Step

「い・い・か・げ・ん・に・しろぉーーーっ!」
 腹式呼吸で吐き出した、これ以上はないというほどの大音声。
 誰が聞いても不機嫌だと丸解りのはずのイザークの怒声に、しかし、怒鳴られた本人はきょとんと目を見開いて、それからなにかを探すかのように周囲を見渡した。
 右を見て、左を見て。見つけられなくて、背後を振り返って。それでも見つけられなくて、首を傾げている。
 たぶん。たぶん、きっと、おそらく、普段ならばそれは、見る者が見れば微笑ましい仕草なのだろうとイザークは思う。が、いま、このとき、この瞬間にそんな仕草をされても、微笑ましいと思うどころか、嫌がらせだとしか思えない。
 小動物のように小首を傾げたままの相手に、もともと忍耐力に乏しいイザークの堪忍袋の緒は、あっさりと、実に簡単に切れた。
「きょろきょろするな! いま、ここには貴様と俺しかいないだろうがっ!」
 そう怒鳴ったとたん、目の前に立っているキラの顔が、煩そうに顰められた。
 怒鳴られたことが不愉快だとでも言いたそうに、キラの紫色の瞳がイザークを見返す。それをキッと睨み返しながら、イザークは「落ち着け、落ち着け」と自らに言い聞かせながら、努めて声量を押さえ込み、もう一度、さきほど言った言葉をくり返した。
「いいかげんにしろ」
「なにが?」
「なにがじゃないだろうがっ!」
 しらばっくれるなぁっ!
 落ち着けと、自分に暗示をかけていた努力もむなしく。イザークが叫び声を上げると、キラの顔がまた顰められた。
 表情全体で煩いと言っていて、それがさらにイザークの癇に障る。
「しらばっくれてなんていませんよ。わからないから、聞いているんだ! なにが「いいかげんにしろ」なんです!?」
 イザークの怒鳴り声に対抗するように、キラが声を張り上げた。
「わからないだと!?」
「わかりません」
 眉を顰めて問い返したイザークに、わからないことが当然。むしろ誇らしいとでもいいたげに、胸を張るようにしてキラが答えた。
 悪びれる様子も申し訳なさそうな様子もなく、むしろ堂々としているその態度に、ひくりと頬が引き攣ったのは、イザークの気のせいではない。絶対に。
 さすが、あの、アスランの親友だ。
 こちらの気を逆撫ですることに長けているところが、本当に、むかつくくらいそっくりだ。類は友を呼ぶとか言う諺があったが、あれは本当だったんだな!
 内心でアスランとキラを罵りながら、イザークは、
「わからないと言うなら、はっきりと教えてやる」
 居丈高に言った。
「偉そう」とキラが嫌そうに呟いた一言は、この際、無視しておく。
 相手にするから余計に腹が立つのだと、最近やっと学習したイザークだ。
 それをディアッカに言ったとき、ぽつりと一言、
「やっとかよ……」
 と、疲れたように友人は呟いたものだったが、あいにくその呟きはイザークには聞こえなかった。
「用もないのに俺の後をついて回るのは、いいかげんやめろ。鬱陶しい。迷惑だ」
 はっきり、きっぱり言ったイザークの一言は、しかし、
「嫌です」
 こちらもまた即答で、はっきり、きっぱり一蹴された。
 イザークはしばらくの間、ぽかんとした顔でキラを見つめた。
 即座に言い放たれた拒絶の言葉を、イザークの脳が理解することを拒んだとしか思えないほど、キラの返答を理解するのに時間を要した。
 理解しても、すぐには、どんな言葉も思いつかなかった。
 ただ、ただキラを見つめてぼんやりとしてしまったイザークは、
「イザーク?」
 怪訝そうに呼びかけられて、はっと我に返った。
 じろりとキラを睨みつけ、地を這うような声を出した。
「貴様、いま、嫌だとか言ったか?」
「言いましたよ」
 けろりと言い返すキラの顔は、拒んだことのなにが悪いんだと、逆にイザークを責めているように見える。
「むかつく」と今度は声に出して呟いて、イザークはさっきよりもさらにきつくキラを睨みつけながら、
「嫌ですじゃないだろう!? 付きまとわれる俺の迷惑を考えろ! そもそも、なんだって貴様は俺に付きまとうんだ?」
 付きまとわれる理由はないとばかりに怒鳴りつけると、少しだけ、キラが傷ついたような顔をしたような気がして、イザークはわずかばかりうろたえた。
 けれど、うろたえたことを悟られまいと虚勢を張って、イザークはぐっとキラを見る目に力を入れた。
 すると、負けるものかとキラもイザークを見据えて、ふたりは一触即発の緊張感を漂わせながら、睨みあった。
 短くも、長くも感じられる時間を睨みあってしばらくしてから、キラが、緊張の糸を断ち切るように息をついた。
 空気が緩む。
 恨みがましそうにイザークを一睨みしてから、顔ごと、キラの視線が逸らされた。
