St. Valentine day


「あれ?」
 シャワーを浴び終えて、少しのんびりしようとリビングに戻ってきた克哉は、ローテーブルの上に置かれている白い封筒を手に取り、首を傾げた。
『佐伯克哉様』
 そう封筒に書かれている流麗な字は、御堂が書いたものだ。
「オレ宛? なんだろう?」
 さっきまではなかったその封筒を手に取り、いったいこれはなんだろうかと、克哉は首を捻る。
 用があるなら、御堂はちゃんと話をしてくれる。
 一緒に住んでいながら、手紙で用件を伝えるなんて効率の悪い方法を、御堂が取るはずがない。
 ならば、これは用事などではないのだろうか。
 けれど、では、いったいどうして手紙などを用意しているのだろう?
 どんなに考えても、御堂が克哉に手紙を書いて、それをテーブルに置いておく理由が判らない。
 理由を聞きたくても、御堂は克哉と入れ違いにシャワーを浴びている最中で、訊くこともできない。
 しばらく封筒を見つめていた克哉は、考えても判らないなら封を開いてみようと思い、封筒を裏返した。
 御堂孝典、と、やはり流麗な文字で書き記された差出人の名前に、鼓動が鳴る。
 少し緊張した指先で封を開いて中身を取り出すと、白いカードが出てきた。
「カード……、え、これ……」
 取り出したカードに書かれた言葉に、克哉は言葉を失う。
 それから、すっかり忘れていた自分の迂闊さに、血の気が引いた。
 とっさに時計を見たけれど、深夜に空いている店なんて、二十四時間営業のコンビニくらいしかない。
 自分で食べるのならともかく、コンビニで売っているチョコレートを御堂に渡すなんて、そんなことはできないし、したくない。
「どうしよう……」
 カードに目を落として、ぼんやりと呟いたときだった。
「ああ、見たのか」
 シャワーから出てきた御堂が、少し照れくさそうな声でそう言って、克哉はその声に弾かれたように顔を上げ、御堂を振り返った。
「どうした?」
 悲壮な顔で御堂を見つめる克哉に眉を顰め、問いかける。
 克哉は御堂とカードを交互に見つめ、泣き出したい気持ちで口を開いた。
「御堂さん、……あの……カードを、ありがとうございます。……でも、あの……オレ、……今日のことを忘れてて、なにも用意をしていなくて……」
「ああ。そんなことか。気にしない」
「でも……!」
「本当に、気にしないでくれないか。私としても、柄にもないことをして、気恥ずかしいんだ」
 本気で恥ずかしそうに言って、微かに顔を歪めながら、御堂がさりげなく視線を逸らした。
 うっすらと。
 よく見ないと判らないほどうっすらと、御堂も目元が色づいている。
 滅多にみられない御堂の照れた表情に、しばらく目を奪われていた克哉は、しかし、御堂が照れくささを誤魔化すように素っ気なく克哉の傍を通り、ソファに座ったその音に、はっと我に返った。
 そして、座っている御堂の傍らに立ち、気落ちした表情のまま、御堂を見つめた。
「御堂さんはそう言いますけど、……オレ、いつもしてもらうばかりで、なにも返せてなくて。それどころか、忘れていたなんて……」
 なんて最低な恋人だろう。
 軽く唇を噛みしめると、御堂が軽く息をついた。
 それから克哉の腕を取り、隣に座るように促す。
 御堂に促されるままソファに座った克哉は、御堂の顔を見られなくて、心持ち顔を俯けた。
「……顔を上げろ」
 その言葉に、克哉は緩く首を振った。
 そんな顔をして良いのか、判らない。
 恥ずかしくて、情けなくて、自分自身に憤っていて。御堂に申し訳なくて。
 いつもと同じように、御堂を見返すことなんてできるはずがない。
 そう思いながら顔を俯けたままでいると、御堂が、小さく息をつき、克哉の肩を抱き寄せた。
「顔を上げたくないのなら、そのままでいい。聞いてくれるか? 君を追い詰めるつもりで、それを書いたわけではないんだ。ただ、なんとなく、……思いついた。私から君に素直に言葉を贈ることは、ないから。……だから、気に病まないでくれ。忘れていたって、私は構わないんだ。たぶん、来年は私が忘れているだろうからな。だから、克哉」
