Step 2

 マルキオ導師の邸内の一室で、友人が呆気に取られた顔をして、イザークを見つめていた。
 正確には、イザークの隣でにこやかな笑顔でイザークに語りかけているキラとイザークを、友人は見ていた。
 キラに視線を固定したまま、友人が口を開く。
 イザークがこの部屋に入ってから、数十分。そろそろ好奇心旺盛な友人が口を開く頃だと、イザークは頭の片隅で冷静に思う。
「――なぁ、イザーク」
「うるさい。黙れ。俺が知るか!」
「いや、オレ、まだなンにも言ってねーけど……質問は受け付けてもらえないわけね」
「当然だ」
 憮然としたままの顔つきで頷くと、苦笑を浮かべたディアッカが肩を竦めた。
 イザークとディアッカの短いやり取りの合間にも、キラはイザークに話しかけている。
 いつ、誰とこんなことをしていたとか、こんなことがあったとか。
 時間列はばらばらで、そのときにキラが思い出した話を、イザークが聞いていようがいまいが気にすることなく、延々と、――それはもう、ウンザリするほど延々と話し続けている。
 ウンザリとしながらも、イザークが律儀にキラの話の合間に、「それは一度聞いた」とか「どうなったんだ?」とか、適当に相槌を打つと、キラは「あれ、そうだったっけ? 話したことあった?」と首を傾げたり、「それでね!」と悪戯の結果報告を嬉々として語り出したりと、イザーク以外は眼中にない様子だ。
 けれども、イザークの疲労感いっぱいの表情には気づいていない。
 辛抱強くキラに付き合っている自分が悪いのだとは思うが、逃げ出すタイミングがつかめない。
 黙って後をついて回るキラにキレて、「なぜ付きまとうんだ!?」と怒鳴ると、「イザークのことが好きなんだよ」と告げられ、告白云々はともかくも、「黙ってついてまわるな! 無駄話でもなんで良いから話かければいい」という要望に「諾」と頷いたキラが、イザークの意思を無視して傍にいるようになって、早、二日。
 誇張でもなんでもなく、トイレとバスタイム、睡眠中以外は、べったりイザークの傍に張り付いて、マシンガンのように話をするキラにウンザリしつつも、それに慣れつつある自分が嫌だと、イザークは疲れた頭で思う。
 温くなった紅茶を飲みながら、キラの話に適当に相槌を打っていると、ずっとしゃべり続けていたキラが、不意に口を噤んだ。
 いきなり黙ったキラに、イザークは視線を向ける。
「なんだ?」
 どうした? と続けようとしたイザークは、じっと見上げてくる紫色の瞳の真剣さに、少し、動揺した。
「な、なんだ?」
「……イザークの小さい頃って、どんなのだったのかなぁって」
「はぁ!?」
 それはそんな真剣に考え込むようなことなのか? イザークには理解できない。
 イザークのそんな考えが顔に出ていたのだろうか。キラが少し困ったように笑った。
「だって、ほら、ずっと僕ばっかりしゃべって、イザークの小さい頃の話とか、聞かせてもらってないから」
 人に話をする隙も与えずしゃべり続けていたのは誰だ、と、イザークは内心でツッコミを入れながら、残りの紅茶を飲み干した。
 キラの質問には答えず、そのまま、ソファから立ち上がる。
 キラとディアッカ。ふたりの視線を背中に受けながら、イザークはドアへと足を向けた。
 すると、背後で慌てて立ち上がる気配。
 追いかけてくるつもりなのだと、簡単に想像がつく。
 イザークはそっと嘆息した。
 もう勘弁してくれ。
 心底、思う。
 これはなんの嫌がらせだ? アスランの陰謀か?
