Happy birthday 今日はお祝いだから夜通し騒ごう。 そう言って誘いをかけてくれた仲間たちに、過保護な兄が心配するからと、いつもと同じ理由で丁寧に誘いを断って、ひとり暮らしをはじめた弟を心配して、週の半分は泊まりに来る兄が待っているだろうマンションに帰宅した将は、電気の消えている室内に、肩透かしを食らった。 「珍しいな。功兄、今日は帰ったんだ……」 人気のない部屋に入って、電気をつける。 しんと、静まり返った部屋はいつものことだけれど、今日一日仲間たちと大騒ぎしていたせいもあって、心細く感じた。 弟離れできない兄がいないのなら、みんなの誘いを断るんじゃなかったと後悔しながら嘆息した将は、テーブルの上に置かれた小包に気づいた。 繊細そうな文字で『風祭将様』と書かれた郵便物を手に取って、将は首を傾げた。 くるりと裏返して、将は困惑する。 差出人の名前も、住所もない。 明らかに不審な配達物は、しかし、害がないと判断され、その判断を下した兄の手によって、部屋に運び込まれている。 「誰だろう?」 もう一度、表を見て、将はぽつりと呟いた。 几帳面で、繊細な文字。 なんとなく、見覚えがあるような気がするものの、どこで見たのか、誰の書いた字なのかが判らない。思い出せない。 将がまだ中学生だった頃に大怪我をして以来、過剰なほど将のことに気を使う兄が「大丈夫だ」と判断したものなら、開封して、中身を見てもいいのだろう。 そう結論付けて、将は丁寧に小包を開けた。 将が取り出したのは、エアパッキンで丁寧に保護された透明のケースだった。 「CD?」 丁寧にセロテープを剥がして、将はエアパッキンの中からケースを取り出した。 量販店で販売されているCDが、ケースの中に収まっている。 そしてそのCDの表面には、Happy Birthdayの文字。 「……プレゼント?」 誕生日の? けれど、いったい誰からだ? カードも何も見当たらない。 あるのは将の手の中のCD一枚だけだ。 「翼さんたち、かな?」 将を驚かせるために、メッセージでも吹き込んで送ってくれたのだろうか? そう思った将だけれど、でも、なんとなく違うような気がしている。 仲間の誰のとも、違う字。 それに、もし、仲間たちなら、どこかで絶対に誰かが口を滑らせて、この計画は将の知るところとなっていたに違いない。 「……聴いてみれば判るかな」 ずっと手に持っていたところで、音が聞こえてくるわけでもないし。 悪質な類のものであれば、ゴミ箱に捨てて、功兄に文句を言えばいい。 そう思いながらプレイヤーにCDをセットした将は、なんとなく躊躇いを残しながらも再生ボタンを押した。 数秒間の沈黙の後、スピーカーから澄んだ音が流れてきて――将は、息を飲んだ。 呆然と立ち尽くして、ピアノが奏でる『Happy birthday to you』を聞く。 「竹巳くん……?」 ずっと、ずっと、連絡を取っていなかった人の演奏だった。 聞き間違えようもない、優しい旋律。 笠井竹巳の奏でるピアノが、将は好きだった。 昼休みの短い時間、将のために弾いてくれた。 思い出すと、じわりと目の奥が熱くなって、涙が零れそうになった。 優しいバラードにアレンジされた曲が終わって、続いて演奏されているのは、将が好きだと言ったピアノ曲。 堪え切れなくて、将は、泣いた。 どうしてすぐに思い出せなかったんだろう。 小包の宛名の文字。几帳面で、繊細で、優しいあの字は、将が好きな人の字だ。 「竹巳くん……っ!」 もうどれくらい会っていないだろう。 声を聞いていないだろう。 懐かしくて、切なくて。 将の誕生日を覚えていてくれたことが嬉しくて、悲しい。 こんな風にプレゼントを送ってくるぐらいなら、会いに来てくれればいいのに。 会いに来て、抱きしめてくれたらいいのに。 もし、まだ、あの時に将が下した決断を許せないというのなら。 竹巳に黙って、武蔵森学園を辞めたことを許せないでいるのなら、中途半端に優しい想いを送り付けないで欲しかったと、将は思う。 そうしたら、こんな風に。ただ幼くて、優しくて、幸せだった想いを。今も好きだという気持ちを、思い出すことなんてなかったのに。 思い知ることもなかったのに。 「竹巳くん……竹巳くんっ!」 絞り出すように呼んだ声に、応えてくれる声はなくて。誰も応えてはくれなくて。 ただ優しい旋律だけが、耳に、胸に響いて、切ない。 痛い。 優しい音が響く部屋の中で、将は会いに行こうと思った。 幼い想いを。 優しい時間を。 幸せを共有した、今でも愛しい人に。 ――――会いに行こう。 将のためのオリジナルのピアノ曲が響く部屋を飛び出して、竹巳との思い出がたくさん詰まった場所へ向かって、将は駆け出した。 優しい手を、もう二度と失わないと、心に決めながら。 END |