本当は。
 胸の中、静かに、密やかに育っていたこの想いを、伝えたい。
 言葉にはできない想いを、たったひとりのあなたに。



秘心


 画面の中に映った姿を、ぼんやりと眺める。
 キラがぼんやりと見つめる画面の中で、遠慮なく向けられるレンズに、突き出されるマイクに、けれど彼は愛想笑いのひとつも浮かべず、それどころか無感動な一瞥を与えて、背筋を伸ばして歩いている。
 隙のない足運びに乱れはなく、彼が歩くたびに揺れる銀色がかったプラチナブロンドが、さらさらと揺れる。
 一言だって口を開かない来訪者の、小さくなった背中を、テレビカメラだけが追いかけた。
 気まずさを隠しきれないレポーターの、「以上、現場からの中継でした」という、今にも泣き出したいのだと言いたげな声を何の感慨もなく聞きながら、キラが「相変わらずだなぁ」と呟く声に、
「なんだ、あいつ。素っ気ないな。愛想笑いのひとつでも浮かべておけばいいのに。顔は良いんだから」
 呆れているような、なぜか怒っているような声が被さった。
「お疲れ様、カガリ」
 振り向いて、労わりの声をかけながら微笑むと、オーブ代表であるカガリ・ユラ・アスハの統治者然とした表情が崩れた。
 キラの良く見知った、喜怒哀楽のはっきりとした表情になったカガリが、キラの隣に座る。
 乳母のマーナが今の所作を見ていれば、「姫様! もっと女性らしい立ち居振る舞いを!」と顔を顰めて小言を言ったに違いない。
 キサカが見ていれば、顔を顰め、「カガリ」と呆れた口調を隠すことなく彼女の名を呼び、諫めたことだろう。
 そんなことが簡単に想像つくくらい、カガリの動作はおしとやかな上品さ、優雅さとはかけ離れていた。
 キサカ曰く「じゃじゃ馬」らしい態度でソファに座った姉の相変わらずさに、キラはそっと苦笑を零した。
「なんだよ?」
 キラの苦笑に気づいたカガリが、乱雑な口調で問いかける。
 それに穏やかな笑みを返しながら、キラは、「変わってないなぁって思ったんだよ」と言った。
「そんな簡単に変われるか。だいたい、おしとやかなわたしなんて、気持ち悪いだけだろ?」
 どこか拗ねた口調で言い切ったカガリに「そうだね」と頷くと、「そこは「そんなことないよ」って否定するところだ!」と怒鳴られて、強く睨みつけられた。
 カガリに睨みつけられて首を竦めたキラは、画面の切り替わったテレビに視線を向けた。
 中継はスタジオへと移り、あっという間に違う話題に切り替わっている。
「電源、オフ」
 早口にキラが告げると、テレビの電源は切れた。
 テレビの電源が切れると同時に、キラは隣に座っているカガリを振り返る。
 目の端で時計を確認することは忘れない。
「カガリ、時間があるならお茶でも飲む?」
「ああ、うん」
「コーヒー? それとも紅茶?」
「カフェオレ。少し甘口がいい」
「了解」
 カガリのリクエストに頷いて、キラは立ち上がった。
 部屋の隅に用意されたワゴンに近づき、カップを二つ用意すると、粗引きされたコーヒー豆でカフェオレを作る。
 カガリの分と、キラ自身が飲む分のふたつ。それを用意し終えると、キラはカガリの座っているソファに戻り、カップを手渡した。
 カップを受け取りながら、カガリが嬉しそうな顔をする。
 プラントからの訪問を受けての会談は久しぶりで、知らないうちにカガリも肩に力が入っていたのだろう。
 ほっとした表情に、キラはそっと苦笑した。
「キラも疲れているのに、悪いな」
「どういたしまして。熱いから気をつけて」
「ん。サンキュ」
 ふうっとカップに息を吹きかけてから、カガリが一口、カフェオレを飲んだ。
 カガリの表情がさらに緩んだものになる。
 彼女好みの味に淹れることができたようだ。
 すっかりリラックスした顔に安心して、キラも自分のカップに口をつけた。
 カガリに淹れたものと違い、砂糖を控えめにして、コーヒーの苦味を残したカフェオレ。
 苦味の残ったカフェオレの味は、キラの胸を切なくさせる。
 この味を飲むたび、たった一人を思い出す。
 あれからもう三年と少し過ぎたけれど、鮮やかな残像は薄れない。
 胸の痛みも、消えることはなく、それどころかいっそうひどくなるばかりだ。
「…………イザーク・ジュール」
 カップの中に呟きを落とすように、キラは呟いた。
 イザークが淹れてくれた味が忘れられなくて、キラは、少しだけコーヒー独特の苦味の残るカフェオレを好むようになった。
 イザークが淹れてくれた美味しさと同じものは、なかなか作り出せないけれど……。
「キラ?」
 心配そうなカガリの声に、キラは顔を上げた。
 いつの間にか思考の中に浸ってしまっていたらしい。
「大丈夫か? かなり疲れているんじゃないのか? ぼうっとしていたぞ」
「平気だよ。ちょっと考えごと」
「本当に?」
「本当だよ。心配かけてごめん。大丈夫」
「…………だったら、いいけど」
 まだ納得していない顔をしながらも、カガリは頷いてくれた。そして煽るようにカップの中身を飲み干すと、「充電完了!」と自分を鼓舞するように声高に言い、立ち上がった。
 優雅さとはかけ離れた所作だ。勇ましいと言う形容が似合うカガリの所作に、カガリらしいなぁ、と、キラは苦笑するしかない。
 年頃の女性らしさをカガリに求めるのは、たぶん、無理な相談だ。
 キラはカガリの動きを視線で追う。
「これから夕食会までは?」
「決裁書類と睨めっこ。その合間に雑務も少々」
「無理しちゃダメだよ」
「キラに言われたくないぞ、それは! お前こそ、ちょっと無理しすぎだ」
