Telephone line 通話ボタンを押そうとしたところで、携帯電話の振動が止まった。 英士は、手の中の携帯電話をじっと見つめる。 携帯電話の履歴に残る、見知らぬ番号。 着信履歴に何度か続いて残っているその番号に眉根を寄せて、英士はディスプレイを睨むように見た。 執拗に、といっていいほどの電話がかかってきている。 気づかなかったけれど、見知らぬ番号からの着信は五回。さきほど通話ボタンを押し損ねた回数を入れれば、六回。 気味が悪いと言うよりは、苛立たしく思えるその回数に、自然と顔が顰められる。 苛立たしさを隠しもしないで息をつけば、隣でサッカー雑誌を読んでいた親友が、英士に苛立ちに気づいて顔を上げた。 「英士、お前、そんな怖い顔をして携帯電話睨んで、どうしたんだよ?」 英士と携帯電話を交互に見つめながら、不思議そうに問いかけてきた結人に、 「知らない番号から、何度も電話がかかってきてる……」 不機嫌な声音でそう答えると、 「マジ?」 どこか面白がるような口調で、結人が携帯電話を覗き込んできた。 好奇心を隠さない親友の態度に少し苛立ちながら、履歴ごと消去してしまおうと英士が操作をしようとしたところで、 「あれ?」 結人がことりと首を傾げた。 「なに?」 問い返した英士を無視するように、結人はおもむろに英士の手から携帯電話を取り上げて、じっとディスプレイを凝視している。 「結人」 他人の携帯電話を許可なく取り上げた挙句、マジマジと着信履歴を凝視するのは、それはプライバシーの侵害になるんじゃないのと、諫めるつもりで呼んだ名に、結人が唇を尖らせて英士を見返した。 「ずりぃよ、英士」 拗ねた口調を隠さない親友のその言葉に、英士は怪訝な顔になる。 ずるい、といきなり言われても、なにがどうずるいと言われているのか、英士にはさっぱりわからない。 「あのさ、結人。俺のなにがどうズルイって言うの?」 完全に拗ねている結人の手から携帯電話を取り返そうとした英士は、しかし、失敗してしまう。 英士が伸ばした手を避けるように身を引いた結人を、呆然と見返しながら、 「結人?」 僅かに低めた声音で名を呼ぶと、親友は面白くなさそうにそっぽを向いた。 それからもう一度、 「狡い」 と、悔しそうに呟かれる。 「だから、なにがずるいのか、どうして結人にそう言われなきゃいけないのか、俺には全然わからな──」 解らない、と、そう続けようとしたところで、結人の手の中で携帯電話が振動した。 静かなバイブ音に、英士の言葉が途切れる。 はっとしたように結人が携帯電話のディスプレイを凝視して、それからちらりと英士を見た。 そしてなにを考えているのか、勝手に通話ボタンを押して、英士の携帯電話を耳に当てた。 「ちょっと、結人!」 なにを勝手に人の電話に出ているんだ、と、顔を顰める英士を無視して、結人は無邪気な声で相手の名を呼んだ。 「風祭!」 親友の唇から零れたその名前に、英士の心臓がどきりと跳ねる。 言葉もなく呆然と、親友を凝視する。 嬉しそうな表情を隠すことなく、満面の笑みで会話をしている親友と、その親友の手の中の、自分の携帯電話。 その電話と繋がっている──。 「結人!」 強い語調で名前を呼ぶと同時に、英士は驚いた顔をした結人の手から携帯電話を取り返した。 不満いっぱいの視線が、英士に向けられる。 まるで睨むような親友の眼差しを静かに見返すと、悔しそうに結人が視線を逸らし、読んでいた雑誌を乱暴に閉じた。 悔しそうに唇を噛みしめて、ごろりとその場に寝転がる。 駄々っ子のような態度に眉を顰めた瞬間、 『郭くん?』 と、確かめるような声が受話器から届いた。 英士を呼ぶ声に、英士は結人から意識を完全に切り離す。 拗ねた親友などに構ってなどいられない。 「どうしたの、風祭」 受話器越しに問いかけると、躊躇するような気配が伝わってきた。 「ずっと電話をかけてきてくれてたの、風祭だったんだ? ごめんね。電話に出られなくて」 『え、……ぅうん、僕の方こそ、急に電話をかけて、ごめんなさい』 申し訳なさそうに、小さな体を縮こまらせている姿が容易に想像できて、英士は口元を綻ばせた。 「謝らなくてもいいよ。それより、どうしたの? なにか俺に用事があったんでしょ?」 問いかけると戸惑うように言葉を途切れさせる。 「風祭?」 呼びかけても返ってくるのは、戸惑ったままの沈黙だ。 もともと、普段から言いたいことをすぐに口にしないところがある風祭だ。 すぐには言葉を引き出せないだろうと思いながら、けれど、何度も英士の携帯電話にかけてくるのだから、よほどの用事なのだろうと、やはり用件が気になってしまう。 少し長いと思う沈黙を破るために、英士が風祭に声をかけようとしたときだった。 『郭くん』 ひどく緊張した風祭の声が、受話器越し、英士の耳に届いた。 重大な決意をしたような。覚悟を決めたようなその声音に、携帯電話を持つ英士の手に思わず力が篭った。 息を詰めるようにして、英士は風祭の言葉を待つ。 