02

 つ、と腕時計に視線を走らせ、御堂は軽く息をついた。
 もうすぐ、約束の時間だ。
 彼は――佐伯克哉は、来るだろうか。
 それを考えると、無意識に眉間に皺が寄る。
 来るような気もするし、怯えて、来ないような気もする。
 もし彼が来なかったら。――『接待』をさせていることで据え置きとしているプロトファイバーの売り本数。その据え置きを撤回することになる。
 そうなれば。
 キクチにおいて営業成績不振部署ナンバーワンの八課は、間違いなくリストラされるだろう。
 彼らに、御堂の示した数値を達成できるとは思えない。
 そう思う一方で、御堂はもしかしたら、と思う。
 御堂の言葉の端々から、冷静に、正確に、MGNジャパンの挽回作、プロトファイバー販売の経緯を看破した、彼なら。
 脳裏に、初めて会ったときのことが浮かんだ。
 淡々とした口調の中に隠されていた、あきらかな挑発。
 レンズの奥から御堂を値踏みするように見つめていた、どこか冷めたような瞳。
 淀みなく紡がれた、要点だけを抽出した言葉の数々。
 絶対的な自信が、佐伯克哉の態度や言葉から窺えた。
 御堂は不愉快な気持ちを思い出す。
 目上の者を見下す、あの生意気さが癇に障った。
 だからといって、今回の嫌がらせは少しやりすぎだったか、と、自嘲混じりに口角をあげたものの、すぐにいや、と首を振る。
 あの狡猾で、生意気な態度を許すわけにはいかなかった。
 プライドを刺激されただけじゃなく、御堂はいたぶられたのだ。
 契約の決定権を持っているはずの、こちらが。
 そこまでしておきながら。……こちらを見下すような態度で契約をもぎ取っておきながら、提示した販売数の引き下げをして欲しいと懇願してきた。
 バカにしているのかと、御堂は不快感を隠せなかった。許せないと思った。
 仕事を甘く見すぎている。舐めているのかと、怒鳴ってやろうかと思った。
 向上心もないまま、挑戦してみないまま、「できない」と簡単に投げ出す程度なら、最初から仕事を任せろと乗り込んでくるなと、言いたかった。
 軽い気持ちで、プロトファイバーに係わるなど、御堂には許せなかった。
 ふるり、と、軽く頭を振り、ソファに深く腰掛けて背を預けながら、先週の『接待』を思いだした。
 悔しそうに御堂を睨みつけた、彼の瞳。
 淡くではあったけれど、感情の浮かんだ、柔らかな瞳。彼を取り巻く空気。口調。
 眼鏡ひとつでずいぶんと印象が変わるものだ。
 だが、他人に対して一線を引いたような空気、それだけは同じだったなと思う。
 御堂の足元に跪いていた佐伯克哉の、涙に濡れた瞳を思い出すと、気持ちがざわめいた。
 来て欲しいのか、来て欲しくないのか。
 一刻、一刻。約束の時間が来るたびに、御堂の中にも苛立ちのような焦燥のような、わけのわからない気持ちが湧きあがった。
 テーブルの上に広げた書類が、手の中でかさりと乾いた音を立てる。
 その音に、御堂ははっと思考を止めた。
 時間をみようと時計を見た、瞬間だった。
 ――ノックの音が、小さく、けれど確かに、部屋の中に響いた。
 時間は、五時ちょうどだった。