Trick or Treat〜笠井竹巳〜

「お疲れ様」
 聞こえるはずがない声が聞こえて、将は驚いて顔を上げた。
 上げた視線の先には、この場所にいるはずのない、恋人の姿。
「竹巳くん?」
 どうして、ここにいるのだろう?
 本日、このグラウンドは全日本が練習に使用している。
 一応、関係者以外は参加禁止のはず、だ。
 呆然と呟く将と視線を合わせるように、竹巳がしゃがみこんだ。
「はい、これ。お土産」
 いまだに驚きから抜け出せないでいる将を気にすることなく、マイペースに竹巳がそう言って、将の目の前に小さな袋をぶら下げた。
 見慣れない、黄色い袋。けれどその袋には見慣れたロゴと、この時期定番のかぼちゃお化けのイラスト。
「……ありがと……」
 言いながら竹巳の手から受け取った袋を、将は見つめていた。
 そして、ふと、首を傾げる。
「おみやげ?」
 差し入れじゃなくて? と、無言で問いかけると、竹巳が「そう、お土産」とにっこり笑った。
「この前の連休に、久々に、家族で関西旅行に行って来たんだよ。ユニバーサルに行って、期間限定で配ってたそれをゲットしてきたんだ。将、キットカット好きだし、これはもう、もらうしかないでしょうってことで」
「そうなんだ。ありがとう」
 嬉しいな、とはにかんだ笑みを浮かべる将に、竹巳が「食べてみて」とにこやかな笑顔で言った。
 竹巳の言葉に頷いて袋を開けた将が、中身を取りだし、ぱくりとそれを口に銜えた。
 その、瞬間だった。
「トリック オア トリート!」
 楽しげな様子を隠すことなく、竹巳の唇から零れ落ちた言葉。
 チョコレート菓子を口に銜えたままの将には、とっさに返事をすることもできなかった。
 どうしよう。
 返事もできず、お菓子を口から出すこともできず、パニックに陥りかけた将の瞳に、にっこりと笑顔を浮かべる恋人の姿。
 瞬間的に嫌な予感が将を襲って、無意識に体が逃げをうとうとして。
 けれど、呆気なく、将を捕まえる恋人の繊細な指が、お菓子の袋を摘んでいる指先に、そっと添えられた。
 そして、お菓子から取り払われる袋。
 その意図することに、将はうっかり気づいてしまう。
 普段は鈍感なのに、こんなときに気づいてしまった自分に、将は泣きたい気持ちになった。
(た、竹巳くん!?)
 公衆の面前だよ!?
 みんなが見ているよ!?
 いちおう牽制のつもりで、目で訴えるけれど、将の想像通り、竹巳は気にした風もなく笑うばかりだ。
 機嫌のいい笑顔が将の顔に近づいてくる。
 将が逃げられないようにと、やんわりと、けれどしっかり掴まえられているから、将は竹巳から逃げることができない。
 本気で抗えば逃げられるけれど。みんなが見ているのにと思うけれど、でも、本気で逃げたり避けたりしようとは思えない。……思いたくない。
 子供の頃より、自由が利かなくなった。
 一緒にいられる時間が、もっと、減った。
 触れ合う機会が少なくて。寂しくて。
 いったい、何日ぶりに顔を会わせただろう。
 そんなことを考えながら、将は瞳を閉じた。
 ふっと、恋人が嬉しそうに笑う気配が伝わる。
 それから……。
 それから、「さくり」と、お菓子を噛み割る音。
 その音に閉じていた目を開けると、悪戯が成功して楽しいといった恋人の顔が映って。
 余計に恥ずかしさが増した。
 口に入れたお菓子を咀嚼して、嚥下して、赤くなっていると判っている顔で恋人を睨みつける。
「あのね、竹巳くん、お菓子か悪戯か、どっちかひとつだけなんだよ!?」
 自分から目を閉じて許容したことはこの際忘れて、怒った口調で言ってみるけれど、竹巳はにこにこと笑っていて、将の抗議など意に介した風もない。
 それどころか。
「どっちかひとつなんて、面白くないじゃないか」
 そう言って、にこにこと笑みを深くして、竹巳が将の耳元に唇を寄せた。
 そして、
「ごちそうさま」
 けろりとした顔で、のたまってくれた。

                                  END