 なんとなく、イザークの心の中に苦いものが広がり出す。
 それは嫌な予感に似ていたし、後ろめたい気持ちにも似ていた。
「……なんだ?」
 唐突なキラの態度に、問いかけるように絞り出したイザークの声音からは、勢いは消えてしまっていた。
 それはまるで、イザークに対抗していたキラの勢いの消失に、引きずられたようだった。
「おい、キラ?」
 顔を逸らし、黙りこんだままのキラに声をかけた。
 が、返事は返らない。
 なんとなく居心地の悪い空気が、ふたりの周囲に漂い出す。
 静かな沈黙に、イザークは次第に焦り出した。
 冷静に今の状況を顧みて、さらに、焦った。
 傍から見れば、間違いなく、イザークがキラを責めて傷つけたように見えるだろうこの状況。しかし、この状況を突破する打開策はみつからない。――というか、みつけられない。
「おい、キラ!」
 イザークは焦りを隠せない声で、もう一度、キラを呼んだ。
 ゆっくり、ゆっくりと、キラの瞳がイザークに戻された。
「どうして、なんて……理由を聞くんですか?」
 わからないんですか、と訊ねられて、イザークは顔を顰めた。
 さっきとは逆で、今度はイザークが「わからない」と答えた。
 けれど、キラのようにわからなくて当然という態度になれなくて、憮然とした態度になる。
「本当にわからないんですか?」
「わからないと言っているだろうが」
「本当に?」
「くどいぞ」
「――鈍いなぁ」
「なんだと!?」
 溜息混じりに零された科白に、イザークは声を荒げた。
 後をついて回られる理由がわからないということが、そんなに呆れられることか? 馬鹿にされることなのか!?
 腹が立って、怒鳴りつけてやろうと口を開きかけたイザークは、しかし、続けられたキラの言葉に、怒鳴り声を封じられてしまった。
 いや、声だけじゃなく、動きも封じられてしまって、イザークはがちがちに固まってしまった。
「イザークのことを好きだからに決まっているじゃないか。ちょっとでも相互理解を深めたいと思うから。僕を意識して欲しいと思うから、僕なりに努力しているんです。……ストーカーみたいに付きまとったのは、不快にさせちゃったみたいだけど。それは、謝ります。ごめんなさい」
 素直に頭を下げられて、けれど、イザークの硬直は解けないままだった。
 好き?
 キラが、自分を、好き?
 心のうちで、頭の中で、言われた言葉をくり返し反芻して。
 やっと理解できたときには、さらに硬直した。硬直するしかなかったと言ったほうが、正しいのかもしれない。 
 なにがどうして、どうなって、キラがイザークを好きだと言うのかが、解らなかった。
 たいして話をしたこともなければ、通じるものがあるわけでもない。それどころか、開戦して、イザークたちが脚付き――アークエンジェルを追っていたときは、完全に敵だった。
 今は消してしまっているけれど、傷をつけられたという因縁があった。
 理由を告げられたことはないけれど、キラの方にもイザークに対してなにかあるらしいことを、イザークは感じとっているし、実際、アークエンジェルの元クルーたちから、いろいろと仄めかされたこともある。
 お互い良い感情をもてない経緯があるだけに、キラの言葉は青天の霹靂に近かった。
 ずいぶんと長い間、イザークは呆然としていた。
 イザークの硬直を解いたのは、遠慮がちにかけられたキラの声だった。
 それまでの生意気とも思える態度も、声音も、すっかり消えていた。
「気持ちが悪い?」
 恐る恐る。そんな印象を強く受ける問いかけに、イザークは硬直から解放され、ゆっくりと一度だけ瞬きをした。
 なにに対して気持ちが悪いと問いかけられているのか、イザークにはわからなかった。
 そのまま黙っていると、なんとなく誤解が生じそうな気がして、イザークは何かを言おうと口を開きかけた。
 しかし、イザークが返事を返すより先に、キラがもう一度、
「気持ち悪い?」
 と訊ねてきた。
 その不安定に揺れている声音に気づき、イザークは戸惑いながらもゆっくりと首を横に振る。キラがほっとした顔をした。
 心底、安心したキラの顔には、イザークが見たこともないような笑顔が浮かんでいた。
 それを見て、イザークは「ああ、キラは怖がっていたのか」と思った。
 そう思うのと同時に、今まで感じたことのない感情が、イザークの中に生まれた。
 とても不思議な感情だった。
 なんと表現すればいいのか、皆目見当がつかない。
 いま胸のうちにあるのは、ほんのりと温かく、くすぐったいような、とまどい。
 ただ普通に、あたりまえに、優しくしたいと思うことだけじゃないような、気持ち。