ゆっくり深呼吸をくりかえす気配が、携帯電話越しに伝わってきた。 いったいどんな用件だろう。 慎重すぎる風祭の様子に、自然と英士も緊張してしまう。 ふと突き刺さるような視線に気づいて、英士は視線を動かした。 寝転がったままの結人が、追い詰められたような顔で英士を見ていた。 親友の表情は、今まで英士が見たこともないほど歪んでいて、今にも泣き出しそうな顔だった。 結人、と、親友の名を口にしかけたところで、 『……あの、誕生日……おめでとう』 控えめな声で言われて、英士の意識はすっかりそちらに攫われてしまった。 どうして英士の誕生日を知っているのだろう 心底不思議だった。 英士は風祭に想いを寄せているけれど、互いの誕生日を教えるほど親しくはない。 そうだ、と、英士は思い出す。 なぜ風祭は、英士の携帯電話の番号を知っているのだ? 携帯電話の番号を、風祭に教えたいと思っていたけれど、なかなかそんなきっかけはもてないまま、無駄に時間を送っていて。だから携帯電話の番号を教えたことはなくて。もちろん、風祭から電話番号を教えてもらったことはない。 携帯電話のディスプレイに表示されていた電話番号も、風祭からの電話だと思わなかった。 そこまで考えて、英士ははっと結人へ視線を向けた。 すっかり拗ねた顔をしている親友。 口をへの字に曲げて、相変わらず英士を睨むように見ている親友と視線が合った。 その視線はすぐに逸らされてしまったけれど。 「一馬のバカ」 ぽつりと呟かれた一言に、だいたいの状況を察して、英士は肩を竦めた。 英士を除け者にして、結人と一馬が、風祭と電話番号を交換する程度には親しくなっていたこと。 いま一馬と風祭が一緒にいるのかどうかは判らないけれど、一馬の口から風祭に、英士の電話番号が伝えられたこと。 それから。 きっとなにかの会話の折に英士の誕生日を知った風祭が、「誕生日おめでとう」と、その一言を伝えるためだけに電話をくれたこと。 そこにある気持ちが、特別なものかどうかは判らないけれど。 結人と一馬に抜け駆けされていたことに、かなり苛立たしい気持ちはあるけれど。 それでも、風祭からの電話と、貰えた言葉は素直に嬉しいと思うから、些細なことは、今回は不問にすることにして、英士は携帯電話を持ち直した。 せっかくのチャンスが転がり込んできたのだ。この機に勝負を仕掛けようか。 きっとまだ想いを告げていないだろう親友たちよりも、先んじてみようか。 フライングをした友人たちに対するささやかな意趣返しくらい、許されるだろう。 「――ありがとう、風祭」 『突然ごめんね、郭くん』 「いいよ。驚いたけど、嬉しいから。ありがとう」 もう一度感謝の気持ちを口にして、それから、英士は言った。 「ねぇ、風祭」 『うん、なに? 郭くん』 「お祝いの言葉をくれた風祭に、どうしても言いたい言葉があるんだけど、聞いてくれる?」 『え……あ、うん』 きょとんとしているだろう声が、英士の耳を擽るように届く。 その声に、自然と英士の頬と目元が緩んだ。 「風祭が好きだよ。もちろん、チームメイトとしての意味も込めてるし、人間的にも好きだよ。でも、一番伝えたい好きは、誰よりも特別に、風祭のことを好きってことかな」 『え……? えっと、……え、あの……郭くん!?』 ぎょっとしている結人を横目に見つつ、突然の告白に慌てふためいている風祭の声に口元を緩ませつつ、英士はさらりと告げる。 「返事は今すぐじゃなくてもいいよ。ただ、俺が誰よりも風祭のことを特別に想っている、その気持ちをいまは知っていて欲しかっただけだからね」 告げたからには、今後は容赦しないけどね、とは心の中で呟いて、英士は電話に集中した。 「風祭」 『は……はい!?』 上擦っている声に苦笑を零しながら、英士は言った。 「変に俺のこと避けたり、意識しすぎたりしないでくれると嬉しいな。せっかく風祭と仲良くなれそうなチャンスを、自分の告白でふいにしたなんて情けないこと、嫌だからね」 『う……ん』 「風祭の電話番号、登録してもいい?」 『え? あ、うん。あ、そうだ! 郭くん、あの……勝手に電話番号聞いたりしてごめんね』 「気にしてないよ。電話、嬉しかったから。ありがとう」 もう一度そう口にして、 「風祭、また、電話をしてもいい?」 きっと、まだ混乱しているだろう風祭に、次の約束を取り付ける。 「……うん」 戸惑いながらも、確かに頷いてくれたことに微かながら手応えを感じ、英士は満足そうに口元を緩めた。 痛いほど睨みつけてくる親友の視線は、綺麗に無視することに決めて、英士は 「じゃあ、また」 その言葉と共に通話を切った。 さっきまでなかった満足感が、英士の心の中をたっぷりと満たしていた。 毎日の延長にあった誕生日が、急に、特別なものに変化した。 この日のことを、忘れることはないだろうな。 文句を言いたそうな親友の存在を意識の外に追いやりながら、耳の奥に残っている声に浸るように、英士はそっと目を閉じた。 END |