Sweet valentine day…?


 当然のように差し出された手に、イザークは顔を顰めた。
「なんだ、この手は?」
 そう問いかける声も、自然と低くなる。
 ついでに機嫌も少々下降を辿っていたけれど、イザークの目の前で手を差し出したままの人物には、そんなことは関係ないらしい。
 関係ないどころか、気に留めていない様子で、
「チョコレートは?」
 要求を口にした。
「チョコレート?」
 イザークは要求された内容に更に顔を顰めて、反芻する。
 小さい子供じゃあるまいし。
 そもそも出会い頭に、なぜ、そんなものを要求されなければいけないのだと、イザークがその問いを口にしかけたところで、キラの顔が怒ったような、拗ねたような。まさに小さい子供が癇癪を起こしているかのような表情になった。
「うわっ、信じられない!」
 わざとらしく大袈裟に上げられた声には、けれど明らかに非難の色が混じっていて、イザークは一瞬、うろたえた。
「信じられない? なにが、だ?」
 うろたえながらもキラに問いかけると、冷たく見返してくる瞳。
 責めるようにイザークを見つめながら、
「今日が何の日か、イザーク、覚えてなかった?」
 キラがそう言うけれど、イザークは全然、まったく思い出せない。
 今日? 今日は何の日だったろう。
 もしかして、なにか約束でもしていただろうか?
 いや、そんなはずはない。
 今日という日に約束を入れたりするはずがない。
 いや、今日だけじゃない。式典の日が近づくにつれ、それに関わる以外の約束なんて、仕事でもプライベートでも入れなかった。
 だからここ数日、ずっと、追悼式典のことで走り回って、雑事に追われて、まともな時間など取れなかったし、そんな余裕などなかった。
 プラントにとっては大事な式典で、疎かにはできないし、ミスすら許されない。
 そして今日だって朝からずっと、追悼式典に出席していて。一日中時間が取れないことなんて……。
 そこまで考えて、イザークははっとキラを見つめた。
 どんな顔をしていいのか判らないというように、ひどく困った顔でキラが立っていた。
 ああ、そう言えば、今日はそんな日でもあったのだと思い出す。
 二月十四日。
 プラントにとっては忘れられない惨事が起こった日。けれど、昔から、この日は大切な人たちや、お世話になった人たちに感謝の気持ちを伝える日だった。
 確かオーブでは、好きな人に気持ちを伝える風習があって。チョコレートを、渡すのだったろうか。
「キラ」
 悪かった、とそう言うつもりで呼びかけたイザークの言葉を遮るように、
「嘘。ごめん。今日が何の日なのか、なんて、そんなの問いかける僕が間違ってる。我儘で、ごめん」
 先手を打たれて謝られたイザークは、なんと言えばいいのか判らなくなった。
 言葉を見つけられずに黙り込んでいると、
「最近、ずっと会えなかったから、我儘を言ってみたくて。イザークを困らせたかっただけなんだけど、今日みたいな日に、性質が悪かったね。ごめんなさい」
 深々と頭まで下げられて、イザークはさらに言葉を失った。
 下げられた頭を見つめながら、さあ、どうしようかと、イザークはとりあえず軍服の襟元をくつろげた。
 それから、
「キラ」
 と呼びかけながらキラの顎に指をかけ、顔を上げさせた。
 少しだけ泣き出しそうな顔に、そっと息をつく。
「キラが我儘なのは、いまにはじまったことじゃないから、気にしていない。それよりも、――その、……悪かった、な。式典のことで頭がいっぱいで覚えていなくて……、なにも用意していない」
「うん。いいよ。ちょっと困らせたかっただけ。……ええっと、あの、イザーク。これ……」
 キラがおずおずと差し出したものに視線を移し、イザークは軽く目を見張った。
 キラの掌に乗っている、小さな箱。
 話の流れからチョコレートだと判る。
「貰ってくれるよね?」
 心配そうに訊ねられて、貰っても良いのかと訊けなくなった。
「ありがとう。開けてもいいか?」
「うん。もちろん」
 戸惑いを残したままの声音で礼を言ったイザークは、丁寧に結ばれたリボンを解いて蓋を開くと、トリュフが二粒、箱の中におさめられていた。
「甘そうだな」
「ちゃんとビターを選んでるよ。……それでもイザークには甘いのかもしれないけど。でも、疲れているときには甘いものが良いって言うから、ちょうどいいかも」
「ああ、かもしれないな」
 式典が終わり、すべての雑事が終わったとたんに感じた疲労感は、重く体に残っているままだ。
「食べてもいいか?」
 強いて甘いものが欲しいわけではなかったけれど、なんとなく疲れが取れるような気がして、イザークはキラが頷いたのを見ると、一粒摘んで、口の中に放り込んだ。
 ほんのりとした苦味と、ほどよい甘さが口の中に広がる。
 思っていたほど甘くない、イザークの好みの味に、イザークの目元が少し緩んだ。
「美味しいな」
「そう? 良かった」
 ほっとした顔で微笑んだキラに、
「食べてみるか?」
 とイザークは問いかけ、どうせなら、と、キラの唇に自分の唇を近づけようとした――のだけれど。
「ところでイザーク。僕の我儘がいつものことって、ずいぶんな言葉を、どうもありがとう。――チョコレートの味見は魅力的だから、残りの一個を遠慮なくいただきます。でも、キスはしないからね」
 そう言って、箱の中から素早くチョコレートを摘んで、キラは躊躇いなくそれを口の中に放り込んだ。
「あ。おいしい」
 ご満悦の表情でそう言ったキラは、呆然としているイザークの傍からさっさと離れて、くるりと踵を返した。
 言葉もなく、瞬きすら忘れてキラの背中を見送っていたイザークを、キラが、振り返った。
 そして。
「言い忘れてたけど。追悼式典、お疲れ様。それから、ハッピーバレンタイン。ホワイトデー、期待してるから! じゃあ、おやすみなさい」
 そう言ったキラが、ひらひらと手を振りながらリビングを出て行って、数分後、硬直から解放されたイザークは、掌の中の紙箱を握り潰しながら、
「勝手に人の官舎に入り込んでおいて、なんなんだ、あいつは!」
 ご近所の迷惑を顧みず、そう声高に叫んだ。

                                 END

久々に書いたイザキラ。
甘くなくてすみません。
と言うか、わたしはキラに負けてしまうイザークが好きなのかも(笑)。
キラに振り回されて、一喜一憂してるイザークって、きっと傍から見ていたら、楽しいと思う(酷)。