07

 肌に感じる熱はひんやりとしているのに、どうすることもできないほどの熱が、克哉の中に渦巻いている。
 その熱は、まるで灼熱のようだった。
 身の内から焼かれてしまう。
 そんな風に感じるほどの熱だった。
 熱を感じるたびに、克哉は唇を噛み締める。
 そうしないと、自分でも制御できない言葉が零れ落ちそうだったし、嗚咽を聞かれてしまうのだと解っていた。
 ぎゅっと、強く目を瞑る。
 本当は耳も塞いでしまいたかったけれど、それは叶わない。
 手首を戒める布地が肌をするたびに、ひりひりとした鈍い痛みが克哉の意識を繋ぎとめた。
 意識を手放してしまえたらいいのに。
 いや、いっそうのこと、狂ってしまえたらいいのに。
 狂気の沙汰としか思えない行為を受け入れながら、何度そう思ったことだろう。
「いやだ、放せ。やめろ」
 克哉が掠れた声で弱々しく言うたびに、背後で嘲笑する気配だけが返ってくる。
 克哉を良いように支配し、屈辱を与える相手に玩ばれるまま、克哉は喉を仰け反らせた。
 思わず零れそうになった声は、硬く唇を引き結ぶことで押し殺せたが、それは相手を苛立たせたようだった。
 克哉を穿つ動きが些か乱暴なそれになり、克哉を苛む。
 痛みとも快楽とも判別できない感覚に、殺しきれない声が漏れると、「いやらしいな」と耳朶に声が流し込まれた。
 そして克哉を無理矢理高みへと押し上げるように、与えられる快楽に反応してしまっている自身を、無感情な動きで扱かれる。
 克哉を突き上げる律動が、激しさを増す。
 けれどもその動きもどこか機械的で、克哉の心を冷静にさせる。
 いや。なにがしかの感情を克哉に抱いているのだろう。だから、こんな行為を克哉に強いている。
 けれど、その向けられる感情を受け止めるべき克哉のなにかが、どこかが、それを受け止められないから。拒絶をしているから、相手の動きを機械的だと思い、無感情だと思う。
 そして、自身の立場さえも冷静に受け止めてしまうのだろう。
 じめじめとした空間に、克哉を陵辱している人間の荒い息遣いが響いている。
 抜き差しされる熱は、そろそろ限界なのだろうか。律動から余裕が消えているように思えた。
 弱い場所を攻められるたびに、克哉の熱も限界を訴えはじめる。
 相手の息遣いと克哉の息遣いが、かすかな不協和音となって空気に溶ける。
 もうすぐだ。
 もうすぐ、この苦行から解放される。
 与えられる快楽を現実逃避のために受け入れながら、克哉は思った。
「かつや」
 荒く吐き出される息の合間、掠れた声で名前を呼ばれる。
 どうして。
 いつも、いつも。泣いているような、後悔にまみれた音で克哉の名前を呼ぶのだろう。
 どうしていつも泣きそうな顔をしているんだよ。なぁ、そんな顔をするなよ。
 無理矢理高みへと押し上げられた意識を、ゆっくりと闇に落としながら、自分だっていつも同じことを思うなと思いながら、克哉は意識を手放す。
 どうしても呼べない名前、思い出せない相手にもどかしさを感じながら。
 ――そして目を覚まし、夢を見ていたのだと気づく。
 呆然と天井を見つめていた克哉は、ゆっくりと瞬きをした。
 深く息を吐きだしながら、ずいぶんと久しぶりに見た夢だな、と思った。
 一時期、毎日のように見た夢だった。
 誰とも知らない、けれど、よく知っている気がする「誰か」に犯される夢。
 克哉を犯しながら、その「誰か」はいつも泣きそうな顔をしながら、苦しそうに顔を歪めていて。
 その表情を見るたびに、克哉の心も苦しくなる。
 酷いことをされているのは自分なのに、それを心のどこかで仕方がないことだと思っている。
 そうさせているのは自分だと、夢の中の克哉は思っているのだ。
 ずっと見ていなかったのに。
 深い溜息をつきながら身を起こし、この夢を見た原因は、現実に男――御堂――に抱かれてしまったからだろうと見当をつける。
 だが、どうして同性に抱かれる夢など見たのだろう。
 いや、御堂に陵辱されたのだから、夢を見たこと自体は納得するしかない。けれど、納得できないのは、御堂に会う以前――もうずっと昔に、何度も見ていたことだ。
 もしかして、そのテの願望が自分にはあるのだろうか。
 同性に陵辱されたいと……。
 嘘か本当か克哉はしらないけれど、夢は願望の現われというらしいから。
 そう考えて、克哉はぶるりと身を震わせた。
 克哉を嬲る御堂の声を、言葉を思い出す。

