春夏秋冬

 僅かな時間だよ、と、困ったみたいに笑って英士がそう言うと、将はこくりと頷いた。
 けれど頷いた顔は沈んだ表情のまま。
「風祭」
 理解してくれていて、納得もしてくれていて。それでも英士と離れたくないと思ってくれる感情は別なんだと、将の表情から良く伝わってきて、それがとても嬉しいと思う。
 そっと呼ぶ。大切な、大切な音を口にするように、英士は「風祭」ともう一度そっと呼んで、頷いたときのまま、心持ち俯き加減の将の頭を引き寄せた。
 抱き寄せた将の体は、英士の胸元にすっぽりと納まる。
 出会った頃からあった身長差は少し縮んだだけで、互いの目線は英士が将を心持ち見下ろすように。将が英士を見上げるようにして、やっと絡まる。
 以前冗談交じり、けれど半ば本気で、キスをするのにちょうどいい距離だね、と英士が言ったとき、悔しそうに、そして照れて顔を真っ赤に染めた将に、ぽかりと殴られたことがある。
 英士が抱き締めるたび、将はそれが悔しいと拗ねた口調で訴えかけてくるけれど、今日は「悔しい」の一言も零れてこなかった。
 言葉の戯れさえも出ないほど。
 それほど、想われている。
 なんて、愛しい。
「風祭」
 ぎゅうぎゅうと、将が痛がらない程度に力を込めて強く抱き締めて、頭頂部にキスを落とす。
 それが伝わったのか、腕の中の体がぴくりと震えた。
 怖がるように将の腕が英士の背中に回されて、縋り付くように抱き返された。
 強く、強く、絶対に離さないというように。
 愛しさが増して、英士はもう一度口づけを落とした。
 シャンプーの良い香りが鼻腔をつく。
 英士に伝わる将の鼓動。甘い体臭。シャンプーとコンディショナーの香り。
 同じものを使っているのに、将から香るものはなんて甘いのか。
 不意に、英士の胸が苦しくなる。
 離れがたくなった。
 僅かな時間さえ離れたくないと思ってしまう。そんなことが出来るわけがないと、良く解っているというのに。
 けれど、愚かなことに、考えてしまったのだ。
 離れなくてもいい方法が、なにかないだろうか、と。そんな方法などあるわけがないのに。
 愚か過ぎる自分の思考に、思わず途方に暮れて、英士はそっと瞼を下ろした。
 身じろぎもせず、互いの鼓動に耳を澄ますような静寂の中、しばらくの間、ふたりでただ抱き締めあっていた。
「郭くん」
 静かに。まるで静寂そのものを壊さないようにと、気をつけたような将の声が英士を呼んだ。
 英士は瞼を押し上げて、将の頭を見つめる。
 将は英士の胸元に額を押し付けるような姿勢のままだ。だから顔は見えない。
 それが残念だと思う。
「ごめんね」
 苦笑交じりの謝罪に、英士は咄嗟に言葉を返せなかった。
 謝罪の意味を問いかけようとして、どうして抱き締めあっているのかを思い出す。
 将の、我儘とも言えない我儘だ。
 それにつられるようにして、英士にも離れがたい感情が湧きあがってきた。だから、言葉もないまま、互いの感情を共有するように抱き締めあっていた。
 英士は思わず苦笑を零す。
 謝罪、なんて。
 こんなときの謝罪なんて、まったく必要ないのに、将は、心から申し訳ないと言いたそうに謝る。
「謝ることなんて、ないよ」
 俺も離れがたいよ、と、将の耳朶に言葉を落とすと、唇を寄せた耳が、真っ赤に染まりあがった。
 この純情の塊そのものの恋人を、このままどこにでも一緒に連れて行けたらいいのに、と、思いながら、けれどそんなことは無理だと判っているから、英士はもう一度将の耳に唇を寄せた。
 軽く、唇で赤く染まった耳を食む。
「ちょ……っ!? 郭くん!」
 上がる抗議の声。さらに真っ赤に染まった耳。
 熱を喚起されてしまいそうだ。煽られたいと、望んでしまう。
「風祭。三日なんて、本当に僅かな時間だよ」
 恥ずかしさを誤魔化すように、怒ったような表情をして見せながら英士を見上げるように見る将に、英士は笑いかけて、言った。
「それでも、その時間を離れがたいと思ってくれて、嬉しい。ありがとう。――好きだよ」
 英士は将の額にキスを落とす。
 将は、英士の言葉に仕方がないなぁという表情を浮かべた。
「うん。僕も郭くんが好きだよ」
 英士の告白に、将も告白の言葉を返してくれて。
「そろそろ時間だよね? ごめんね。気をつけて行ってらっしゃい」
 軽く英士の唇を掠めた、離れがたい熱。
 それに呆気に取られたのは一瞬。
「行ってきます」
 仕掛けられたキスにお返しをしたいけれど、きっと仕返しをしたら本気で離れられなくなる。連れて行ってしまいたくなるから。
 否、きっと抱きたくなってしまうから。
 苦笑を浮かべるに留めて、英士はそっと将の体を解放して、もう一度額に唇を落として玄関のドアを開き、
「行ってきます」
「行ってらっしゃい、郭くん」
 愛しい声に見送られて、英士は玄関を出た。

                                     終


10万hit小説第四弾。笛。郭将。
タイトルは華子さんの曲から。
久々すぎて、すごく誰、この人たち、と思った。