 顔色が悪いぞ! と、少し怒ったような口調で心配そうに言われて、キラの顔に苦笑いが浮かぶ。
「ちゃんと眠ってるし、休んでもいるよ。カガリに比べたらね」
「…………それは休んでいるとは言わないと思うぞ」
 自分のスケジュールと睡眠時間と休日を脳裏に描いたカガリの顔が、複雑そうに歪む。
 停戦からほぼ一年。地球、プラント共に戦争の傷跡は一度目の開戦時より深く、いまだ満足のいく復興にまで至っていない。
 一日フル活動で復興に、会談に、会議にと飛び回っているカガリは、月に一度か二度休みを取れればいいほうで、睡眠時間だって移動中に取る仮眠がほとんどだ。
 それと比べて休んでいるというのは、たいして休みを取っていない。休息していない、と、そう言っているのと同じだと、カガリは思った。
「気のせいだよ、カガリ」
「お前が倒れたりしたら、怒られるのはわたしなんだからなっ!」
 カガリ自身の保身を匂わせつつ、遠まわしに、わたしも心配だから倒れないように気をつけてくれと告げながら、カガリは、笑顔で嫌味を言う友人たちの顔を思い浮かべた。
 そして、ぼそりと呟く。
「…………本当に、怖いんだぞ」
 ラクスにアスラン。それからミリアリア……。
 キラのことになると、誰が相手だろうと気にすることなく、容赦も遠慮のない口調を思い出して、カガリの体は条件反射で震えた。
 ちなみに、カガリ自身は、自分も彼らと同じであることを棚上げしている。
 キラは苦笑を浮かべながら、
「みんないつまでも、僕を小さい子供みたいに思っているから」
 呟くように言った。とたん、カガリに、
「――キラを見ていると、守らなくちゃ! て思うんだ」
 言われて、キラはむっと頬を膨らませた。
「あのね、カガリ、僕だってもう二十歳だよ?」
「そんなこと知ってる。二十歳だっていうなら、子供みたいに頬を膨らませるなよ」
 可笑しそうに笑いながら、カガリがキラの頬をつついた。
 子ども扱いにキラが眉を顰めると、カガリの笑い声が大きくなった。
「ああ、もう、ほら! そういう幼い仕草がダメなんだって。可愛いだけだぞ、キラ」
 言いながらひとしきり笑ったカガリは、目元に滲んだ涙を拭いながら、
「さて、そろそろ部屋に戻るか」
 と、口調を改めた。
「そうだ、キラ。お前、ちゃんと夕食会に出ろよ?」
 扉に向かいかけた足を止め、カガリは肩越しにキラを振り返ると釘を刺すように言った。
 キラはカガリの言葉に表情を曇らせる。
 それに気づいて、カガリは、
「ちゃんと出席しろよ? お前はこのオーブの准将なんだぞ!」
 念を押す。
 キラは小さく頷いた。
 カガリが公務でプラントへと向かったときも、プラントの評議会議員の誰かが地球に来たときも、キラはなにかと理由をつけて夕食会に出席しなかった。
 サボり続けているキラに、ラクスが先手必勝とばかりに「次にオーブで行われる会議の後の夕食会で、キラにお会いできるのを楽しみにしております」と通信を入れてきたのは、つい先日の話だ。
 前もって逃げ道を塞がれて、苦笑しか出なかった。
「……解ってるよ。前にラクスと通信したときも、念を押されたし」
「壁の花でも目を瞑ってやる。会いたくないなら、絶対、あいつは近寄らせないから、だからちゃんと出席しろよ!?」
「あいつって、誰のこと?」
「決まってる! イザーク・ジュールだ!」
 カガリの口からこぼれ出た名前に、キラの心臓がとくりと音を立てた。
 ふとカップの中に目を落とす。
 冷めてしまったカフェオレ。
 この味を教えてくれた人。
 会いたい。
 会って、言いたいことがある。
 伝えたいことがある。
 会うことが少し怖いと思ったことはあるけれど。会いたくないなんて、一度でも思ったことはない。
「カガリ、僕、別にイザークに会いたくないわけじゃないよ」
「はっきり言ってもいいぞ。苦手なんだろ? わたしもあいつは苦手だ。あいつとまともに付き合える奴なんて、きっとディアッカとラクスくらいだ」
「本当に、会いたくないわけじゃないよ」
 会いたいくらいだよ、と、心の中で付け足して、キラは目を伏せる。
 会いたい想いが募って。
 伝えたい想いが募って。
 間近で姿を見たい。声を聞きたい。
 綺麗な声で「キラ」と呼ばれたい。いつかのように。
 そう思うのだけれど、なかなか勇気がでない。――伝えたい気持ちで溢れているのに、伝えたあとのことがうまく描けなくて……。
 イザークの隣で笑っている自分が、想像できない。
 一年前ラクスに、
「キラもプラントに来てくださるのでしょう?」
 と、そう問われたとき。その誘いに頷けば、イザークの近くにいられるのだと思って心は浮き立ったけれど、准将と言う肩書きを背負っていること、両親がオーブにいることを理由に、キラは結局、首を横に振って、地球に戻ることを決めた。
 ラクスの護衛を専任されるだろうイザークの傍、その片割れとして立っている自分。
 その図を思い描けなかった。
 あたりまえに一緒にいる姿を、想像できなかった。
 過去の遺恨は、ない。蟠りもない。一緒にいたいと思っているのに、どうしても一緒にいるところを描けないのは、どうしてだろうと考えたことがある。
 考えて、考えて、ふと、一番肝心なことに気づいた。
 イザークは、キラをどう思っているのだろう。
 彼の中で、キラの存在は、いったい、どの位置にいるのだろう。
 かつてのライバルか、友人か。それともただの知人だろうか? 少なくともキラと同じ想いを、イザークが抱いているわけがないだろうと思い至って、キラは泣きたいような、笑いたいような気分になったことを覚えている。
