Blue stone


 痛いほどの視線を頬に感じて、キラは居た堪れない気分に陥った。
 横顔に注がれている眼差しを、意識しないように、意識しないようにと思えば思うほど、どうしても意識してしまう。
 相手がキラの言葉を待っていると解っているから、なおさら。
「……あの、さ、イザーク」
 顔を上げ、イザークを振り返りながら小さな声で呼びかけると、キラの言葉からなにを感じ取り、誤解したものか。傷ついたように寄せられる眉根。
 少し薄めの唇から、そっと、そっと零された溜息。
 その溜息に込められた落胆に気づいて、キラの胸が痛んだ。
「――やはり受け取れないか?」
 囁くような声音に問いかけられて、キラは慌てて首を振る。
「そうじゃないよ! そうじゃなくて……どうしても決められないんだ。だから、また次のときでいいかな?」
 誤解をされて話が拗れるのは勘弁してほしい。そう思いながらキラが早口に伝えたいことを言葉にすると、今度は怪訝そうに顰められた眉宇。
 心底、不可解そうにイザークが問いかけてきた。
「どうして決められないんだ? 好きなものを選べばいいだけだろう?」
 悩むほどのことではないだろうと、少し呆れたような口調で言われて、キラは「そうだけど」と唇を尖らせた。
「簡単に決められないから、困っているんだけどね」
 ぽつりと、イザークには聞こえないよう呟いて、キラは溜息をついた。
 キラの呟きにも、溜息にも気づかないまま、イザークが首を傾げながらキラの顔を覗き込み、言った。
「キラ、デザインが好みに合わないというなら、この店はオーダーメイドで作ってくれるぞ?」
「デザインの好みとかじゃなくて……イザーク、一度、出よう」
 キラとイザークに声をかけるタイミングを計っている店員を、キラはそっと盗み見て、店員の意識がキラたちから逸れた一瞬を見逃さず、イザークの腕を掴んで店のドアに向かった。
「おい、キラ?」
 いきなり腕を取られたかと思うと、有無を言わさず引っ張られたイザークが、戸惑いながらも呼び止めるようにキラに声をかけてきたが、キラはその声に返事も返さず、店を出た。
 そして店を出たときの勢いのまま、メインストリートから外れ、海岸線へと続くコースを取った。
 途中、何度かイザークに声をかけられたけれど、キラは一度も返事を返さず、黙って歩みを進める。
 やがて潮の香りがきつくなり始め、海岸に近づいてきた。
 そこで、やっと、キラは歩く速度を落とした。
 イザークはなにも言わないまま、いつの間にかキラと肩を並べて歩いてる。けれどその顔は、お世辞にも機嫌がいいとは言えない。
 不機嫌というほどではないけれど、機嫌がいいわけでもないイザークの顔を盗み見たキラは、失敗してしまった自分に溜息をつきたい気分になった。
 自分の強引さは棚に上げて、他人に強引に押し切られることを、イザークは嫌っている。
 説明もなく店を出たのはまずかったかな、と、キラがもう一度溜息をついたところで、イザークが口を開いた。
 キラの耳に届いた声は、無感情なものだった。
 聞いたこともない冷たい声音に、身勝手にもキラの心が冷える。
 呆れられてしまっただろうか。嫌われてしまっただろうか。もしそうなら、悲しい。
 そう思う自分は、なんて我儘なのだろう。
 そんなことを思いながら、
「なぜ決められないのかが、俺には解らん。……欲しくないなら欲しくない。受け取れない。受け取る義理はないと、最初から言えばいい」
 キラの気持ちを決め付けるように吐き出された言葉を、聞いた。
 白黒をはっきりとつけたがる、イザークらしい言葉だと思った。けれど、その言葉を、いま、この状況で言われることは胸に痛い。
 痛いな、と、キラはそう思いながら、少しだけ顔を歪めた。
 イザークの口から放たれた言葉が、キラを責めたてている。けれど、そこに悪意は感じられない。感じられるのは、まるで拒絶するかのようなキラの態度に傷ついたイザークの、途方に暮れた感情。
 キラは、そっと瞼を伏せた。
 ああ、いま与えられた痛みは、キラが甘んじて受けなければならないものだ。
 キラが感じた以上の痛みを、きっとイザークは感じたはずだ。
 そう理解して、けれど、イザークの誤解を解きたくて、キラは目を開けた。
 まっすぐにイザークを見つめる。
 イザークの、普段は強い眼差しが、力を失っている気がするのは、自惚れすぎだろうか。
 もともと自己表現がストレートなイザークだけれど、キラの一言が他の誰の言葉よりも、イザークを一喜一憂させるのだと、そう自惚れてもいいだろうか。
 イザークの言葉に、態度に、キラが一喜一憂するのと同じなのだと……。
「受け取る気がないなら、最初からついてなんて行かないよ」
 キラがそう言うと、イザークがすっと目を細めた。
