「もう、いいかげん起きたほうがいいんじゃないのか、アルフォンス?」
 呆れ気味の声を投げかけるけれど、シーツに包まった体はもぞもぞと未練たらしく動くだけで、起き上がる気配を見せない。
 眉根を寄せて、エドワードは手を伸ばす。
「アルフォンス!」
 少し強い口調で名を呼ぶと同時に、エドワードはアルフォンスの包まっているシーツを剥ぎ取った。
「うぅ……もう少し寝かせてください。眠ったの、明け方なんです」
 薄く開いた瞼を落としたアルフォンスが、唸るように言って、エドワードに背中を向けた。
 その背中を呆れた眼差しで眺めやり、溜息を零す。
 大袈裟なほど大きな溜息に、アルフォンスが、こちらも諦めの溜息を一つついて緩慢な動きで起き上がった。
 ふわわぁ、と、噛み殺しきれなかった欠伸をして、ごしごしと目をこする仕草は、とても十七歳に見えない。
 アルフォンスが世の女性たちに「かわいい」と称される所以だ、と、エドワードは思っている。本人はなかなか認めないが……。
 ぼんやりとベッドの上に座っているアルフォンスの額を小突いて、エドワードは笑って言った。
「ほら、しゃんとしろって。もうすぐ十時だ。どうせ今日も昼から約束をしているんだろう? 遅れるぜ」
 遅れるぜ、と言い置いて、エドワードは踵を返した。
 その背中をぼんやりと見送るように眺めていたアルフォンスは、はっと我に返る。
 言わなくてはいけない、と、咄嗟に思ったのだ。
 夢の話を。
 今日見た夢の話を、エドワードに伝えなければいけない。
 考えるより先に、馬鹿馬鹿しいと思うより先に、夢の話を、と、そう思ったから、アルフォンスは部屋を出て行こうとする背中を、慌てて呼び止めた。
「エドワードさん!」
「ん? なんだよ?」
 ゆっくり振り返った瞳が、不思議そうにアルフォンスを見つめる。
 追いかけるつもりでベッドを降りようとしてアルフォンスは、床に足を着いたままの姿勢で動きを止めた。
 真っ直ぐにアルフォンスを見つめ返すエドワードは、いつもと変わらない様子で立っている。
 そのいつもどおりに、アルフォンスはふとためらう。
 ためらいと同時に、冷静な思考が戻ってきた。
 冷静になってみると、言っていいのかどうか、瞬時に判断がつかなくなった。
 ただの夢だ。
 たとえ、どんなにリアルだったとしても、自分が見たただの夢。その夢の内容を話して、はたして、エドワードはどんな反応を返すのだろう。
 笑うだろうか。
 困ったように眉根を寄せるだろうか。
 鼻白んだ顔をするかもしれないし、もしかしたら声もなく驚くかもしれない。
――いや、それより。そもそも信じてくれるだろうか。
 あのリアルな夢の内容を。
 それとも、やはりエドワードも……。
「アルフォンス?」
 呼び止めたままで一向に口を開かないアルフォンスの名を、エドワードは心配そうに呼んだ。
 はっとしたように瞬きを繰り返し、アルフォンスが曖昧な笑みを浮かべた。
「どうした? 気分でも悪いのか?」
 問いかけながら、エドワードはアルフォンスの傍へと戻る。
 なにかを迷っているような素振りを見せているアルフォンスの瞳を覗きこむように、エドワードは身を屈めて空色の瞳を見つめた。
 優しい春の空のような色。
 その優しい瞳にためらいの色は似合わないなと、エドワードは思う。
 純粋な輝きを失わない瞳を、エドワードは案外気に入っていた。
 夢に一途な、きれいな人間。
「アルフォンス、なにかオレに言いたいことか聞きたいことでもあるのか?」
 アルフォンスが切り出しやすいようにと思って言うと、アルフォンスがそっと目を閉じた。
 ゆっくりと息を吸い込んで、吐き出す。
 まるで決心を固める儀式のような仕草に、エドワードは微かに眉根を寄せる。
 なぜか……ひどく鼓動が早鐘を打った。
 不安のような、焦りのような、嫌なものが心の中に広がる。