 イザークのように誇り高い人が、同性に好意を――恋愛感情を抱くはずがない。
 自覚のないまま答えに至っていた深層心理が、無意識にブレーキをかけていたのだと知って、苦笑するしかなかった。
 伝えたいけれど。
 募るばかりの愛しさを、イザークに、言葉にして伝えたいと思うけれど、そうすることによって失うものの大きさを考えると、伝えてはいけないと思う。
 伝えられないと、悲しいくらいに思い知る。
 伝えてはいけないと戒めて、痛むばかりのなにかを抱え込む。
 傍に近寄れば、つい、想いを口にしてしまいそうで。それが怖くて、イザークを避けるように、距離を置いた。
 カガリのサポートの忙しさを理由にして、個人的な通信もよほどでない限りしなかった。
 時折繋がる通信画面の向こう側で、イザークが浮かべる表情の優しさに、戒めた心が揺れたことはたくさんある。
 心のうちでなんども「好き」と呟いたけれど。
 想いを言葉にして、伝えて。彼の傍に居て、彼が作ってくれたカフェオレを飲んでみたいと、そう願ってばかりだけれど。
「キラ、どうした?」
 黙りこんだキラの顔を心配そうに見つめるカガリの声に、キラは我に返った。
「なんでもない」
 首を振って、カガリを安心させるように笑うと、なにかを言いかけたカガリの唇が引き結ばれた。
 諦めたように溜息を零したカガリが、
「夕食会、正装だからな」
 そう言って、扉に向かう。
 少し痩せたように思われる姉の背中に「うん」と頷いて、キラは、静かに扉が閉じられる音を聞いた。


「……立食だったら略装でも良かったはずだって思うんだけど」
 夕食会の行われている会場の一角。目立たない端の壁に凭れ、キラは拗ねたように呟く。
 キラとカガリ、ラクス以外は概ね略装での参加だ。
 略装が多い中、正装をしているキラは嫌でも目立ってしまう。
 夕食会が始まった当初は、正装が災いして、顔も覚えていないような評議会議員の人たちに声をかけられて、正直、キラは辟易してしまった。
 外交は慣れていないせいもあって、どうも苦手だ。
 あとでカガリに文句のひとつも言ってやろうと思いながら、そのカガリの出したお許しを楯に壁の花を実行に移したキラは、ざわめいている会場内を見回す。
 無意識に見つけてしまった青年は、努めて、無表情であろうとしていた。
 あんなにも感情豊かな人なのに、どうして感情を殺しているのだろうと首を傾げかけたキラは、イザークの目の前にいる人物に「ああ、そっか」と頷いた。
 傍を通りかかった給仕の青年が、キラの呟きに横切ろうとした足を止めた。
「お飲み物はいかがですか?」
 物腰柔らかな問いかけに、キラは首を振る。
 青年は「御用があれば、声をおかけ下さい」とにこりと微笑んで、飲み物を求める声の方へと向かって行く。
 その姿を一瞬だけ見送って、キラは視線を戻した。
 イザークの頬が、さっきより引き攣っているように思われる。
「アスランって、どうしてイザークの地雷を踏むようなことばっかり言うんだろう……」
 意識しているのか、いないのか。付き合いの長いキラにも判らないけれど、アスランの言動は、イザークを挑発する傾向にある。
 イザークも、最初はそれを無視しようと努めているようだけれど、最終的にはアスランのペースに乗せられて、ポーカーフェイスが台無しになるらしい。
 付き合うほうは大変だと、いつだったかディアッカが通信機越しに嘆いていたことを思い出し、キラはそっと笑った。
「そろそろ限界……かな?」
 イザークの様子を見つめていたキラは、壁に凭れさせていた体を起こした。
 そして、目的の場所へと向かって、人波の中を歩き出す。
 せっかくの夕食会で騒ぎは迷惑なだけだと、キラは足早にイザークとアスランの傍へと近づいた。
 ディアッカは早々に匙を投げて、逃亡してしまったらしい。
 賢明な判断だ。
 まあ、誰だって、いつものこととはいえ、イザークとアスランの諍いめいたじゃれ合いに、好んで付き合いたいとは思わないだろう。
 キラだって、できれば知らん顔をしたい派だ。
 せっかくの夕食会を台無しにしたくないから、ふたりの間に割って入るだけで……。
 今にも怒鳴り出しそうな気配を感じ取り、
「久しぶり、イザーク」
 キラは急いで声をかけた。
 勢いを挫かれたような顔で、イザークがキラを振り返る。
 夏の海のような瞳に見つめられて、キラは時間が止まればいいのにと思ってしまう。
 この瞳に自分の姿がずっと映っていられる幸福を、感じたい。
 自分の瞳に、イザークの姿を映していられる幸福を、感じたい。
 けれどそれは、叶わない願いだと知っている。
「キラ」
 呟く声音で呼ばれて、泣きたいような気分になった。
「珍しいな、キラ」
 少し面白くなさそうな顔をしたあと、アスランがキラに向き直って笑った。
 一瞬のアスランの表情を見逃さなかったキラは、イザークを挑発しているのはわざとかと少々呆れながら、
「カガリに脅迫されちゃったんだよ」
 と肩を竦めた。
 キラの言葉に「そうか」と頷いたアスランも、肩を竦めた。
 カガリの有無を言わせない勢いを、アスランも思い出したのだろう。
 そばで話を聞いているイザークは、キラとアスランのやり取りに、呆れた様子を隠しもしない。
 くだらないとでも言いたげな顔で溜息を零すと、彼はくるりと踵を返した。
 テレビ画面越しじゃないさらさらの髪が、照明を反射して、綺麗な光沢を放った。
 思わず見惚れてしまう。
 アスランの意識がキラに移ったのを幸いにと、躊躇いもなく離れて行こうとする背中に、キラは慌てて声をかけた。
