まだ少しの瓦礫が残っている場所の前に佇んでいる赤いコートが目に入ったとき、エドワードは吃驚した。
 驚いて、思わず足を止めてしまう。
 目を凝らした先の背中には、懐かしいフラメルの紋章。
「オレ……が、いる?」
 一瞬、混乱する。
 世界どころか時空も超えたのか? もしかして?
 十五歳のオレとご対面かよ?
 そんな思いのままに呟けば、隣で怪訝そうにしつつも呆れている気配がする。
 普通は、過去の自分がいるなどという発言はしないだろう。
 ホムンクルスだとか、扉の向こうの世界に行ったエドワードにしてみれば、なんでもあり、の気がしているが。
 エドワードが立ち止まるのにあわせて、アルフォンスも歩みを止めたようだった。
 それを視界の端で確認しつつ、エドワードはもっと目を凝らした。
 あそこに立っているのは、本当に十五歳の自分だろうか?
 そう思いつつ、エドワードは見つめた。
 エドワードより、少し色味の濃い髪をしている?
 背は……背は………………。
 ……………………いや、それは、いい。どうでもいい。関係ない。
 多少頬を引き攣らせつつ、エドワードは視線を移した。
 両手には白い手袋。僅かに見える両の掌に……。
「錬成陣?」
 エドワードは眉を顰め、掌を見つめた。
 過去の残像を、呼び起こす。
 白い手袋に覆われていた両手。そこに錬成陣を書き記したことはない。
 エドワードに、それは必要なかった。
 構築式は、すべて、エドワードの中にあった。
 両手を合わせ、力を循環させる。
 それだけで良かったのだ。
 はっと視線を戻した。
 夢の中のアルフォンスの姿を、残骸の前に佇む人物の姿を重ね合わせる。
 思い出せ。
 エドワードは今朝の夢を思い起こした。
 あの夢の中で、アルフォンスはどんな格好をしていた?
 思い出せ。
 思い出せ。
 思い出せ!
 必死に記憶を呼び起こすけれど、思い出せなかった。
 どんな服装をしていただろう?
(ああ、でも、あれはオレの願望の投影が)
 幼い顔立ちは思い出せるのに。
(お前が無事な姿を、オレは見ていないから。だからあの姿は願望の投影)
 長い髪が、吹く風に揺れる。
 蜂蜜色の。父親譲りの、髪の色。エドワードより、少しだけくすんだ感じの金髪。
「アルフォンス?」
 呼びかけると、エドワードの隣で「はい?」と答える声がした。
 エドワードは「あっ」と思って、アルフォンスを振り返る。
 青い瞳。柔和な表情。門の向こうのアルフォンス。
 無意識に顔を顰めてしまう。
 まったく、ややこしい。
「人の顔を見るなり、顔を顰めないで下さい」
 不機嫌に言い放ったアルフォンスが、「なんですか?」と聞き返すのに、エドワードは小さく舌打ちした。
「ええっと、いや……」
 どう言えばいいだろうかと言葉を探すように、躊躇いつつ言葉尻を濁すと、アルフォンスは気づいたようだった。
「ああ」
 と、ひとつ頷いて、肩を竦めた。事情を察してくれたらしい。
「やっぱり僕はあの場所で待っていたほうが良かったみたいだ」
 そう言ってくるりと踵を返そうとするのを、エドワードは慌てて止めた。
「ちょ……待てよ、アルフォンス!」
 叫ぶように声を上げると、背中に突き刺さるような強い視線を感じた。
 その視線の主を、エドワードは知っている。
 体が震えた。
 心が震えたのかもしれなかった。
「兄さん……?」
 問いかけるように呼ばれた。
 懐かしくも、幼い声。
 綺麗な、ボーイソプラノ。
 鎧姿のときには、気にはならなかったけれど。
(声だけ聞いたら、お前、女と間違われてしまいそうだぞ、アル)
 優しい声のトーンは、きっと、母譲りだ。
 振り向けないままで、エドワードはそんなことばかり考えた。
「兄さん? 兄さん、だよね?」
 問いかける声が、大きくなった。
「エドワードさん、弟さんが呼んでますよ」
 振り向かないまま、固まってしまったように動かないエドワードに、アルフォンスの苦笑混じりの声がかけられた。
「ほら、ずっと会いたかった人でしょう?」
 促すようにアルフォンスがエドワードの肩を掴んで、体を反転させた。
 そのとたん、弟と、まともに視線がぶつかった。
 いつの間に間近に来ていたのか、アルフォンスは目の前にいた。
 目線が、エドワードと変わらない。
「……アル……」
 吐息のように掠れた声で、やっと、それだけを呟けた。
 まるで十五歳のときのエドワードの姿をなぞるような格好を、している。
「兄さ……」
 くしゃりと顔を歪めて、泣くのを必死に堪えたアルフォンスがさらに一歩、エドワードに近づいた。
 恐る恐る、歩み出される足。
 エドワードは、一歩も動けないまま、アルフォンスが近づいてくるのを見つめていた。
 堪えきれずに涙が滲んだのか、ぐいっと、アルフォンスの拳が目元を拭って。
「こんの、馬鹿兄―――――――――っ!」
 鼓膜が破れんばかりの叫び声と共に、握られたままの拳、渾身の力で、エドワードは頬を殴られた。