだけれど、不安というか、なんというか。妙な緊張感があって、ダメなのだ。
 美味しくできなかったらどうしよう、とか、口に合わなかったらどうしよう、とか。嫌いなものだったら。苦手だったら。ああ、でも、せっかく作って渡すんだったら、ちょっと豪華なものがいいかな? まだ作ったことのないものがいいかな? 可愛らしいもの。綺麗なもの。エトセトラ、エトセトラ。
 悩み出したらキリがないのだけれど、ついつい悩んでしまう。
「でも、どうせなら喜んでもらいたいし……」
 そっと、溜息。
 こんな気持ちは、久しぶり。
 贈り物を選ぶだけで一喜一憂したのは、女王になる前。女王候補時代のこと。
 あの時も、それとなく好意を伝えるために贈り物をしようと思い、あれでもない、これでもないと頭を悩ませたものだった。
 そんなに前のことじゃないのに、ずいぶん前のことに感じるのは、きっと、慣れてきたから。
女王という自分に、慣れてきたからだろうなぁ、と、アンジェリークはぼんやり思った。
「……前のこと思い出している場合じゃないわ!」
 思い出に浸っている場合じゃない。
 早く決めてしまわないと。
 作るには材料を調達してもらわないとダメだし、調理場を借りられるように『お願い』もしなきゃダメだし。なにより、約束をしなきゃいけない。
 公務が終わった後の、時間を。
「そうよ、約束!」
 本から顔を上げて、アンジェリークは叫んだ。
 肝心なことを忘れていた自分のうかつさに、情けなくなる。
「……あ、でも、どう言えばいいのかしら?」
 渡したいものがあるから、と言えばいいのは判っているけれど、それには事情を説明しなくちゃいけなくて。でも、できれば、渡す当日まで理由は内緒にしておきたくて……。
「……これは、もう、たったひとつしか方法はないかな」
 ワンパターンという気がしないでもないけれど、きっと、みんな溜息をつきながらも、許してくれるよね? と期待するしかない。
 そうなると口実用も必要だからと、いざという時のためのものも一緒に考えつつ、アンジェリークはページを捲り続けた。

 日々の公務をこなしつつ、合間に親友や時間のある守護聖を相手にお茶をしつつ、アンジェリークは準備を進めていた。
 そして、迎えたバレンタインデー。
 起きた瞬間から、心臓はどきどきと逸っていて、落ち着くことがない。
 女王試験の最中の、定期審査の時よりも緊張している。
(もう、いいかげん静まってくれないかなぁ)
 公務中にそわそわ。心ここにあらずのアンジェリークの様子に、補佐官がこっそり睨みつけているのが、ちょっと怖い。
 こほん、と控えめな咳で注意を促すそのときの眼差しの迫力に、軽く首を竦めて、アンジェリークは渡される書類に目を通し続けた。
「お疲れ様でした、陛下」
「あー、本当、疲れたぁー」
 ぱたん、と机に突っ伏そうとしたところで、
「お行儀が悪いわよ」
 すぐに窘められる。
「はぁい」と小さい子供が悪戯を見咎められたときの仕草で、アンジェリークはぺろりと舌を出した。
「ねぇ、ロザリア」
「なんですか?」
「お茶、飲みたいなぁ」
 アンジェリークがそう言うと、ロザリアの眉がぴくりと跳ね上がった。
「今日は、みんな聖地にいるでしょ? お茶会……だめ?」
 可愛らしく首を傾げて見せると、渋い顔をしているロザリアの眉間の皺が、さあ、どうしようかと深くなった。
 親友がこの仕草に弱いのを熟知しての、行動。
 失敗した例は少ない。
 ついでに言えば、目の前の親友が、なんだかんだと自分に甘いのは周知の事実。頑固にそれを認めないのは、親友くらいだ。
「陛下、急には……」
「あ、大丈夫よ。手紙の精霊を通して、招待状は出してあるの」
「………………つまり、決定事項なのね?」
 お茶会をやってもいいかな? じゃなくて、やるから時間を作ってね、という意味だったのね。ああ、もう、あたくし、まだまだあんたって子を理解できていないわ。
 心の奥底で、いまだに目の前の親友の行動を予測できない自分の至らなさを嘆きつつ、疲れた様子で額に手を当てたロザリアが、仕方がないと息をついた。
「うん。そうなの。ごめんね?」
 アンジェリークが申し訳なさそうに親友を見上げると、深い、ふかーい、溜息と共に「お茶の準備を申し付けてまいります」と諦めの一言が返ってきた。
「ロザリア、御茶請けは用意してあるから」
 憔悴している親友の背中にそう声を投げかければ、
「アンジェリーク……あんたって子は……」
 二の句が継げない親友は、ちょっと怒った足取りで執務室から出て行った。
「ちょっと、強引すぎたかなぁ…」
 さすがに怒らせてしまったかもしれない。ちょっぴり反省しつつ、でも、まあ、手は打っておいたんだからいいよねと、アンジェリークは呑気に、これからのお茶会のことに心を馳せた。

 女官たちが慌しくテーブルのセッティングを終えたころ、招待された守護聖たちが姿を現した。
 プライベートな時間だからと、気軽な挨拶と共に席に着いた守護聖の前に置かれた白いケーキ皿に、アンジェリークが作ったケーキを乗せていく。
「陛下自らそのようなことを!」
 と、ジュリアスが声を荒げる前に、
「わたしが配らなきゃ意味がないから」
 と笑顔で先手を打って、アンジェリークは全員のケーキを配り終えた。
 席について、まずは一言。
「お仕事、ごくろうさま」
 にっこり笑顔で言ったら、柔らかな表情で返される「ありがとうございます」の声。
 それにますます笑顔を深くして、アンジェリークは本日のお茶会の主旨を告げた。
 日頃の感謝をこめて、大好きなあなたたちに。
 もちろん、ロザリア、あなたにも。
 贈るのは、大好きな気持ち。
 いつも傍で助けてくれて、ありがとう。
 みんなが「いちばん好き」だと言ってくれた笑顔を向ければ、返されるのは優しい気持ち。
 この宇宙で一番あたたかな。
 アンジェリークが預かった宇宙を、守り、育んでゆくために、必要不可欠なもの。
「これからもよろしくね」
 それを結びの言葉に代えて、いつものようにお茶会がはじまった。
 ココア生地の中から、とろりと流れるチョコレートに感嘆の声が上がる中、アンジェリークはそっと横目で様子を窺う。
 本日、特別なのは、ふたり。
 いつも、どんなときでも、アンジェリークを支えてくれる親友と、たったひとりの特別な人。
 贔屓をするのは良くないことだけれど、こんなときだからこそ贔屓したいのも本当。
 親友のお皿の上には、ケーキのほかにチョコチップクッキー。
 大好きな人のお皿の上には、生チョコレートを二欠片。
 目立たないように、誰にもばれないように、そっと添えておいた。
 知っているのは贈った本人と、贈られたふたりだけ。
 和やかなお茶会の席、天使が見つけたやすらぎが、そっと口元を綻ばせたことに、誰も気づいてはいなかった。

 出会えた幸運を胸に抱きしめて、これからも、きっと。
 たったひとりのかけがえのない天使に、誰もが焦がれて。
 切ない気持ちを秘めたまま、明日もあなたに恋するでしょう。

                                 END