「イザーク!」
 キラが呼び止めると、アスランがなぜか苦い顔つきになった。
 それに気づいただろうイザークの眼差しが、面倒そうに細められる。
 キラには判らないやり取りに首を傾げつつ、キラはもう一度イザークを呼んだ。
「なんだ?」
 どこか構えたような返事を不審に思いながらも、それを気にかけないふりで、キラは「久しぶりなんだから、少し話をしよう」と誘いをかけた。
 だが、キラの誘いにイザークが躊躇う素振り見せる。
「ダメ、かな?」
 キラに対する態度に違和感を覚えながら、けれどそれもきっと、久しぶりに会ったからだと結論付け、イザークの退路を塞ぐように尋ねた。
 キラの問いかけに、しかし、イザークはすぐに答えなかった。
 誰かの様子を窺うような躊躇を見せている。
 まるで誰かに遠慮をしているようにも思える態度に、
「イザーク?」
 怪訝に思いながら呼びかけると、青い瞳が躊躇を隠すように伏せられた。
 イザークのその仕草に、断られるのだろうかとキラの心臓が嫌な鼓動を刻む。
 不安を感じながらイザークの返事を待つキラの心臓は、なんでもない態度を取り繕っている表情を、完全に裏切っている。
 イザークやアスランに聞こえたら、確実に不審がられそうな鼓動を生み出す緊張に、正直、もう逃げ出したい気分だった。
 わずかな沈黙に耐え切れず、拒絶されることばかりを考えることがいやで、「もういいよ」と言おうと唇を動かしかけたキラは、唐突に青い瞳に見つめられて、呼吸を忘れそうになった。
 瞼に隠れていた青い瞳が、まっすぐに、真摯にキラを見つめ返している。
 さきほどまでとは違う理由で、キラの鼓動が高鳴った。
 澄んだ青。
 綺麗な瞳に見つめられて、キラは落ち着かない。
 見つめ返したくても、それが躊躇われて、なんとなくイザークの視線から逃れるように、そっと目を逸らした。
「キラ」
 静かな、けれど、耳障り良く通る声に名を呼ばれてしまっては、視線を逸らしたままではいられない。
 壊れそうな心臓を持て余したまま、キラはイザークと視線を合わせた。
 この瞳にとらわれた瞬間を、思い出す。
 とらわれ続けている心を、思い知る。
 声に出して伝えたい想いが、ある。けれど、それは伝えないと決めた。
 この胸の中、一生秘めて。
 死ぬまで、胸の中に隠し続けていくと決めた。
 だから……。
 ああ、けれど。声に出して伝えられないのならば、せめて、イザークが見て、感じるすべてに、キラの想いを紛れこませて、伝えられたらいいのに。そんなことを考えてしまう。
 なんて馬鹿馬鹿しくて、女々しい考え方だろう。
 イザークに知られたら、きっと、「もっと男らしく、毅然とした態度でいろ!」と、そう怒鳴られるに違いない。
 キラがそんなことを考えていると、
「キラ」
 とイザークに呼ばれた。
 さきほどまでの躊躇いを、綺麗に消し去った眼差しがキラを見ていた。
「来い。つきあってやる」
 傲慢な、けれど、イザークらしい言い方にキラは小さく笑う。
「え……? あ、……うん、ありがとう、イザーク」
 そう言うと、照れたように視線が外された。
 そんな仕草もイザークらしいと思いながら、さっさと歩き出した背中をキラは追いかけた。
 とたんに、呼び止める声。
「待て、イザーク!」
 アスランの鋭い声音に驚いて、キラは足を止めて振り返った。
 視界の端で苦々しい顔つきのイザークが、やはり振り返ったのを、キラは見た。
 両者の間に走る緊張。
 剣呑な空気にキラが眉を顰めると、ふと、アスランが気まずそうな顔つきになった。
「アスラン?」
「…………俺は、絶対に認めないし、許さないからな、イザーク」
「え? なにを?」
 アスランの言葉の意味を問い返したキラは、しかし、その返事を聞くことができなかった。
 唐突に、強引な力に腕を取られて、引っ張られる。
「ちょ……イザーク!? なに、どうしたんだよ?」
 訳がわからないまま、キラは足早に会場を横切るイザークについて行くしかない。
 肩越しに振り返ったアスランは、厳しい顔つきでキラとイザークを見ている。――いや、イザークの背中を睨みつけている。
 常にライバル視しているはずのアスランに睨みつけられ、それに気づいていないはずはないのに、きれいさっぱり無視しているイザークの背中に、キラは視線を戻した。


 開け放たれた窓から微かに届くざわめき。
 頭上から届く、葉擦れの音。
 庭に植えられた木。その一本に背を預けて、キラはイザークと共に立っていた。
 数メートル先にある窓からこぼれている、光。
 その光のおかげで、闇の中にいるにもかかわらず、周囲は思っていた以上に明るい。隣り合って立っているお互いの表情も、簡単に見て取れた。
 光源となっている夕食会の会場を出て、すでに十分以上が過ぎているはずだった。
 必要はないだろうと思って、キラは腕時計をつけていなかった。ちらりと視線を走らせると、イザークも腕時計はつけていないようだ。だから正確に、どれだけの時間が過ぎたのか、キラにはわからないけれど、ずいぶん長い沈黙の時間を、ふたりで過ごしている。
 思いがけない、幸運。
 三年と少しだけぶりの、ふたりきり。
 嬉しいのに。純粋に喜べばいいのに、キラの心は苦しくて、辛い。
 胸の奥に抱え込んだ気持ちが、不意をついてあふれ出してしまわないよう気を張り詰めていることが、そろそろ、辛い。
 居心地のいい、静寂。沈黙。
 だけど、なのか。だからこそ、なのか。なにも話題が思い浮かばなくて、ずっと黙り込んでいる。でもそれを苦痛だと感じることは、キラにはなかった。