 そんなわけのわからないことを考え付いてしまうほど、イザークは疲れきっていた。
 キラのことが嫌いだというわけではない。嫌なわけでもない。付きまとわれっぱなしなのは、まあ多少迷惑だと感じないでもないけれど、それでキラのことを疎ましいと思う気持ちはない。ただ、少しでいい。半日でも良いから、ひとりになりたい。
 ゆっくりしたい。
 純粋にイザークはそう思った。
「イザーク、どこに行くんだ?」
 のんびりとした友人の問いかけに、イザークは肩越しに振り返った。
 面白そうに口端を吊り上げたディアッカを、イザークは睨みつけつつ答える。
「用事を思いだした」
 思いついた嘘を簡潔に告げると、そのまま部屋を出る。
 追いかけてくる気配は、ない。
 さすがに分別は持ち合わせているか、と、安堵しながら廊下を歩き、長い息を吐き出した。
 確かに、無駄話でもなんでも良いから話しかければいいと、そう言った。言ったが、誰も限度を超えて、四六時中べったり付きまとって話をしろとは言っていない。
 キラの口から語られる思い出話が、情報として脳に蓄積されていく。
 その膨大な量を処理しきれず、イザークの脳はオーバーヒート寸前だった。
 いったん脳を休めないとダメだ。
 イザークは玄関へと足を向けた。

 玄関の扉を開けた瞬間、耳に飛び込んできたのは海の音だった。
 つんと、鼻についたのは潮の香り。
 馴染みのない香りに、イザークは少し顔を顰める。
 海独特の香りは、慣れてしまえばどうということもないけれど、慣れるまでに少し時間が必要だった。
「少し歩くか……」
 ひとりごちてイザークは歩き出す。
 海岸へと続く道に足を踏み出すと、
「イザーク様?」
 柔らかい声に名前を呼ばれた。
 声のした方向へと首を巡らせると、かつてプラントにおいて「ピンクの妖精」と評された少女ラクス・クラインが、孤児院の子供たち数人を従えて立っていた。
 イザークを見返すラクスの瞳が、少し不思議そうにイザークを見ている。
「キラはご一緒じゃありませんの?」
 心底不思議そうにそう訊ねられて、イザークはがっくりと肩を落とした。
「……奴に用事ですか、ラクス・クライン? 自室に戻っていないなら、たぶんまだ、ディアッカと一緒にリビングにいると思いますが」
 丁寧な口調でそう告げると、
「あら、いいえ。用事はありませんの。なぜキラがいないのだろうと思いまして」
 イザークの傍にキラがいて当然なのに。そう言いたげなラクスの言葉に、イザークは絶句する。
 言い方を変えれば、たった二日。
 そう、たったの二日だ。
 キラがイザークの傍らにいるようになって、たった二日しか過ぎていない。
 つい二日前までは、キラの傍らにはアスラン・ザラ。誰もがそれを認識していた。当然だと思っていた。イザークもそうだった。
 それなのに、この二日間で周囲の認識を覆してくれたキラ・ヤマト。
 恐ろしいと思うべきなのか、感心するべきなのか。
 いや、そんなことはどうでもいい。
 気を取り直して、イザークは言った。
「ラクス嬢、俺の傍にキラ・ヤマトがいて当然だと思われているようですが、なぜそう思っておられるのかお聞きしても? 周囲の認識として、奴の傍にはアスラン、それが自然だと思われるのですが?」
「ええ、そうですわね」
 にっこりとラクスが笑顔で頷いた。
「でも」
 笑顔のまま続けられたラクスの言葉に、イザークは首を傾げる。
「でも……、ですか?」
 そう続けられる場合、たいていにおいて、望ましくない事柄を聞かされる場合が多い――気がする。
 問い返しながら、イザークは頭の片隅でそう思った。
「でも、キラはイザーク様のことが大好きでしょう? イザーク様の傍にいても良いと言ってもらえたと、とても喜んでおりましたもの。ですから、あんなに喜んでいたキラが、……この二日間イザーク様の傍にいたキラが、いま、あなたのお傍にいないことがわたくしにはとても不思議で……」
 おっとりとした口調。
 優しい声音。
 不思議そうな問いかけ。
