奇妙物語 非現実が、現実になった。 それを喜ぶべきなのか、 (いや、喜んでいいはずがないけど) 嘆くべきなのか、 (もちろん嘆くべきなんだけれどさ) どちらとも判らない感情を抱えたまま過ぎた時間は、今日で四百五十六時間。 曖昧な関係は現在進行形で克哉に苦悩を齎すけれど、それに対して特別強い感情――反発や心地好さのようなもの――を覚えることもない。 ただもやもやと渦巻く感情に対して、時々、どうしようと悩みを深くすることはあるけれど。 「どうしよう……、なんだよなぁ」 はぁ〜、と、重い溜息を零す。 どうしよう、と思っている気持ちこそが、問題なのだ。それは克哉にも良く判っている。 本来であれば、どうしよう、なんて、そんな気持ちを抱いていいはずがないというのに。 もう一度深く溜息をつこうとしたとき、だった。 「おや?」 独特の声音。 揶揄を含み、面白がり、かつどこか嘲笑を含んだような声のトーンが、克哉の耳朶を打った。 「!? ……Mr.R……」 まさか、と思いながら振り返った先に、まるで最初からいたような顔をして佇んでいる相手の名を、克哉は力なく口にした。 「おや? どうしました、佐伯克哉さん。お疲れのようですね?」 克哉のそう問いかける声音は、なんとなくだけれど、うきうきと弾んでいるような調子だった。 彼の声の調子から、後に続く言葉が簡単に想像できてしまう自分に嫌気が差す。そう思いながら、克哉は、 「遠慮します!」 強い口調で拒絶の言葉を放った。 「おや?」 おかしそうにMR.Rの左の眉根が跳ね上がる。 薄い笑みを口元に浮かべたMR.Rは、ここ最近口癖になっているのではないかと言うほどの、お決まりの言葉を口にした。 「私はまだ何も言っておりませんが……」 「どうせ、また、変な名前をつけた柘榴の実でしょう」 うんざりとした口調で、克哉がMr.Rの言葉を遮るように言うと、Mr.Rはレンズの中の薄い目をさらに細め、嬉しそうに笑った。 「よくお分かりで」 にこにこと、人畜無害を装った笑顔を浮かべて、胡散臭い男が言う。 「嫌でもわかりますよ。あなたと出会った日から、そして、うっかりあなたにビールを勧めてしまったあの日から、ずっとオレは、同じ言葉を言われ続け、同じ言葉で拒絶してきたんですから」 「そうでしたねぇ」 にこにこ、にこにこ。 Mr.Rの笑みに、盛大な溜息をつきつつ、克哉はこちらも口癖になりつつある質問を口にした。 答えなど解りきってはいるのだけれど。 「オレに何かご用ですか?」 「つれないですねぇ」 これ見よがしにがっかりしてみせながら、傷ついた風を装って、Mr.Rが肩を落として見せた。 芝居がかったその動作に騙されていたのは、最初の一日二日だけで、今では克哉がどんな反応を返すのか面白がっているだけだと、判りすぎるほどわかっている。 だから克哉は、ほぼ連日口にする言葉を、今日も吐き出すのだ。 まるで昨日をくり返すように。 「私の佐伯克哉さんは、日々、私の思惑からかけ離れた成長をなさいますねぇ。それが楽しみでありながら、しかし、淋しい」 「Mr.R戯言は結構ですよ」 「本当に、つれない人になってしまわれた。か弱く、はかなく、今にも消えてしまいそうなほど、ご自身の存在そのものを否定されていたというのに」 「昨日も、その前の日も言いましたけれど、あなたとこうして話をしているだけで、オレは日々精神的に鍛えられていきますよ。あなたの思惑とはうらはらにね」 「それもまた、楽しみのひとつなのですよ」 「そうですか」 脱力する。 結局、なにを言っても、何をしても目の前の相手を面白がらせるだけなのだ。 もう放っておこう。 