 けれど、辛かった。
 口を開けば、想いを言葉にしてしまいそうで。
 思いを口にした後のイザークの反応を思えば、さらに辛さが増す。
 もう限界だとキラがそう思ったときだった。
「話をするんじゃなかったのか?」
 キラの隣で、キラと同じように木の幹に背を預けているイザークが、淡々とした声音でそう言った。
 キラは弾かれたように顔を上げ、イザークを見上げる。
 イザークと出会ってから、三年と少し。
 キラもそれなりに身長は伸びたけれど、悔しいことにイザークの身長に追いつくことはできなかった。
 だから、いまでも見上げることになる。
 腕を組み、青の双眸を瞼の中に隠しているイザークの横顔を黙ったまま見つめていると、ゆっくりと開かれた双眸。
 澄んだ、青、が、ちらりとキラを見た。
 見られたのだと意識したとたんに、煩く騒ぎ出す鼓動。
 落ち着きを失う、心。
 なにか言わなければ。返事をしなければ、そう思うのに、キラの唇はキラの思うように動かず、言葉は喉に張り付いたまま、音になることを拒んだ。
 沈黙の時間が重なって行くたびに、キラの気持ちは平静を失っていく。
 どうしよう、どうしよう、どうしよう! どうしたらいいんだよ!?
「……キラ」
 キラの混乱を知ってか知らずか、イザークが再びキラの名を呼んだ。
 静かな声だった。
 夜の中に溶け込むような静かさは、キラに落ち着きを与えるようだった。
 わずかに首を巡らせたイザークが、少し、可笑しそうにキラを見下ろした。
 揶揄を含んだ瞳の輝きに、キラの混乱がイザークに伝わっていたのだと知る。
 知って、キラはぎょっとした。
 キラの気持ちまでもが、イザークに伝わっていたと、そういうことではないだろうか。
 イザークは何も言わないけれど。態度に表したりもしていないけれど、キラの気持ちを知っているのではないのか?
 そう考えたキラの頬が、強張った。
 それに気づいたのだろうイザークが、「キラ?」と怪訝そうに呼びかけてきて、キラの顔を覗き込むように顔を近づけた。
 思いがけない接近に、キラの呼吸が止まりそうになる。
「……大丈夫か?」
 どうした? と、労わるように問いかけてくれる声に、キラはふるふると首を横に振った。
「なんでもないよ」
 吐息が触れそうなほどの至近距離に驚いたなんて、馬鹿正直に言えない。
 そう思いながら首を振ったキラを見つめるイザークの瞳が、安堵したように柔らかく細められた。
「そうか」
 安心した呟きを零したイザークが、そっと離れる。
 近かった体温が遠ざかり、それが、寂しくて悲しい。
 そんなことを思う自分の身勝手さに、キラが苦笑を零していると、イザークがさきほどと同じ問いを口にした。
「それで? 俺と話をするんじゃなかったか?」
「あ……うん……」
 キラは曖昧な頷きを返す。
 久しぶりだから、ゆっくり話をしたいと思った気持ちに、嘘はなかった。けれど、話をしようと言ったのは、さっさと去って行こうとしたイザークを引き止めるための口実に近かった。
 だから、これといって明確な話題があるわけじゃない。
 唯一話題になりそうなのは近況報告だが、それを話題にするならこまめに連絡を寄越せ! と、怒鳴られそうだ。
 なにを話せばいいのか。なにを話そうかとうんうんと唸っていると、呆れた溜息が零された。
「まったく」
 呟きの後、また、大仰な溜息がひとつ。
 それから。
「話なんて、たったひとつしかないはずだ」
「え?」
「キラ、俺に言いたいことがあるんじゃないのか?」
「え!?」
 イザークの言葉に、キラの心臓がまた音を立てた。
 じっとイザークを凝視すると、真剣な瞳がキラを見返した。
 深い青の双眸。
 地球の青。その一番綺麗な色だけを集めたような、瞳。
 その瞳をじっと見つめているだけで、すべてが絡め取られてしまいそうな錯覚。
 キラの中で緩みはじめる、なにか。するりと解ける、なにか。
 絶望と歓喜が交じり合ったような、複雑な感情が生まれる。
 同時に存在している、期待と否定。
 キラがイザークに言いたいこと。
 イザークがキラから聞きたいこと。
 それは同じものだろうか。
 違うものだろうか。
 ああ、ダメだ。それすらも判らない。
 なのに、キラの意思を無視して、キラの唇が開く。
 イザークの言葉に誘導されて。
 閉じ込めるはずだった、想いを。
 秘めて生きて行くと決めていた心を、裏切って。
 告げないはずだった、想いを。言葉を、キラの唇は簡単に。呆気ないほど簡単に、音にした。
「キラ、俺に言いたいことがあるのなら、ちゃんと言え。いま、ここで。俺に聞こえるように。俺に届くように」
 そう言ったイザークの言葉が、夜の空気に紛れきる前に、キラは言った。
「イザークが、好きだよ。特別な意味で、好きだよ。他の誰よりも」
 キラが言い終えると同時に、イザークの顔が綻んだ。
 そして、彼は、笑った。きれいに笑った。思わず見惚れてしまいそうなほど、その笑顔はキラの心を攫った。――奪われた、と。少しだけ乱暴な言い方のほうがいいかもしれない、と、キラはこっそり思う。
「やっと言ったな?」
 きれいに笑ったまま、少しの揶揄を含んだ言い方でそう言われる。
 言われて、キラははっと我に返った。
 次いで、ぎょっとなって、左手の掌で顔を隠すように覆う。
 掌に伝わる顔の温度が、熱い。
 けれど、ゆっくりと、その温度が冷たくなっていく。
 血の気が引いているのだと、どこか冷静な部分で思った。
 後悔が、ゆっくりとキラの心の中に広がる。
 言ってしまった。言わないと決めていたのに!