 けれど、責められているように思えるのは、イザークの気のせいだろうか……。
 キラを放ったらかして、呑気にひとりで歩いているのはどういうことか説明しろと、遠回しに言われているような気がするのは、嘘をついて出てきた後ろめたさが生み出した妄想か。
 じり、と、イザークは後ずさった。
 無言の圧力に、ひんやり冷たい汗が背中を流れる。
 アスランの陰謀じゃなくて、ラクスの陰謀だったのかとこっそりと思いながら、ラクスの眼差しから心持ち視線を逸らして、イザークは口を開いた。
 嘘は、突き通しておかなければいけない。
「……私用が、ありまして」
 気を抜けばどもりそうになる。
「ご用があおりですの?」
「ええ、それで出てきたのですが……」
「そうですか……」
 それならば仕方がない。そんなニュアンスを含んだラクスの頷きに、イザークはほっと息をついた。
「では」
 と会釈をしてその場を去ろうとしたイザークは、だが、引っかかるものを感じて、ぎこちなく動きを止めた。
「ラスク嬢」
「はい、なんでしょう?」
「…………キラからお聞きになったんですか?」
「なにをでしょう?」
「キラが俺のことを……」
「ふふ。見ていれば判るものですけれど、わたくしの場合は、キラから聞いて知っておりました。――イザーク様、キラのこと、よろしくお願いいたします」
 そう言ったラクスが、深々と頭を下げた。
 イザークはぎょっとして、それを見つめる。
 顔を上げたラクスの瞳は、憂いに沈んでいた。
「キラの心の傷は、まだ、癒えてはおりません。大切な方々を、キラも亡くされた。簡単には癒えるものではありません。それはイザーク様たちも同じでしょう? わたくしも、同じです」
 ラクスの言葉に、イザークは散って逝った同僚たちを、同胞たちを思い出した。
「キラは優しくて――亡くなられた方たちのことを、まだ、思い出として消化できずに、悔いてばかりです」
 そっと落とされる溜息。
「わたくしもアスランも、そして、カガリも。キラと親しすぎるが故にできないことがあるのです。越えられない一線があります。言わなくてはいけない言葉を、飲み込んでしまう。飲み込ませてしまう。お互いの気遣いが、いまは、すべて裏目に出てしまっているのですわ」
「でも」と、ラクスがまた言った。
「でも、イザーク様の傍にいると、キラは自然体でいられるようです。我儘を押し通すキラを見るのは久しぶりだと、ミリアリアさんが仰っていました。アスランも……、そう言っておりましたわ」
 少し悔しそうでした、と付け加えられた一言に、イザークは複雑な気持ちになる。
 そんなことでアスランを悔しがらせても仕方ない。
 心のうちでそっと呟きながら、イザークは、
「――嫌いではないですが……」
 ぽつりと零した。
 ラクスの瞳が優しくほほえむ。
「キラに、言っておきますわ。イザーク様のプライベートタイムも尊重しておかなくては、嫌われてしまいます、と」
「……………………お願いいたしましょう」
 さすがに女性は聡いな、と、イザークは溜息をつきたい気持ちで思った。
 ぺこりと頭を軽く下げ、ラクスの傍らを通り過ぎたイザークに、
「イザーク様。そのまま行くとアスランと鉢合わせしてしまいます。海岸から逸れて、車道に上がられてはいかがでしょう。少し歩きますけれど、小さな岬に続く道にも出られます。気分転換には良い場所ですわ」
 そんな言葉がかけられて、イザークは、本当になにもかもお見通しなんだなと苦笑を浮かべた。
「お気遣いに感謝いたします、ラクス嬢」
 そう言って、イザークはラクスに教えられた方向へと足を向けた。
 横目に海を見ながら岬に続く道へと足を進め、イザークはマルキオ導師の邸宅に戻ったら、自分からキラに話しかけてみようと思った。
 幼い頃の話をしてみるのもいいかもしれない。
 そんなことを考えながら、潮の香りの空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

                                   END