Birthday present 「ええ、と」 どうしよう。 口をついて出そうになった言葉を、将はかろうじて飲み込んだ。 将の目の前には、拒否を許さない微笑を湛えている恋人。 「ちょっと待って。考えさせて欲しい」という言葉すら、却下されてしまいそうな微笑だ。 「将?」 笑みを深くした恋人に名前を呼ばれて、将はとっさに目線を逸らしてしまった。 しまった。そう思うのと同時に、下がった気がする体感温度。 恋人の微笑が少し強張っているのは、きっと、気のせいではない。……気のせいであって欲しいと、将自身は思うのだけれど。 「どうして目を逸らすの?」 爽やかな声音に隠された、僅かな不満。 あぁ、昔はこんな些細なことには、全然、まったく、欠片ほども気づかなかったのに。 恋人の変化だけは、自分でも気づかないうちに敏くなって、気づかなくてもいいようなことにまで、気づくようになってしまった。 こんなことなら、鈍感なままでも良かったかも。 心の中で呟いて、将は覚悟を決めたように恋人と目を合わせた。 悔しいことに、将は恋人を見上げなければいけないままだ。 成長しても埋まらなかった身長差。確実に、頭半分以上は上にある恋人の顔。悔しいな。不公平だな。そんなことを思いながら、眉根をわずかに寄せつつ見上げた恋人の目は、苦笑を湛えているようだった。 将の思考など、お見通しなのだろう。 「そんな困らせるようなこと言っているかな? 目を逸らすほど嫌なの、将?」 将がなにに対して眉根を寄せたのか判っているくせに、わざわざ顔を覗き込んで、囁くように言われた言葉に、将の眉根はますます寄ってしまった。 あぁ、本当に性質が悪い。 退路を塞ぐような訊きかたは、ずるいんじゃないかと思う。 「困っていないし、嫌なわけじゃないよ」 将はそう答えるしかない。 受け入れることに抵抗があるわけじゃないけれど、受け入れるための言葉しか、もう紡げなくなる。 考えるフリすら、許してくれない。 だからいつだって、こんなふうに恋人の願いに折れてしまうしかなくなる。 自分の誕生日なのに、なにかが間違っている気がしてならない。 「じゃあ、どうしてすぐに頷いてくれないのかな?」 にっこりと甘い笑みを浮かべた恋人の言葉に、将は唇を尖らせた。 とたんに、恋人が苦笑する。 ああ、どうせまた、「そんな顔しても可愛いだけだよ」とか、お決まりの科白を心の中で呟いているに違いない。 恋人と付き合う前から言われ続けられてきた科白だけど、慣れなくて困る。 免疫なんて、全然できない。 他の人に言われたって、苦笑するか、否定するか、聞き流すかできるのに、恋人に言われるとどうしても赤面してしまうし、そう思われているんだろうなと思うだけでも、やっぱり顔は赤らんだ。 くすり、と、小さく笑われて、将の心情が恋人に筒抜けになっている認識を新たにする。 ああ、もう、本当に性質が悪すぎる! 将の気持ちも、なにもかもお見通しなら、返事なんて判りきっているだろうに。 そう思いながら軽く睨みつけると、困惑したように竦められる両肩。 それから、やっぱり将の心を見透かした科白。 「将の言葉が欲しいんだよ」 切なく眇められた眼差しに、反論の言葉は封じられる。いつものように。 「確かな同意が欲しい。俺の独りよがりじゃない、ひとり相撲じゃないって、確かな証が欲しいんだよ」 我儘な子供みたいでごめん、と、切なく吐き出された言葉と共に、将の肩に預けられる額。 ゆっくり浸透するように伝わる、熱。 「英士くん」 吐息のような静かさで、将は恋人の名前を呼んだ。 英士は動くことなく、将の肩に額を押し付けたまま、 「なに?」 と、やはり静かな声で返事を返してきた。 英士のその静かな声の中から感じ取れる、かすかな不安。 将の返事なんかに、不安になることなどないのに。 変なところで可愛いな、なんて思いながら、将は英士の頭を撫で、その手を背中に回して抱きしめた。 小さく安堵の息を漏らす気配に、そっと微笑う。 強引なくせに、変なところで臆病だ。 ああ、そう言えば、他人にはなかなか見せないけれど、繊細で脆い一面があったっけ……。 英士の親友たちと、将だけが知っている一面を思い出す。 どうせ最初から返事は決まっているんだから、余計な不安を抱かせることもないよね。そう思いながら、将は口を開いた。 それでも心の片隅、強引な恋人を焦らす時間は短かったなぁ、なんて残念に思ったのはもちろん内緒なのだけれど。 「英士くん、ありがとう。誕生日プレゼントにしては、かなり豪華すぎる気がするけど……、ありがたく頂戴します」 言い終えると同時に、強く抱きしめられる。 「それは、OKってこと?」 まだ完全に不安が消え去っていない声が、将の鼓膜を震わせた。 将はくすくすと小さく笑いながら頷く。 「うん、そうだよ。だって、英士くんが僕のために買ってくれたんでしょう? ありがとう。これからは同じ『家』が帰る場所になるね」 うっとりと囁くような声音で言うと、将を抱きしめる腕の力が少しだけ強くなった。 将が息苦しくない程度。けれど、簡単には逃れられない力で。 「よかった」 ぽつりと、小さく。抱きしめられている将が、やっと聞き取れるくらいの小ささで呟かれた言葉。 本気で安堵していることが伝わってきて、将は可笑しく思えて笑ってしまう。 くすくすと笑った振動が、英士に伝わるようで、 「なにが可笑しいの?」 と訝しげに尋ねる英士に、けれど将は「なんでもないよ」と首を振った。 「ね、英士くん、引越しはいつにしようか?」 どうせならふたり同じ日に入居をしようよ、と、将が提案すると、英士の顔が嬉しそうに綻んだ。 その後の、英士の誕生日に強請られたペアリングを、将が特別な意味を込めて贈ったのは、また別のお話。 END |