クリスマス×クリスマス


 はぁ、と思わず漏らした溜息は、自分でも驚くほど大きくて、丁度すれ違った見知らぬ他人が、気の毒そうに克哉を一瞥していくのを感じた。
 たぶん、失恋したとか、ドタキャンされたとか、そんなふうに思われて、哀れまれたんだろうと内心で溜息をつく。
 平日のクリスマスの、夜。あと数時間で今日という日も終わる、そんな時間。
 それでも街の中には甘い残滓がそこここに残っていて、一層、克哉の気を重くさせる。
 いまは彼女が欲しいとか、恋人が欲しいとか、特にそう思っているわけではないけれど、恋人たちが盛り上がるイベントの日は、やっぱり淋しいし、人恋しく思う。
 それなのに、こういう日に限って、恋人がいないはずの友人も知人も、なぜか都合がつかなかったりするのだ。
 はぁ、ともう一度溜息をついたところで、パッパァン、と、克哉のすぐ隣で、控えめなクラクションが鳴らされた。
 きょとんと目を瞬きながら足を止め、克哉が傍らを振り返ると、道路の端に車を止め、ウィンドウを下げた御堂が克哉を見上げていた。
「御堂さん」
 口の中で克哉がそう呟くのと同時に、
「偶然ですね、御堂さん」
 克哉の背後から、最近すっかり聞きなれてしまった感が否めない低音の、どこか艶やかな印象を与える声が聞こえた。
 克哉がギョッとして振り向いた視線の端で、御堂が驚いた顔をしているのが見えた。
 御堂の驚いている顔の珍しさに、しかし、克哉は頓着している余裕がなかった。
 頬を強張らせたまま、声の主を振り返り、予想通りの人物の姿を目にして、……がっくりと肩を落とした。
 脱力するしかなかった。
「なんなんだよ、もう……」
 小さな小さな声で呟く。
 聞き間違えることのない声。どういう理屈になっているのか、そもそもこれはオカルトと言っても間違いないような現象が、目の前で起こっている。それも、どう言い訳すればいいのかわからない状況で。
「なんで、こんなタイミングで出てきてるんだよ、っていうか、なんでオレと同時に存在していられるんだ、<俺>」
 御堂には聞こえないように問いかけた克哉に、眼鏡をかけた克哉が
「さぁな」
 と、面白がっているというよりは、どこか克哉を小馬鹿にしたような返事をして、御堂に向き直った。
 眼鏡をかけた自分の行動に驚いて、克哉も振り返った。
 ふたりで同時に振り返ると、驚きを静めるように、御堂が息をついた。
 そして、
「佐伯……くん、か?」
 確認するように、克哉を呼んだ。
 御堂のそれに、
「はい?」
「なんです?」
 ふたり同時に返事を返した。
 すると御堂が眉間に皺を寄せて、こめかみを押さえた。
 目の前の異常事態をなんとか自分の中で理屈付け、納得しようとしているらしい。
(混乱させてすみません、御堂さん)
 心の中でそっと謝罪しながら、さあ、いったいどんな言い訳をすればいいだろう。どうすれば御堂を納得させられるだろう、と、克哉が考え出すと、
「佐伯くん」
 と、もう一度御堂に呼ばれた。
「はい」
 と、克哉が答えるより先に、
「御堂さん、紹介しますよ」
 眼鏡をかけたもうひとりの克哉が、そう言った。
 なにを言う気だろうと、克哉はそっと眼鏡をかけた男へ視線を向けた。
「これは俺の従兄弟で<佐伯克哉>と言います」
「これって……」
 そんな言い方するな、とか、人を指差すなよ、とか、いろいろ言いたかった克哉だったが、眼鏡をかけた自分の紹介内容に、
「は?」
 と間抜けた声を上げるしかなかった。
「従兄弟? よく似ているな。しかし、同じ名前とは……」
 御堂が不審そうに克哉と眼鏡をかけた克哉のふたりを、ウィンドウ越し、交互に見つめた。
 じっと凝視してくる、なんとなく居心地の悪い視線から逃れるように、克哉は不自然にならないよう、御堂から視線を外した。
 克哉が視線を外すと、御堂がふと眼を細めた。
 御堂から視線を外した克哉は、それに気づくことはなかったが。
 御堂の意識を克哉から逸らすように、眼鏡をかけた克哉が口を開く。
「ええ、困ったことに、同じ名前なんですよ。俺の父親とこれの父親が、仲の良い兄弟でして。双子みたいに思考が常にシンクロしているんですよ。子供が生まれたときに、迷惑にも、『克哉』って名前にしようと閃いたらしいですよ、ふたりとも」
 いけしゃあしゃあと嘘を口にする男を、克哉はぽかんと見つめた。
 ちらりと御堂を盗み見れば、眉間の皺が増えている。
 胡散臭そうに眼鏡をかけた克哉を見つめている様子に、ああ、これは疑われているな、と、克哉は視線を泳がせた。
 ありえない話ではないだろうけれど、無理がある話だ。
 それに、だいたい、眼鏡をかけていない克哉と御堂が一緒に仕事をしていた時間を、どう説明する気なのだろうか。
 克哉がそう思っていると、