 ざわつく。
 イザークの全神経がキラに向けられて、意識してしまう。気になってしかたがない。
 意外な一面を見て、単に、戸惑っているだけのような気もする。けれど、そう思う一方で、いままでと確実に違う気持ちが、確かに芽生えてキラに向かっている――。そんな気がしてならない。
 その気持ちがキラと同じものなのか、それとも似て非なるものなのか、イザークには判断がつかなかったけれど。
「よかった」
 キラがそう呟いたので、イザークは怪訝にキラを見つめた。
 イザークの視線に気づいたキラが、おどけるように肩を竦めて言う。
「それでなくてもイザークに嫌われているのに、勢いで告白したはいいけど、それで気持ち悪がられたら、踏んだり蹴ったりじゃないか」
「……俺は貴様を嫌ってないぞ」
「そう言う嘘は、かえって僕を傷つけるって覚えておいて下さい」
「嘘をついて、俺にどんな得があるんだ……?」
「さっきも言っていたじゃないか。迷惑なんでしょう?」
「話しかけるわけでもなく、ただ黙って見られて、つけまわされて、迷惑だと思わない人間がいるか? いないだろう? 嫌いだなんて思ったことないぞ」
 イザークがそう言うと、疑うような眼差しが向けられた。
 なんだと思うと同時に、
「じゃあ僕を見て、いつも顔を顰めるのはどうしてなんですか?」
 そう問いかけられたイザークは、そのときの状況を思い出して、小さな舌打ちをしつつ、嫌そうに顔を顰めた。
 そして、顔を歪めているとキラが変な誤解をするだろうと思い直し、努めて、平静な表情を取り繕う。
 なるべくそのときの状況を思い出さないようにしながら、イザークは言った。
「……貴様の隣には、大概、アスランがいるだろう? 俺はあいつが大嫌いなんだ。だから、自然に顔が歪む。それだけのことだ。他意はないし、別に貴様を嫌っているわけでもない」
 言ってキラの反応を窺うように見ると、「なんだ、そうだったんだ」と、拍子抜けしたような声音でキラが呟いていた。
「そっか、アスランのせいだったんだ」
 納得したように何度か頷いていたキラが、ふと真面目な顔でイザークを見た。
 いつも子供っぽい表情の多いキラにしては珍しく、大人びて、目をひきつけられずにいられない顔だった。
 不意打ちの表情に、イザークは、鼓動が高鳴った気がした。
「アスランが隣にいなかったら、イザークは僕に笑いかけてくれる?」
「へらへらと意味もなく笑うのは、ディアッカだけだと思うがな」
「……笑わないにしても、顔を歪めたり、睨んだりしない?」
「アスランさえ視界に入らなければな! あと、貴様が黙ってついて回らなければ、だ。無駄話でもなんでも、とにかくなにか話しかければ、理由もなく睨みつけたりしない」
「本当に?」
「疑り深い奴だな、貴様は! さっきも言っただろう。嘘をついて俺に何の得があるっていうんだ?」
 イザークが言うと、キラが考え込むように黙り込んだ。
 それを黙って見つめていたイザークは、考えがまとまったのか、なにか思いついたのか、断固とした意思を宿した瞳に見つめられた。
 強い瞳だと思った。
 射抜くような激しさを持っているわけでもないのに、圧倒される。
 縫い止められたように、イザークは身動きができなかった。
 呼吸音さえ憚られるように、それでいて心地好い緊張感に包まれた空気が流れていた。
 感覚として、きれいな空気の中にいるようだった。
 それなのに。
「ずっとイザークの傍にいたら、笑いかけてくれるようになるのかな? もしそうなる可能性があるなら、ついでに僕のことを好きになってくれる可能性もあるなら、ずっとイザークの傍にいようかな。……うん、よし、決めた! そういうわけだから、しばらくイザークと一緒にいることにするよ。よろしく、イザーク」
 心地好い緊張感を吹き消す発言。イザークの意志を完全に無視して、にこりと笑いながら、キラが言った。
 呆然と。
 ただ呆然と、イザークは立ちつくしているしかなかった。
 否も応も言えなかった。
 当事者であるイザークを置き去りに決定された状況に、思考の停止した頭はついていけなかったのだ。
 それでも、なんとか落ち着きをとり戻した頭で状況を飲み込み、そんな一方的なことを承諾などするものかと思いつつ、
「ふざけるなっ!!」
 そう叫んでみたけれど、横暴な決定が下された状況が覆るわけでも、キラの発言が撤回されるわけでもなく。それどころか、隣にキラがいる日常があたりまえに感じるようになる始末だった。
 そしてイザークが、キラへの気持ちに気づくのは、もう少しあとの話となる。

                               END