Valentine day


「どうぞ」
 無愛想な一言とともに差し出されたカップを反射的に受け取ったイザークは、熱そうな湯気と一緒に立ち上っている甘い香りのするそれに、眉根を寄せた。
 イザークの表情の変化を見逃さなかったキラは、数日前イザークに言われたことを思い出して、そっと溜息を吐く。
「オーブでは二月十四日に、思いを寄せる相手にチョコレートを贈る習慣があるそうじゃないか」と、誰に聞いたのか、イザークは突然そんなことを言い出した。
 確かに思いを寄せる相手にチョコレートを贈るけれど、それは女性から男性へ贈るという習慣で、男性から男性へ贈る習慣はなくて、それどころかバレンタインまでの間に、男が自分でチョコレートを買うことほど、虚しく、居た堪れない気持ちになる日はないのだとそう告げようとしたキラは、しかし、「楽しみにしているぞ」というイザークの強制めいた発言に、すべての言葉を封じられた。
 イザークに余計なことを吹き込んだのは、いったい誰だよ!? と、苛立ちを抱えたまま、さて、いつ真実を告げて、勘違いを訂正してやろうかと機会を窺っていたキラは、しかし、運悪くバレンタイン当日まで、イザークとすれ違う日々を過ごしてしまっていた。
 おまけに本日十四日、プラントは慰霊式典で大忙しだ。
 キラがイザークに会えたのは、十四日もあと六時間足らずで終わろうという時間だった。
 受け取ったものを見た途端の、「期待はずれ」と言いたげなイザークの仕草に白々とした眼差しを向け、キラはさらに無愛想な声音で言った。
「それが僕の用意できる精一杯だからね。チョコレートは用意していないから。だから、あげられない」
 キラの言葉にイザークの眉根が跳ね上がる。
「どういう意味だ、キラ?」
 幾分低くなった声音に、キラは「だから」と、切り出した。
 そして、イザークの勘違いをひとつひとつ訂正して、最後に付け加えておく。
「プラントにはない習慣だから、イザークは知らないだろうけれどね。ついでに言えば、きっと、イザークは無縁だと思うけど。この時期に男が自分でチョコレートを買うなんて、すごく虚しいし、恥ずかしいんだよ。周囲の人から『ああ、この人はチョコレートをもらえないから、自分で買うんだな』って、それはもう同情的というか、失笑されるというか……すごく居た堪れない気持ちになるんだからね!」
 キラがそう言うと、イザークの眉根がますます寄った。
 不機嫌というよりは怪訝な顔に近い表情だ。
 眉間に皺を寄せたまま、イザークは手の中のカップに視線を落とす。
 じっとカップの中を見つめて、それから、ゆっくりとカップに口をつけた。
 想像以上に甘いそれを一口飲んで、イザークは
「甘いな」
 と呟いた。そして、
「我儘を言って悪かったな、キラ」
「イザーク?」
 きょとんと見返す瞳に微笑みかけて、イザークは続けて言った。
 苦笑と自嘲の入り混じったイザークの笑みに、キラはどうしたのだろうと首を傾げた。
「ああ、いや。チョコレートをもらえるかもらえないかで、愛情度が判ると教えられていたからな。……違うんだな」
「……あのさ、イザーク。義理チョコっていうものもあって、本命じゃない人にも渡すこともあるから。誰にそんな嘘を吹き込まれたの? だいたい、チョコレートで愛情度が計れるわけないし」
「確かにそうなんだが……」
 キラの言葉にイザークの苦笑は深くなった。
 確かにキラの言うとおりだ。
 チョコレートで愛情度が判るわけがない。そんなもので愛情の度合いが本当に判るなら、なにもその日に限定しなくても、いつでもチョコレートを渡せばいいのだ。
 少し考えれば判ることだったのに。やはり『恋人たちの愛のイベントの日』らしい習慣に、浮かれていたのかもしれない。
「すまなかったな」
 もう一度イザークがそう言うと、キラの顔が複雑そうに歪んだ。
「何度も謝らなくてもいいよ」
 キラはぽつりとそう言って、イザークから視線を外した。
「……べつに……イザークにあげたくないわけじゃなくって。チョコレートを買わなかったのは、ちょっとした僕の見栄だし。……えっと、だから、……それが精一杯なんだけど……」
 キラは言い終えると、ちらりとイザークを見た。
 イザークはキラの言葉に怪訝な顔をしつつ、もう一度、カップの中身を見つめた。
 少し冷めて甘さが増した気がするそれを、イザークは飲む。
 イザークが口の中に広がる甘さに困惑していると、キラが言った。
「それ、チョコレートの代わりだよ、イザーク」
「え?」
「ココアで悪いけど。……あ、でも。それはちゃんと僕が、自分で作って淹れたからね! イザークのために用意したんだからね」
「…………そうか」
「そうだよ」
「キラ」
「うん?」
「ありがとう」
 バレンタインの贈り物だよと。そうキラに告げられたイザークは、カップの中のココアを味わいながら飲み干した。
 甘すぎるのは得意ではないのだけれど。
 そう思いながらイザークは口を開いて言った。
「キラ、来年も、再来年も、このさきずっと。キラが淹れたココアを飲ませてくれ」
 イザークの突然の言葉に、キラは「え?」と素っ頓狂な声を上げた。
 驚いているキラにかまわず、イザークの言葉が続く。
「チョコレートを買うのは、恥ずかしいだろう? キラに恥ずかしい思いをさせるわけにはいかないからな」
 言って笑ったイザークに、キラは「うん」と頷いた。
「ん、わかった。イザークのためにココアを淹れることにする」
「楽しみにしている」
 そう言って柔らかな笑みを浮かべたイザークに、キラもイザークと良く似た笑顔を返した。

                                 END