 イザークは、どう思ったのだろう。どうして、秘めていようと思った心を暴くような真似をするのだ。
 気持ちを口にする前に感じ取った感情が、また、キラの中で渦巻く。
 絶望。歓喜。また、絶望。
 それらは順番に、キラの中に押し寄せてくる。
 拒絶を、口にするのだろうか。
 それとも…………。
 否。そんなはずはない。イザークがキラの気持ちを受け入れるなんて、そんな可能性、あるはずがない。
 そう思っていたからこそ、キラは気持ちを秘めていようと心に決めた。
 だから――。
 だから、イザークがキラの言葉を求めているなんて、キラの抱いている勝手な希望だ。妄想だ。
 もしかして、これは夢なんじゃないだろうか。
 自分は部屋で転寝をしていて。夕食会はまだはじまっていなくて。
 ああ、でも。たとえ夢でも、言ってはいけない言葉を口にしてしまった!
 違う、と言わなければ。
 冗談だと言わなければ。
 たとえ夢でも。
 でなければ、せっかく手に入れた「友人」という立場さえ失ってしまう。
 震えそうになる吐息をそうっと吐き出して、キラがさきほどの告白を撤回しようとしたときだった。
「ちょっと、待て、キラ! 勝手に自己完結するな!!」
 まるでキラの心を読み取ってでもいるような言葉を、イザークが怒鳴った。
 怒鳴り声に驚く間もなく、乱暴とも思える強さで抱き寄せられる。
 包み込むような、なにもかもを奪うような抱擁。
 抱きしめられたところから伝わる体温。その温かさに、あれ、これは夢じゃないんだとぼんやり思う。
 キラは全身で、イザークの体温を感じた。
 抱きしめられているのだと自覚した瞬間、冷えた熱がまた、急激に上昇する。
「イザーク…?」
 掠れた声で囁くように呼べば、キラを抱きしめる腕の力が少しだけ緩められ、そしてまた、至近距離から顔を覗き込まれた。
 こんなに間近でイザークの顔を見るのは、何回目だろう。
 関係のないことが頭の隅を過ぎった。
 少しだけ戸惑っているような、困っているような顔をしているイザークを、キラは見返す。
 小さく息をついたイザークが、ためらいがちに口を開いた。
「――自己完結する前に、俺の返事を聞こうとは思わないのか?」
「イザークの返事?」
 なにを言われたのかとっさに判らず、問い返しながら、キラは首を傾げた。
 とたんに呆れた溜息が届く。
「キラが言ってくれた告白の返事に決まっているだろう」
 呆れを隠さない声音が紡いだその言葉に、キラの体が無意識に強張る。
 キラの体の強張りに気づいたイザークが、宥めるようにキラの背中を数回叩いて、強張りを解そうとしてくれた。
 さりげない優しさに、キラは嬉しいような、泣きたいような気持ちになる。
「まったく……」
 呆れながらも優しい呟きが聞こえた。
「キラが逃げ回ってくれたおかげで、長い時間を無駄にした」
「……え?」
「ずっと俺を避けていただろう?」
「避けてなんか……」
「避けていた」
 否定しようとした言葉は奪われて、あげくにきっぱりと断言されてしまった事実。
 避けていたことは本当で、反論の言葉など、もちろんキラが口にできるはずがない。
 言い返すことができずにそのまま黙り込むと、くつくつと可笑しそうに喉を鳴らすような笑い声が聞こえた。
 なにを笑っているんだろうとキラが内心で首を傾げていると、
「それで?」
 と、イザークに問いかけられた。
「え?」
「キラは俺の返事を聞いてくれるのか? それとも自己完結させて、それで終わりか?」
 面白がるような口調とは裏腹に、イザークの眼差しは真剣だった。
 その真剣な眼差しに引きずられるように、キラも表情を引き締める。
 怖いけれど。
 絶望と歓喜が、順番に押し寄せてくるけれど。
 まるで誘われるかのように、けれど、自分で口にしたのだ。イザークへの想いを。
 だったら、それにちゃんと向き合うのは当然のことだ。
 どれだけ怖くても、もう、逃げ出せない。
 ゆっくりと息を吸い込んで、吐き出して。
 決意を込めてキラは言った。
「イザークの答えが欲しいよ」
 キラがそう言ったとたんに、イザークの顔が綻んだ。
 キラの告白を聞いたとき以上に、きれいな笑顔だった。
 そのきれいな顔に悪戯めいた表情を織り交ぜて、イザークが言う。
「やっと言えるな」
「え?」
「キラのことが好きだって、やっと言える。そう言っているんだ」
「イザーク?」
「キラのことが好きだ。ずっと、そう伝えたかった」
 ストレートに告げられた言葉に驚いて、キラはイザークを凝視した。
 じっと見つめていると、どきりとするほど艶やかな笑みを向けられて、その笑みがゆっくりと近づいてくる。
「イザーク……?」
 疑問を乗せて名前を呼ぶと、眼差しで「静かに」と制される。
