Blue Christmas


 澄んだ空に一番星がまたたいて。
 将は溜息をつきながら、それを見つめた。
 冷たい空気は容赦なく肌を刺し、体を凍えさせる。
 さっきまで暖房で温かかった部屋も、ベランダへと続く窓を大きく開け放しているせいで、すっかり冷えてしまっている。
 それでも、将は温かな空気を望んでいない。――否、望んでいるのだけれど、たったひとりで暖かな部屋にはいたくないのだ。
「……意地なんて張らなきゃ良かった」
 ぽつりと呟けば、さらに寂しさが募った。
 会いたい。
 いま、すぐに、会いたい。
 心の中に浮かぶ思いは、そればかり。
 だけど、会えない。
 会いたい人は、同じ空の下とはいえ、ここからは遠く離れた場所にいる。
 空の色が、だんだん濃い色に変化していく。
 星も、いつのまにか増えていた。
 ゆっくりと夜がきて。
 あと数時間で今日という日も終わる。
 終わってしまう。
 それなのに、将は一人きりだ。
 今日という日に、たった、ひとりで……。
「僕の馬鹿」
 どれだけ自分で自分を責めたって、時間は戻らないし、起こった出来事をなかったことにも、消してしまうこともできない。
 そんなこと解りきっているけれど、自分で自分を罵らないとやりきれないほど淋しい。
「……一緒に行くって、言えばよかった」
 せっかくのクリスマスイブなのに、ひとりきり。
 大好きな恋人と、離れて。
 物分りのいいフリをして、最後まで意地を張って、その結果、自業自得ですごく淋しい思いをしている。
 将は手の中の携帯電話を見つめた。
 着信音も鳴らなければ、メールが届いたという音も鳴らない。
 でも、それも仕方がないのだ。
 恋人は、今日は遅くまで雑誌の取材を受けることになっている。そして今頃は出版社の人たちと、インタビューあとの食事会だ。
 将にメールを送っている暇も、電話をかける暇もないだろう。
 解っていても、それはとても淋しい。
 割り切れない。
「平気だよ」と嘯いた昨日の自分を、殴ってやりたい。
 平気じゃないことなんて、解っていたのに。
 幸せな空気が蔓延しているこんな日に、ひとりで平気なんて、大嘘もいいところだ。
 その証拠に、友人たちの誰に誘われても、幸せが溢れている街に出かける気にもならなかった。
 恋人と一緒でないと、意味がない。
 他の誰かじゃ、本当の意味で幸せにはなれない。
 感じられない。
 とくに、こんなイベントの日には。
 吐き出した吐息は白くて。寒さだけでなく、唇が震えて。
 体が震えているのだって、寒さだけのせいじゃない。
 暖かな部屋の中にいたって、全然温かく感じられないのはひとりきりだからだ。
 傍にいて欲しい人がいないから。
 抱きしめてくれる腕がない。
 抱きしめ返したい人が、傍にいない。
 沈黙を守ったままの電話が、さらに将を淋しくさせる。
「薄情者」
 完全な八つ当たりだと自覚していても、呟かずにはいられない。
 うんともすんとも言わない携帯電話を見つめ続け、いいかげん、そんなことにも厭きてきて、そろそろこれ以上は風邪をひてしまうから、部屋の中に入ろうと顔を上げ、踵を返そうとしたとき。
 将の手の中の携帯電話が、メールの着信を知らせた。
 はっとして、将は携帯を見つめる。
 サブ画面にメッセージ受信の文字。
 急いでディスプレイを開いて、メール本文を呼び出した。
 送信者の名前に、泣きたいような、嬉しいような気持ちになった。
 メール本文には、素っ気ない、ひとこと。
 一日早い、メリークリスマスの文字。
「一日早いよ……」
 くすりと笑いながら毒ついて、将はメール画面を閉じた。そして指が覚えたナンバーを、素早く押す。
 今まで、ずっと、待つばかりだった自分が情けない。
 淋しいなら、意地を張らなければ良かったのだ。
 会えなくても、声は聞けた。
 メールを送ることだってできたのだ。
 どうしてそうしなかったんだろう。
 自分から動けばよかったのに。
 ただ、待っていただけじゃ、淋しいままだったのに。
 最後の数字を押し終えて、発信ボタンを押そうとしたところで、将の指の動きが止まった。
 唐突に、背後から、温かな腕に抱きしめられたからだ。
「ただいま、将」
 耳に心地好い、テノール。
 はじめてその声を聞いたときよりも、少し低くなっているけれど、ずっと馴染んできた声に呼ばれて。
 馴染んだ体温に抱きしめられて。
 嬉しくて、嬉しくて、思わず涙が滲みそうになった。
「すっかり体が冷え切ってるじゃないか。風邪、引くぞ」
 呆れたような声に咎められるのと同時に、温もりが離れる。
 それを淋しいと思う間もなく引っ張られて、冷気の入り込んだ部屋の中に戻されて、片腕だけで抱きしめられて、窓が閉まる音を恋人の胸の中で聴いた。
 規則正しい心音と、温かな体温。
 淋しかった心が、消えていく。
 自分でも、なんて単純なんだろうと思わずにいられなかった。
 冷えた体を温めるようにぎゅっと抱きしめられて、少し痛かったけれど、将は「痛い」とは言わなかった。
 もっと、強く抱きしめて欲しいと思う。
 意地を張って、離れていた分を。その間に生まれた自分勝手な淋しさを、埋める強さで、もっと。
 抱きしめる腕の強さに応えるように、将は恋人の背中を抱きしめ返す。
 もう一度「ただいま」と耳元で囁いた恋人に、
「おかえり、竜也」
 そう返して、将は今日はじめてのキスを強請るように、瞳を閉じた。



                                    END