〜白い雪 Side:K 「風祭」 記憶の中より、随分と低く、男らしくなった声が、二回、僕を呼んだ。 幾分緊張しているように感じられるのは、気のせいだろうか。それとも、そうあって欲しいという僕の願望だろうか。そんなことを思いながら、僕は、気を抜けば溢れてしまいそうになる感情を必死に押し殺しながら、目の前の、かつての恋人――僕は、今でもとても好きでいる人を見返した。 僕が眼差しを合わせた途端、水野くんの表情が微かに歪む。 些細な仕草の変化の中から、僕が拾い上げたのは。……気のせいでないのなら、それは落胆や絶望感のようなもの。 期待と、恐怖と。それらを感じながら、僕は、ふと可笑しさを覚えた。 あの時も、雪が降っていた。 あの場所は、とても遠い場所だったけれど、降る雪の冷たさは同じだった。 日本と言う小さな国の中、同じ年頃の、けれど僕とは一歩も二歩も……ううん、それよりももっと遥か先を走っている韓国の人たちとの親善試合が終わった、その日の夜。 異国で降る雪の中。水野くん、ねぇ、僕の手を離したのは君のほうだったのに。 それなのに、僕の中に水野くんへの感情が見えないからと、落胆するの? 残念がるの? 絶望するの? 今さら? さまざまな感情が、僕の心の中で荒れ狂う。 今さらそんな感情を、どうして僕に向けるの。あれから何年が過ぎたか判っているの? 僕たちの間には、長い長い時間があって。離れていた時間、僕らは何一つとして共有するものを持たない。 僕は、僕が出会った君の知らない人と、君の知らない時間を過ごしてきたし、それは水野くんだって同じだよね。 なのに、どうして。 都合のいい期待を、君はしていたの? 嫌でも時間は流れていたのに、あの頃のままだと、気持ちに変化はないと、信じていたの? ぶつけたい言葉が、心の中、溢れる。 けれど、それらを僕は口に出来なかった。 悔しかった。 嬉しかった。 変わらずに、僕は水野くんを想っていたし、水野くんの僅かな感情の揺らぎから、水野くんも僕を想っていてくれていたのだと判ったから。 水野くん。 ねぇ、水野くん。水野くん、水野くん。……水野くん。僕は、今でもこんなにも水野くんが好きで、どうしようもなくて。 今すぐにでも水野くんに抱きつきたいよ。 抱き締め返して欲しいよ。 だから、ねぇ、僕に言葉をくれないかな? もう一度、僕らが肩を並べて、一緒に歩む言葉をくれないかな? 迷わずに、僕は頷くから。あの時と同じように。けれど、あの時とは正反対の意味で。 今度はその手を、ちゃんと、握っているから。 後悔したんだ。 ずっと、今でも、僕は後悔してる。 本当は、別れたくなかった。離れたくなかった。……僕たちはまだ子供だったけど。同性という大きな壁があったけど、一生ものの恋だったんだ。 他の人なんて、考えられなかった。……今も考えられないでいる。きっと、ずっと、この先何があっても、――いつかまた離れることがあっても、なくても、僕の一番の特別は水野くんだけ。 僕は、今、目の前にいる水野くんへの想いの深さを、思い知らされている真っ最中だよ。 水野くんもそうだといい。 そうであって欲しい。 そう願うように思いながら、僕は、静かに。とても静かに、水野くんを呼んだ。 「水野くん」 吐き出した息は雪のように白く。 その白さは、すぐに、空気に溶け込んでいく。 水野くんの差す傘の上に積もる雪。 きっと、僕の傘の上にも同じ雪が降り積もっている。 躊躇っているのか、諦めたのか。 黙りこんだまま立ち尽くしている想い人に、僕は、一歩を踏み出した。 僕は諦められない。 その手を、逃したくない。 握っている傘から、僕は手を離した。 水野くんが驚いた顔をして、僕を見つめている。 その表情を一瞬だけ網膜に焼き付け、僕は五歩分の、離れていた距離を詰めた。 ねぇ、水野くん、今でも僕は水野くんが好きだよ。 そう囁いたら、きっと、宙に浮いた手は僕を強く抱き締めてくれるだろうと確信しながら、僕は水野くんの冷えた体にぶつかるように抱きついた。 終 |