 制されるままに口を閉じると、啄ばむような口づけが唇に落とされた。
 一瞬だけ触れた唇は、すぐに離れて……。
 キラはぼんやりとイザークを見つめた。
 視界いっぱいに、ほんの一瞬だけ広がった、青。
 微かに唇に残っている温もり。
 口づけられたのだと、頭の隅で思う。思っていてもそれを理解しきれていない。
 まるで夢見心地だ。
 そんなふうにぼんやりしたままのキラの耳に落ちてくる、言葉。
「キラが好きだ。キラも俺を好きなら、遠慮は必要ないな? たった今から、俺とキラは恋人同士だ」
 嬉しそうにそう宣言したイザークの唇が、もう一度、キラの唇に落ちてきた。
 イザークの唇を受け止めながら、キラは半ば呆然とその言葉を聞いた。
 くり返される口づけの合間に、
「うそ……」
 と呟けば、呆れたように
「嘘じゃない」
 と言い返される。
「夢……、じゃない?」
「夢でもない。現実だ」
 いささか不機嫌な言い方でイザークが言った。
 信じきれていないキラを、イザークが軽く睨みつけるように見ていた。
「無駄な時間を増やした挙句に、今度は俺の気持ちまで疑うのか、おまえは」
 大仰な溜息とともに落とされた言葉が終わると同時に、
「いひゃっ!」
 両方の頬を抓られた。
 思わず叫んだ声は、けれど遠慮なく頬を抓られているために、言葉らしい言葉にならなくて。
 キラは抗議の眼差しを向けたけれど、イザークは涼しい顔でキラを見つめてから、手を離した。
 イザークに抓られた頬は、赤くなっているに違いない。
 そう思いながら恨みがましく睨みつけたキラの視線を受け止めたイザークが、飄々と言った。
「良かったな、夢じゃないだろう」
「なにも抓らなくてもいいじゃないか」
「夢じゃないと解らせるためには、抓るのがいちばん手っ取り早い方法なんだ。昔から」
 そんなに痛がることじゃないだろ、と。呆れた言い方に、キラは眉根を寄せた。
 イザークは痛まないから良いだろうけれど、抓られたキラは痛いのだ。なのに、キラが大袈裟に騒いでいるかのような言い草は、ひどい。
 拗ねて頬を膨らませたキラに、イザークが笑う。
「ほら、いつまで拗ねているんだ、おまえは」
 可笑しそうに言われたあと、愛しさを隠さない瞳で見つめられた。それから、また口づけ。
 誤魔化すつもりなのかと思っていると、
「やっと、掴まえた」
 安堵を含んだ呟きが届く。
 キラは心の底から安堵しているらしい呟きに、どんな顔をして良いのかわからなくて、困惑した。
 困惑したままでいると、
「なにを呆けているんだ?」
 呆れたような問いかけ。
「まだ夢だと疑っているのか? それともまさか、俺がからかっているなんて思っているわけじゃないだろうな?」
 憮然としたイザークの問いかけに、キラは慌てて首を振った。
「そんなわけない! そうじゃなくて……。イザークも僕を好きでいてくれていたんだったら、もっと早くに思いを伝えればよかったのかなって」
 イザークの言うとおり、ずいぶん時間を無駄にしてしまった。
 そう思うと、無駄にしてしまった時間が悔やまれる。
 もっと早くに思いを告げていたら、もっとたくさんの時間をイザークと過ごせていたのに。
 たくさん、イザークと同じ時間を共有できたのに。
 時間だけじゃない。それだけじゃない。
 キラが一番好きになったあのカフェオレを、イザークに作ってもらうことだってできたのに。
 ああ、まったく! なんてもったいないことをしたのだろう。
 キラが後悔をしていると、イザークが「仕方がないな」と苦笑した。
「これから先、いくらでも、ふたり一緒の時間は作れる」
 まるでキラの心の中を読んだかのような科白に頷こうとして、けれど、キラは
「無理だよ」
 か細い声でイザークの言葉を否定した。
「なにが無理だ?」
 自分の言葉を否定されて、イザークが不機嫌そうに問い返してくる。
「なにって……だって、イザークはプラントにいて、ラクスの護衛もしてて。僕だってここで、准将として復興に携わっているんだよ。そんな気軽に一緒にいられるわけない」
 通信モニター越しに会話をすることさえ、きっと、ままならない。
 それほどにお互い忙しい身の上だとキラが言うと、「なんだ、そんなことか」とたいした問題じゃないというようにイザークが言った。
「そんなことって、イザーク?」
 たいして問題視していない態度に、キラは怪訝な顔つきになった。疑問を浮かべたまま見つめていると、イザークが悪戯っぽく笑う。
 そして、キラの疑問に答えるように、イザークが口を開いた。
「オーブからの親善使節、大使も兼ねて、キラはプラントに在住することになった」
「え?」
「ラクス嬢の護衛はアスランと交代だ。俺はキラの護衛に就くことになった。人目を憚らず、ずっと一緒にいられるぞ」
「は?」
 なんだ、それは?