 キラの言葉の意味を考え込むように、真偽を確かめるように考え込んでいる様子の瞳を、覗きこむようにキラは見つめた。
 青い、青い、瞳。
 硝子越しに肉眼で。あるいは映像を通して見た地球の青を、そのまま嵌めこんだかのような青の瞳だと思ったことがある。
 その地球が育んだ色を、キラは脳裏に思い浮かべた。
 甲乙つけ難い、二色。
 好きなほうを選んで良いと言われても、簡単には選べなかった色。
 スカイブルーにも似た、透明感。
 春の空のような、柔らかな色合いの、青。
 きっとどれだけ迷っても、決められないだろう。
 どちらもイザークの瞳を連想させるから。
 イザークが関連していなかったら、きっと、もっと簡単に決められた。
 キラはそう断言できる自分を、知っている。
「迷うよ。すぐには決められない。……イザークは簡単なことだろうって言うけど、僕には簡単じゃないよ。難しい選択だよ」
「なにが難しいんだ?」
 理解できないと寄せられる眉根。
 あっさりと決めてしまったイザークには、たしかにこれは解らない悩みだろうとキラは溜息をついた。
「難しいよ」
 もう一度言って、キラは苦く笑った。
「だって、どっちも綺麗な青い色をしていて、どっちもイザークの瞳の色みたいだと思ったんだ。……青ってたくさんあるから、困るよ」
 キラがそう言うと、イザークの顔がさらに怪訝そうに歪められた。
「俺がキラの瞳を見立てて選んだのを真似る必要はないぞ?」
「真似るつもりはないよ。僕がそうしたくて、するんだから」
「そうか……」
 苦笑混じりに頷いたイザークに、
「そうだよ」
 とキラも頷き返した。
「キラ、今日は帰るか?」
 キラが良く知っている、少し照れを含んだ優しい声がそう訊ねた。
 キラの迷いを呆れているだろうイザークは、けれど、その迷いを理解して、日を改めようと提案してくれているのだ。
 その気遣いを、キラは素直に嬉しいと思う。
「うん」と頷こうとして、ふと、キラは名案が浮かんだというように、「そうだ!」と声を上げた。
 訝しそうな顔をしているイザークに、キラはにっこりと笑った。
「ね、イザークが決めてよ」
「は? なんだ、唐突に……」
「僕用のリングに嵌めこむ石、どうせだからイザークが選んで。イザークが、「これが俺の瞳の色に近い!」って思うものを選んでくれたら……」
「他力本願。だいたい、それじゃ意味がないだろうが」
「う……そうだけど。でも、いつまで経っても、僕、決められないよ? それにイザークが僕にもっていて欲しいと思うものなら、僕、持っていたいし」
「キラが決めろ」
 付き合っていられないとでも言いたげに溜息をついたイザークが、くるりと踵を返した。
「帰るぞ」
 そう言いながら歩き出したキラの恋人が、ふと思いついたように歩みを止め、キラを振り返った。
「……参考までに聞くが」
「イザークが選んでくれるの!?」
「自分で選べ」
 キラの期待に満ちた問いかけを一蹴したイザークに、
「いったい、どの石とどの石を比べて迷っていたんだ?」
 不思議そうに訊ねられた。
 キラは「ええっと」と首を傾げる。
「なんだったけ……ブルー? ……ええと、あ! ブルートパーズとかいうのと、ブルーダイヤモンド!」
「ああ……」
 たしかそんな宝石があったな。
 イザークが頷いた。
「なるほど。キラの、俺の瞳に対する印象はあのような色か」
 少しだけくすぐったそうな呟きに、キラは、
「そうだよ」
 と頷いた。
「イザーク」
「なんだ?」
「さっきのお店に、戻ろう」
 キラがそう言うと、イザークが驚いた顔をした。
「決まったのか?」
 さっきまで散々迷っていたくせに? そう言いたげなイザークを無視して、キラはイザークを追い越すと、さっさと歩き出した。
 この海岸線に来るときと同様、「キラ!」と呼びかける、イザークの声。
 キラは、今度はその声に振り返る。そして声高に言った。
「決めた! だから、イザーク、早く行こう!」
 待ちきれないとばかりにイザークを「早く、早く」と急かして、キラは元着た道を戻り始めた。
 呆れた気配を隠すことなく、ゆっくりと。けれど、ちゃんとキラを見守るようについて来てくれている恋人の気配を、背中に感じながら。



 数日後、キラの胸元にプラチナのチェーンに通された、やはりプラチナリングが、幾人かに目撃された。
 そして、同じ日。イザークの胸元で、キラと同じようにプラチナチェーンに通された、プラチナリングが目撃される。
 誰がどうみてもペアリングでしかないその内側に、お互いの瞳を見立てた宝石が埋め込まれているのを知っているのも、また、キラのリングにだけ、二種類の宝石が埋め込まれていることを知っているのも、二人と、そのオーダーを受けた宝石店だけの秘密である。



                                 END