 もしかして、同居をやめて欲しいと言われるのではないかと、怯えている自分を自覚する。
 ロケットに対する情熱を失ったエドワードを、アルフォンスは疎ましく思っているのかもしれない。
 アルフォンスの性格なら、そんなことを思うはずがないと判っているのに、そう考えてしまうのは、自分の世界に帰る術にはならないからと、ロケットに対する興味を失った後ろめたさからだ。
 閉じられたとき同様に、そっと、静かにアルフォンスの瞳が開かれた。
 空色の瞳がエドワードを見つめる。
 凪いだ色だと、思った。
 アルフォンスの瞳を見返しながら、エドワードは、言葉を待つ。
「エドワードさん」
 絞り出すように発されたアルフォンスの声は、硬かった。
 自然とエドワードの体が強張る。
 怖い。
 そんな感情が生まれるのを、止められない。
「エドワードさん」
 エドワードの強張りに気づいたのか、安心させるように、アルフォンスの声が柔らかくなる。
 知らずに握り締めていた左手に、アルフォンスが触れた。
 強張りごと包み込むように、エドワードの手を両手で包んで、アルフォンスが少しだけ困ったように笑みを浮かべた。
「そんなに身構えないで下さい。深刻な話をするわけじゃないんです。ただ、ちょっと、信じられないような話を……。僕のほうが身構えないといけないような話なんですよ。エドワードさんに硬くなられると、調子が狂うな」
 茶化すように言って、アルフォンスはエドワードの手をあやすように軽く叩いて、手を離した。
 離れた手を、エドワードは無意識に視線で追う。
 少しばかり心細そうな顔をしていたのかもしれない。
 苦笑を零したアルフォンスの瞳が、優しく細められた。
 そして、仕方なさそうなふうを装って、アルフォンスの手がエドワードを引き寄せた。
 アルフォンスの手が、壊れ物を扱うように慎重にエドワードを抱きしめる。
 エドワードの胸の辺りにアルフォンスが額を預け、その頭をためらいがちに抱きしめたエドワードは、泣き出すのを堪えるような表情で眉根を寄せた。
 アルフォンスの与えてくれる優しさは、エドワードの胸を締め付ける。
 どうしていいのか判らなくなるほどに。
 そんなエドワードの表情に気づくことなく、アルフォンスは口を開いた。
「そんな不安そうな顔をしなくても、大丈夫ですよ。エドワードさんが不安になるようなことはないんです」
「……アルフォンス」
 安心をくれる言葉に、エドワードは目を伏せた。
 無意識に怯える心を、アルフォンスはいつだって救ってくれる。
 はっきりとは言わない。けれど、エドワードの傍にいる、と。いなくなったりしないと、遠まわしに言ってくれるから、よけいにどうしていいのか判らなくなる。
 深く関わるつもりはないのに、甘えてしまう。心を預けてしまう。
『アルフォンス・ハイデリヒ』という名の人物は、弟に似ているせいか、簡単にエドワードの心を無防備にさせてしまうのだ。
 甘えてはいけないと、判っているのに。
「エドワードさん」
 アルフォンスはエドワードの気持ちが落ち着いた頃を見計らって、呼びかけた。
「……話があるって、言ってたな?」
 まだ少しだけ不安を残した声音に、アルフォンスはそれでも大丈夫だと確信しながら頷いた。
 エドワードを抱き寄せた腕を放し、琥珀色の虹彩の瞳を見つめる。
 アルフォンスをじっと見下ろす瞳は、やっぱり、まだ不安そうだけれど、アルフォンスは気にしないことにした。
 気にしなければいけないのは、アルフォンスの話を聞いたあとのエドワードの様子だ。
 そして、自分の心も、か。
 嫉妬に狂いそうになるかもしれないと、他人事のように思いながらアルフォンスは言った。
「信じる、信じないはエドワードさんの自由です」
 最初にそう言って、アルフォンスは大きく息を吸った。
 怪訝そうなエドワードの瞳を、まっすぐ見つめながら、
「エドワードさん。あなたの弟さんに夢の中で会いました」
 アルフォンスは一息に言った。