 そんな話、キラは聞いていない。
 ぽかんと口を開けて、キラはイザークを凝視した。
 イザークは悪戯が成功した子供のような無防備な顔で、キラを見返している。
「驚いたか?」
 楽しげな響を含んだ問いかけに、キラは魚のように口をぱくぱくとさせてから、大きく息をついた。
「驚いたに決まってるよ……」
 大きな溜息混じりの呟きに、イザークは悪びれることなく「そうかと」満足そうに頷いていて。
「はぁ〜」
 キラはもう一度、大きく息を吐き出した。
「ずっと一緒にいられるのは正直に嬉しいと思うけど、それ、職権乱用……」
 ぽつりと呟くと、イザークが不機嫌そうに片眉を跳ね上げた。
「アスランと同じことを言うな」
 低い声で、心底、嫌そうに吐き出された言葉に、キラはぱちくりと目を瞬かせた。
 アスランにも言われたのかと問い返そうとして、キラはやめた。
 ここへ出てくる前の、アスランの苦々しい顔と態度、それから言葉を思い出す。
 アスランもキラがプラントに在住することを聞いて、それで許さない、認めないと言っていたのだろう。
 アスランのあの態度を考えれば、キラが承諾していないどころか知らないことも、わかっていたのかもしれない。
 ついでに言えば、アスランは、イザークがキラを好きなことを知っていたこということだ。そして、あの変なところで聡い幼馴染みが、キラの気持ちに気づいていないはずはなく……。
 職権乱用。
 確かにそうだけれど。
 イザークとキラが両思いで、だけど、お互い気持ちを伝え合っていないとアスランは気づいているだろうか? 知っていただろうか? ……否、だ。気づいていなければ、知りもしないだろう。肝心なところで鈍感なところもある幼馴染みはきっと、キラとイザークは付き合っている、と、思い込んでいたのかもしれない。
 幼馴染みの、思い込みの激しい一面を思い出して、キラはそっと息をついた。
 それに、とキラは思う。
 アスランのイザークに対する態度を思い返してみれば、イザークが強引に話を進めたと思い込んでいる可能性が強い。
 キラとイザークが付き合っていると誤解しているのなら、放っておいてくれれば良いのに。
 いつまでキラの保護者のつもりでいるのか知らないが、いいかげん、他人のことより自分のことに一生懸命になれ、と、言ってやりたい気分だ。
 まあ、護衛役という立場についたのなら、それなりに進展はするのだろうけれど。
 ああ、でも、プラントに行くまでに、アスランとイザークの間で一悶着ありそうだとキラは憂鬱になった。
 けれど、その憂鬱を上回り、吹き飛ばしてしまうほどの歓喜が胸のうちにある。
 イザークに触れたままの指先から伝わる、体温。
 躊躇いも、気持ちを押し殺す苦しさも、後ろめたさも、もう、なにも感じることなく触れられる。
 想いを押し殺す必要もない。怖がらなくていいのだ。
 イザークはキラの気持ちを受け止めてくれる。想いを返してくれる。
 たったそれだけ。
 けれど、それが嬉しくて、幸福だとキラは思った。
「それで?」
 キラが幸せを噛みしめていると、イザークのどこか憮然としたままの声がそう聞いてきた。
「え? なにが?」
「なにが、じゃない。プラントに来る気はあるのか? それとも職権を乱用するようなことに抵抗があるか?」
「ないよ」
 キラは即答した。が、イザークの眉間に不機嫌な皺が刻まれた。
「それはプラントに来る気がないのか、職権乱用に抵抗がないのか、どっちだ?」
「あ! 職権乱用に抵抗がない!」
 慌てて答えると、イザークが安堵と溜息を混ぜ合わせたような息をついた。
 それから、彼は、笑った。
 どこか子供めいた、嬉しさを隠さない、それでいて照れたような笑顔だった。
 曇りのない笑顔を浮かべたイザークに、キラはもう一度抱き寄せられた。
 イザークの鼓動を感じた。
 その鼓動にキラの鼓動が重なっている。
 同じ速さの、ふたりの鼓動。
 キラは肩の力をすべて抜いてしまうように、深く息をついた。
 ゆっくりと瞼を下ろす。
 それから、少しだけためらいながらイザークの背中に手を回した。
 イザークの、キラよりも少しだけ広い背中が、微かに強張り、けれどその強張りはすぐに消えて、キラを抱きしめる腕の力が強くなった。
 息苦しさを感じない程度。けれど、簡単には振りほどけない、束縛。
 甘く体を縛る。
 目を閉じたまま、キラはイザークの肩に額を押し付けた。
 そして、言った。
「イザーク、プラントに行くのに、ひとつ、条件をつけて良い?」
「条件だと? なんだ?」
 怪訝そうな問いかけに、キラは
「難しいことじゃないよ」
 そう言って、忍び笑った。
「イザークが作ったカフェオレを、一日に一回は飲みたい」
「カフェオレ?」
「うん。三年前の戦争が終わったときに、淹れてくれたことあったの、覚えてない?」
「……覚えている。覚えているが、それが条件なのか?」
 そんなことで良いのか、と、いささか拍子抜けしているような問いかけに、キラは頷いた。
「うん、それでいいんだ」
 これ以上、多くは望まない。
 本当は、絶対に告げないと誓っていた気持ちを、告げることができた。
 それだけでなく、一緒にいること。
 同じ想いをもっている幸運に恵まれたこと。
 いつでも会える距離にいて。
 傍にいられて、いてもらえて。
 それ以上をいま望むのは、強欲な気がした。
「一日一回の、カフェオレタイム、か。了解した」
 苦笑気味なイザークの了承の言葉が、キラの耳の中に落ちてきた。

                               END