真っ赤に晴れ上がった頬に、冷たく冷やしたタオルを当てて、エドワードはむすっとした顔で椅子に座っていた。
 その正面には、同じような顔でアルフォンスが座っている。
「まったく、帰ってきて早々兄弟げんかとは……。情けないやら、呆れるやら」
 そう言いながらエドワードたちの前にコーヒーカップを並べた後、ピナコはぷかぁ、と煙管をふかした。
 紫煙は呑気な形で漂いながら、空気に溶けた。
 エドワードの隣の席に座って、険悪な空気を醸し出しているエドワードと彼の弟を交互に眺めていたアルフォンスは、勧められたコーヒーを口に運んだ。
 こくりと一口飲むと、喉に流れ込んだ温かな液体が、気分を落ち着かせてくれる。
 向かいに座ったピナコが、もう一度、煙管をふかした。
 紫煙の先を、アルフォンスは目で追う。
「エド、アル」
「嫌だよ、ばっちゃん。ボクは謝らない」
「オレは、なにも悪いことしてないんだぜ? つーか、なんだって殴られなきゃいけないんだよ?」
「……はぁー。まったく、勝手におし。強情どもが」
 呆れたように言い捨てて、ピナコはそれきり黙りこんだ。
 煙管をふかしつつ、コーヒーを飲みつつ、足元の犬の相手をしている。
 エドワードと弟の親代わりという老婆は、お互いの存在を意識しつつもそっぽを向き合っている兄弟に、ときおり目を向けては、呆れたように溜息をついていた。
 苦労していらっしゃるなぁ。
 その姿を観察しているアルフォンスは、心底、ピナコに同情した。
 エドワードの意外な一面に、アルフォンスは最初とても驚いたけれど、子供っぽい性格は元々なのだとピナコに教えられて、ああ、だったらそんなに気にするようなことではないのかと、意地の張り合いだか、兄弟げんかだか、じゃれ合いなのだか判らないやりとりを静観していたのだったが。
 そろそろ小一時間も過ぎようとしているのに、再会したばかりの兄弟は、互いの存在を気にしつつも、まだ意地を張り合っている。
 いくら親代わりをしてきて慣れているピナコでも、これはお手上げではないだろうか。
 そう思って口を開こうとしたアルフォンスを、ピナコの一言が黙らせた。
「放っておきな」
 でも、と続けようとした一言は、やはりピナコの言葉に封じられる。
「もうすぐ、嫌でも仲直りすることになるさ」
 アルフォンスにだけ聞こえるように言って、ピナコはカップの中身を飲み干した。
 ピナコの言っている意味が、アルフォンスには判らない。
 嫌でも仲直りすることになる、とは、いったいどういう意味だろうか。
 アルフォンスは戸惑いつつも、ピナコに言われたとおりに黙ったままでいた。
 本当は、いろいろと話したいこととか、聞きたいこととかがあったけれど、エドワードと弟が険悪な空気を緩和してくれない限り、実行に移すこともできない。
 溜息をつきたかったけれど、それすらできないほど空気は張り詰めていて、アルフォンスは仕方なく、コーヒーと一緒に溜息を飲み込んだ。
「ああ、帰ってきたね」
 ピナコがぽつりと呟く前に、機械の補助足をつけた犬――デンという名前だった――が立ち上がって、玄関に歩いていった。
 誰かが帰ってきたらしい。
 好奇心を隠すことなく扉を見つめるアルフォンスの目の前で、玄関が開いた。
 勢い込んで走りこんできた女性が、荒く息を弾ませて、家の中をざっと見回した。
 エドワードの隣にいるアルフォンスの姿に、一瞬、驚いた顔をしたようだったけれど、それどころではないと、切羽詰った表情が物語っていた。
 女性のその視線は、すぐにテーブルの前の人物、エドワードとアルフォンスに固定される。
 振り返ったエドワードが、女性の姿に大きく目を見開いた。
 弟も、はっとしたように飛び込むようにして入ってきた女性を見つめた。
「アル、エドっ!」
 今にも泣き出しそうな顔で叫んだ女性は、つかつかと大股でエドワードに歩み寄った。
 綺麗な人だな、と、アルフォンスは一般的な感想を抱く。
 なるほど、こんなに綺麗な幼馴染みがいたのなら、エドワードが他の女性に興味がもてなかったはずだ、とアルフォンスが納得したそのときだった。
 女性の手が、素早く動くのと同時に、
 がん!
 という音が聞こえた。
 その後に続いた呻き声にかぶさって、
「兄さんっ!?」
 悲鳴混じりの声が、ロックベル家に響き渡った。
 アルフォンスは、呆然と、いま目の前で起こったことを見つめていた。
 正しくは見つめていることしか、できなかったのだが。
 一連の動作は、素早く、無駄なく、きれいに行われた。
 エドワードの前に立った女性は、バッグの肩ベルトの部分を握っていた手を取っ手に移動させると、そのままためらいなく手を振り上げ、振り下ろした。もちろん、バッグの本体は、女性を見上げる形で顔を上げていたエドワードの顔面に、直撃。
 けっこうな大きさのバッグを、いとも簡単に振り上げ、目測を誤らず振り下ろせるあたり、エドワードに対するああいう行為に慣れているんだろうか。
「まったく、アルはエドを甘やかしすぎだねぇ」
 ウィンリィの反応なんて、わかりきったことじゃないか。
 呆れたように呟いて煙管をふかすピナコを見つめ、うんうんと唸りながら床に伸びているエドワードと、その傍に屈みこみ、おろおろと声をかけている弟。こめかみに青筋を立てつつ、肩で息をしている女性。
 四人を順番に眺めやり、アルフォンスは、そっと溜息を零した。
(苦労してるんだなぁ)
 明後日の方向を眺めつつ、アルフォンスは胸のうちでぽつりと呟いた。