 御堂が不意打ちで名前を呼ぶと、克哉の肩がびくりと震えた。
 克哉はおずおずと顔を上げ、御堂を見返す。
 ベッドの中くらいでしか、まだ、名前を呼べない。呼ばれない。それなのに、今、御堂に名前を呼ばれた。
 それだけで、鼓動が早鐘を打った。
 犯した失態を、一瞬忘れるほど、どきどきとした。
 ドキドキしている克哉の心情を見抜いてでもいるように、御堂は僅かに口角を上げた。
 そして、言った。
「私は、君がこのカードを喜んでくれたのなら、嬉しい」
「それは当たり前です。嬉しいに、決まっています! でも……」
 言葉を続けられなくて、克哉はまた肩を落とした。
 どれだけ言葉を重ねても、忘れていた事実も、なにも用意していなかった事実も消えなくて。
 克哉の心は失態に苛まされてしまう。
「克哉」
 優しく宥めるような声が、また、名前を呼んだ。
 呼ばれて、けれど、克哉は顔を上げなかった。
 気にしなくて良いと言われても、どれだけ御堂が気にしないと言ってくれても、克哉の気がすまない。
 つまらない意地で、プライドだと思うけれど。
「まったく、君は……」
 そう言った御堂が苦笑を零し、
「そんなに気にするのなら、……そうだな。提案があるのだが」
「提案、ですか?」
 克哉は御堂の言葉にちらりと視線上げた。
「ありきたりだが、君からキスをしてくれるか?」
「オレから、ですか?」
 問い返した克哉は、ごくりと喉を鳴らした。
 ベッドの中でなら、克哉から御堂にキスをすることは多々ある。けれど、そうじゃないところでキスをしかけたことなど、まだ……。
「ベッド以外の場所で、君から私にキスをしてくれたことは、まだ一度もないからな。……できるだろう?」
「それ……は……はい」
 こくりと克哉が頷くと、御堂の目が満足そうに細められた。
 克哉はもう一度喉を鳴らし、真っ直ぐに御堂を見つめた。
 捕食者のような強い眼差しが、克哉を捉えている。
 ああ、これは、キスだけじゃ物足りなくなりそうな気がする、と、そんなことを頭の隅で考えながら、克哉は御堂の唇に唇を重ねた。
 触れるだけのキスだけのつもりだったけれど、それだけで満足してくれそうにない恋人は、挑発するように克哉の腰に指を這わせた。
 御堂の舌先が、克哉の唇をノックする。
「ん……、ぁ……ん」
 舌を絡ませ、奪い合い、与えあうような口づけを、要求されるままに続け、呼吸が苦しくなってきたところで、克哉は御堂に許された。
「は……ぁ」
 深く吐息をつき、荒い呼吸をくり返していると、御堂の甘い言葉が克哉の耳朶を擽った。
「私はチョコレートなんかより、君からのキスのほうが嬉しいな。こちらのほうが好みの甘さだ。毎日でも歓迎するぞ」
 さらりと告げられた言葉に、克哉は一瞬、絶句した。
 ときどき放たれる対処不能の言葉に、どんな反応を返せば良いのか、判らなくなる。
 いまもどうすればいいのか判らず、克哉は顔を真っ赤に染めながら、最後の言葉は聞かなかったことにしようと、とりあえず、言いたい言葉を口にすることにした。
「……、御堂、さん……あの」
「どうした?」
「あの、……オレの傍にいてくれて、ありがとうございます。――御堂さんが書いてくれた言葉を引用して、すみません」
「構わない。カードにも書いたが……、言わせてくれ。私の傍にいることを望んでくれて、ありがとう」
「……大好き、です」
「ああ、私も、君を愛している」
 甘く瞳を細めた御堂に抱き寄せられ、甘く唇を奪われ、その日の夜も、克哉は御堂の気がすむまで。
 そして、克哉自身の気がすむまで、互いの熱を求め合った。

                             END

バレンタイン御克Ver.でございます。
かーなーりー遅れてUPしてしまいましたが(苦笑)。
わたしが書くノマは、どうもイベントに無頓着。
というか、ノマってそーゆーことに淡白だと思ってます。勝手に(笑)。
しかし、甘いな。というか、砂を吐きそうでした。わたしが。