何度こんな風に思ったことか判らないことを、今夜もまた思いながら克哉はテーブルの前から立ち上がった。 とたんにMr.Rの表情が緩む。 「……飲みますか?」 答えなど聞かなくてもわかっているけれど、克哉は一応、そう尋ねた。 「愚痴を聞いて欲しいのでしょう?」 克哉の問いかけに、遠回しの、返答とも言えない返答が返る。 それに対して今夜こそなにか――文句でも説教めいた言葉でも、何でもいいから言い返してやろうと思い開きかけた口を、けれど、克哉は閉じた。 どうせなにを言っても疲れるだけだと思い直したのだ。 だから克哉は黙って冷蔵庫に足を向け、缶ビールを二本取り出した。 「缶のままでいいですよね」 否など言わせない口調で言いながら、克哉はテーブルの上に缶ビールを置いた。 とん、と、缶とテーブルの触れる音がする。 その音が消えないうちに、ぷしゅっと炭酸が抜ける音。 ごくごくと、まるで一缶を一気に飲み干すような勢いで、Mr.Rがビールを飲んでいた。 最初はその光景に驚いていた克哉だったが、この十九日間でその光景もすっかり見慣れてしまった。 きっといつものように半分を飲み終えたのだろう、Mr.Rは缶をテーブルに戻した。 相変わらずいい飲みっぷりだなぁ、と、半ば感心するように思いながら、克哉は自分のビールを口にする。 少し苦味のある炭酸が、喉を心地好く滑り落ちていく。 「美味しいですか?」 二口目を嚥下したところで、そんな問いかけが投げかけられた。 「美味しいですよ。なんです?」 問いかけの意味がわからず首を傾げると、Mr.Rの目が細くなった。 眼鏡のレンズが邪魔で、その瞳に浮かんでいる感情は判別できない。けれど、もう、それにむやみやたらと怯えることはない。 Mr.Rを信頼しているわけじゃない。胡散臭くて、正体不明で、警戒心は一杯だ。 けれど、すっかり気を許してしまっている自覚はある。 ここまで気を許したのは、いったい、いつ振りくらいだろうか。 三口目のビールを口に含みながらそんなことを考えていると、不意に、目の前が翳った。 手に持っていた缶ビールが取り上げられて、テーブルに置かれるのを、克哉は目の端で捕らえていた。 面白そうに細められたMr.Rの瞳が、ぶれる。 あ、と思ったときには、口付けられていた。 シャツの襟元を、強い力でぐいっと引き寄せられ、開いたままの、焦点の合わない瞳でMr.Rの整った顔を見下ろすように見ていた。 艶かしい動きで舌が克哉の唇を舐め、侵入してくる。 克哉は咄嗟に目を瞑った。 それと同時に、Mr.Rがなにか――克哉が口に含んだビールだ――を飲み込む音が聞こえた。 聴覚が捉えた音。頬に朱が上った。 「あぁ、本当に美味しいですねぇ」 唇が触れるぎりぎりで克哉の口を解放した傍若無人な道化者が、うっとりと悦に入った声音で言った。 「ねぇ、佐伯克哉さん」 うっとりと夢見るような声音。唇に触れる吐息。 羞恥を煽られる。 「今夜もあなたを味わわせてくださるんでしょう? ねぇ?」 応も否もなく、唇が深く合わされた。 克哉の口腔内を好き勝手に動き回る舌に、無意識に応じながら、ふと、克哉はMr.Rの言葉を思い返していた。 本気か、戯れか。 『私の佐伯克哉さん』 その言葉の意味を、今夜こそ聞けるだろうか? それとも、また、甘く泣かされるだけに終わるだろか? 快楽を呼び覚ますキスを受けながら、あぁ、でももう、どっちでもいいか、と、半ば自棄になりながら、克哉は男を引き寄せる意図を持って、その背中に手を回した。 終 |
10万Hit小説第一弾。Mr.Rとノマ克です。
タイトルに意味はありません。
苦手なんだ、タイトルって。