誘惑

 背後から包み込むように抱きしめると、腕の中の<克哉>の鼓動がどきりと跳ねた。
 隠しようもなく伝わったそれに、克哉はくつりと喉を震わせ、面白がるように<克哉>の耳朶に唇を寄せ、囁く。
「なにを期待して体を震わせているんだ、<オレ>?」
「期待なんか……。おまえが急に抱きついてくるから、オレは驚いただけで……」
「驚いただけ、か。そのわりには、なぁ、なにかを強請るように目が潤んでいるぞ?」
 揶揄を交えながらそう言い、<克哉>の唇の輪郭を、親指でゆっくりとなぞる。
 薄く開いた唇からちろりと覗いた舌先が、まるで誘うように克哉の指先を舐めた。
 しかし、その無意識のいざないを無視して、克哉は抱きしめていた体を解放する。
「<俺>?」
 突然の解放をいぶかしみ、<克哉>が振り返る。
 戸惑ったようにかけられる声に薄く笑い、克哉は不安そうに瞳を揺らしている<克哉>の顔を覗き込んだ。
「なにを望む?」
「え?」
「素直に強請れ」
「ねだれって……、別になにも、おまえにねだりたいなんて思ってない」
 克哉の言葉に眉を顰め、<克哉>が不満そうに呟いた。
 <克哉>の言葉に意外そうな顔をして見せながら、克哉は「そうか」と呟くように答え、
「だが、俺もたまには、おまえから求められたいんだがな?」
 <克哉>の耳元に囁いた。
「は?」
 克哉の意外な言葉に驚いた顔を浮かべ、<克哉>が瞬きを繰り返す。
 幼い仕草を連想させる表情に、克哉は思わず苦笑を浮かべながら言った。
「おまえも俺を求めているんだと、実感したくなるときがあるんだ」
「おまえ、が?」
「ああ、俺が、だ」
 克哉は答えながら苦笑する。
 疎んでいた。
 憎んでいた。
 それなのに、いつの間にこんなに心を奪われていたのだろう。
 得体の知れない男の甘言に乗って、もう誰の手も届かない、どこともしれないこの場所で、もうひとりの自分とふたりだけで生きている。
 時間の感覚すらない場所で、溶け合うことを望むように、貪るように体を重ね合わせる。
 触れ合っている。
 もう、ずっと、互いの熱を共有している。
「……ときどき」
「なんだ?」
 苦笑とも溜息ともつかない息をつきながら、<克哉>が言った。
「いきなり甘えるみたいにそんなことを言い出すおまえを、どうしてだか可愛いと思うオレは、やっぱり壊れたんだと実感するよ」
「好き勝手に言えばいい。――たまにはキスのひとつもして、誘ってみろよ」
 言いながら、克哉は<克哉>の腰に腕を回し、抱き寄せた。
「偉そうだなぁ」
 呆れたような呟きが<克哉>の唇から零れ、その音が溶けて消えると同時に、克哉の唇に<克哉>が口づけてきた。
 大胆に舌を絡ませ、克哉の口腔内を貪るようなキスに、克哉は目を細めつつ、抱き寄せる腕に力を込めた。
 熱く火照った互いの肌が、溶け合うような錯覚。
 煽られる欲望。
「もっといやらしく誘ってみろ」
 口づけの合間にそう囁けば、心底嫌そうな眼差しで睨みつけられ、けれど、赤く色づいた<克哉>の唇は「何も判らなくなるくらい、抱いて欲しい」と欲を滲ませた言葉を紡いで、克哉の欲望の熱をいっそう高めた。

                               END

散文にもほどがあるだろう、というツッコミは……。
生温い眼差しで見守っていただけると……。
書きながら、ちょっと眼鏡受……すみません。ノーマル相手じゃ無理があります(わたしの力量的に)。
戯言はここまでに、ですね。