「佐伯くん、彼もキクチに勤めているのか? 何度かミーティングに参加していたな? いや、待て。しかし、最初のミーティングのときに、八課全員がきていたはずだ。……その中にキミの姿はなかったように記憶しているんだが……」
 最後の問いかけは、克哉を見ながら御堂が言った。
 ぎくり、と、克哉の顔が強張る。
 どう答えればいいだろう。……どう答えても、自分では墓穴を掘るような気がする、と、そう思いながら克哉がそっと視線だけで眼鏡をかけた自分を見つめると、にやりと、いやらしく男の口元がつりあがった。
 貸し一つ。
 眼鏡の奥の瞳が、そう言っていた。
「気のせいですよ、御堂さん。こいつはキクチに勤務していませんから、ミーティングに参加できるはずがありません。俺ですよ」
「しかし……いや、やはり、キミではないな。キミはいつも私を真っ直ぐに見る。私から視線を逸らすことはない。だが、彼は……いつも私を見ない。さっきも私から視線を逸らしただろう? 仕草に見覚えがある。やはりキミは何度かミーティングに参加しているな? 最初のミーティングでキクチに残っていた社員はキミか?」
 断定するような御堂の口調に、克哉の顔から血の気が引き始める。
 ちっ、と、眼鏡をかけた自分が、苛々と舌打ちをした。
 それから、その苛立ちを見事に押し隠し、揶揄をたっぷりと含んだ声で言った。
「すみません、御堂さん。俺の悪ふざけが過ぎましたね」
「なに?」
 御堂が怪訝そうな声を上げる。
 今度はなにを言いだす気だ。どうやって誤魔化す気だよ、と、克哉がはらはらしている前で、眼鏡をかけた克哉は、やはりいけしゃあしゃあとのたまった。
「俺、こいつの真似を時々するんですよ。忙しくてなかなか会えなくなると、淋しくて、つい」
 そう言ったかと思うと、いきなり克哉の腰を引き寄せた。
 そして、耳元に唇を寄せ、軽く触れた。
 眼鏡をかけた自分の口から零れるには、ずいぶん違和感の付きまとう淋しいという言葉に衝撃を受けていた克哉は、耳に触れた感触にぎょっとなった。
 慌てて離れようとするが、がっちりと腰を引き寄せられていて、身じろぐことしかできない。
 衝撃を受けたように目を見開いている御堂に、眼鏡をかけた克哉が笑いかけた。
 どこか優越を感じさせる笑顔だと、克哉は混乱した思考の中でそんなことを思う。
「今日は久しぶりに、これとデートなんですよ。昨日は会えなかったので、クリスマスくらいは一緒にいてもいいかと思いまして、ね」
 そう言って、眼鏡をかけた克哉は、また、克哉の耳に唇で触れた。
 今度は痕をつけるように、強く唇を押し当てられ、吸い上げられる。
 羞恥と、背中を走りぬけた感覚に思わず声を上げそうになった克哉は、しかし、
「物欲しそうな顔を、他人に見せるなよ<オレ>」
 唇を離す瞬間に囁かれたそれに、零れそうになった声を慌てて噛み殺した。
 痛いほどの御堂の視線を感じる。
 強い感情の乗ったその視線から逃れるように、克哉は深く顔を俯けた。
 赤く染まった顔を隠すのにも、丁度よかった。
「では、御堂さん、俺たちはこれで失礼します」
 眼鏡をかけた克哉がそう言うと同時に、ぐいっと腕を引っ張られた。
「行くぞ」
 そう言って、眼鏡をかけた自分が歩き出した。
 腕を引かれるまま克哉も歩きだしたが、ふと、その足を止めた。
 怪訝そうに眼鏡をかけた自分も立ち止まり、振り返った気配がしたが、気にしなかった。
 足を止め、克哉は、なぜか悔しそうに眉根を寄せている御堂を振り返った。
 克哉と目が合った御堂が、驚いたように目を瞠る。
「おい」
 と不機嫌そうな声と共に腕を引かれるが、克哉はそれに抵抗して、御堂に声をかけた。
「ええっと、御堂さん、メリークリスマス」
「……メリークリスマス、佐伯克哉くん」
 穏やかな笑みでそう返した御堂の笑顔に、克哉は一瞬、見惚れた。
 綺麗な人は笑顔も綺麗なんだと、そんなことを思っていると、ぐいっと容赦のない力で腕を引かれて、引きずられるように、克哉は足を進めた。
 なぜだか急に不機嫌になった背中を、克哉はきょとんと見つめながら、ついていく。
「まったく、わざわざ牽制しに俺が出て来た意味がないだろう。これは躾とお仕置きが必要だな」
 克哉の腕を引きながら、眼鏡をかけた自分が呟いた不穏な言葉は、幸か不幸か、克哉の耳に届く前に、雑踏の音にかき消されて、消えた。

                               END

突発とはいえ、酷い出来上がりですな。うう、すみません。
でも楽しかったですよ眼鏡VS御堂。
今回は、痛み分け、ですかね。
ノーマルが御堂さんに最後に声をかけちゃったので。
眼鏡もたまにはノーマルに振り回されちゃえばいいんだよ。
とか思いつつ、全然、振り回されていないけど……