『何人の男を相手にしたんだ?』

『これがいいんだろう? ――淫乱だな』

 御堂の声が脳内でわんわんと木霊する。
 くり返される言葉が、克哉を呪縛する。
 違う、抱かれたいなんて、陵辱されたいなんて……! 思ったことなどない。思ってもいない。
 オレは淫乱なんかじゃない!!
 いやだ、言うな。そんなことを言わないでくれよっ!
 延々と木霊し続ける言葉に、心の中で必死に反論を繰り返す。
 けれど、いくら心の中で、そして現実にその反論を繰り返したとしても、御堂には通じないのだ。
 鼻先で笑い飛ばされるだけだ。
 だが、それも仕方がないことなのかもしれない。
 御堂に犯され、克哉はその快楽に溺れたのだから。
 克哉は気だるい体でシャワールームへ向かった。
 まとわりつくような汗を、少しでも早く流したかった。
 そして一秒でも早く、夢の名残を洗い流し、雑多な日常の中へと組み込まれてしまいたい。
 仕事のことだけを考えられる日常の中へ。
 夢のことも、御堂とのことも、すべてシャワーで流してしまえればいいのに。
 熱いシャワーを全身で受け止めながら、克哉は思った。
 無理だとわかっていても、そう思わずにはいられない。
 肌をべたつかせていた不快感が、熱い湯で流される。
 知らず深く安堵の息を零して、克哉はシャワーコックを捻り、シャワーを止めた。
 少しだけ気持ちがすっきりしたがする。
 思いながら全身の水滴を拭い、さっさと身支度を整えようと風呂場から出た。
 ぽたぽたと髪から滴る水滴を大雑把にタオルで拭い、下着とズボンを身に着けた。
 ふと、洗面台の鏡の中の自分と視線が合う。
 いつも以上に冴えない顔の自分に、思わず苦笑が零れた。
 覗きこんだ鏡の中の自分は、少し顔色が悪い。……否、プロトファイバーと御堂に係わるようになってから、顔色が良かったことなど一日たりともない。
 厳密に言えば、あの怪しい黒衣の――Mr.Rと名乗った人物と出会い、妙な眼鏡を押し付けられたときから、か。
 溜息をつきそうな自分に気づいて、克哉は大きく深呼吸をした。
 最近溜息しかついていない。
 溜息をつくと幸せが逃げるらしい。
 ジンクスなのか迷信なのか知らないそれを、信じているわけではないけれど、溜息のつきすぎは自分で自分を追い詰めているような気になった。
 意識して深呼吸を繰り返し、気分を切り替える。
 なんとなく気持ちに余裕が出てきたような気になったところで、指先に固い感触が当たった。
 なんだろうと視線を下げてみると、先ほど思いだした件の眼鏡。
 冷たい印象の、銀色の細いフレーム。
 指先でそのフレームをゆっくりとなぞり、そのまま弦の部分に指先を伸ばしかけて、はっと我に返った。
 慌てて離した指先に、無機質で固い感触が残っている。
 あまりにもたくさんのことが一度に起こりすぎて、そのきっかけとなったこの眼鏡をかけないようにしようと決めた。
 それなのにまるで吸い寄せられ、操られたように、手は無意識に眼鏡へと伸ばされてしまっていた。
 純粋な恐怖が、克哉の中に生まれる。
 最近の体調の悪さだけではない理由から顔を青褪めさせ、克哉は洗面台に置いた眼鏡から遠ざかるように踵を返した。
 出勤時間が迫っている。それが眼鏡から離れる理由になることを、幸いに思いながら。