19 無防備すぎるよ、兄さん。そんな簡単に――ボクに似ているからって、触れさせちゃダメじゃないか。 溜息まじりに思いつつ、アルフォンスは顔を顰めた。 拒絶もせず、おとなしく他人の腕の中に抱かれたままの姿を視界に収めていられることにも、限界はある。 湧き上がる不快感。 触れるな。 その人に、触れるな。 触れていいのは。腕に抱きしめていいのは、自分だけだ。 でも、まだ、エドワードの心のすべてをもらえていない。 エドワードのすべてを、欲しているのに。 強い独占欲が湧き上がる。 純粋でありながら、醜いとも言える感情に、アルフォンスはわずかに顔を歪めた。 「アルフォンスさん、兄さんに触れないでもらえますか? その人、案外情に流されやすいタイプなんですよ」 苦笑を滲ませつつ、アルフォンスは言った。 湧き上がる嫉妬心を、ちゃんと押さえ込んだ声で言えただろうか。 そんなことを思いながらエドワードに視線を向けると、強張った顔でアルフォンスを見返していた。 冷静な部分で、ああ、表情を作るのを忘れていた、と思う。 いまさら取り繕う白々しさも解っていたから、冷たい表情そのままに、一歩を踏み出す。 青年の腕の中で、エドワードが体を震わせた。 なにに怯えているのと、そう問いかけるのは、意地が悪すぎるだろうか。 軽く溜息を吐こうとしたところで、エドワードを抱きしめる手に力が込められたのを見た。 まるでアルフォンスからエドワードを守るような動きに、むっとする。 「離してください」 そう言うつもりで開こうとした口を、アルフォンスは閉じた。 エドワードが、自分を抱きしめる腕の拘束を軽く押しやったからだ。 「エドワードさん?」 不思議そうにかけられた声に、エドワードが緩く首を振った。 エドワードの行動に納得はしていないようだったけれど、ハイデリヒはエドワードから距離を取るように、一歩離れた。 それを見ても、まだ、アルフォンスの心は落ち着かなかった。 焦りが燻っている。 奪われてしまう。 遠く離れてしまう。 アルフォンスの腕の中からすり抜けて、別のアルフォンスの元へとエドワードが行ってしまう。 傍にいると言ってくれた。 けれど、それは家族としてだと言われた。 欲しいのは家族としいての絆じゃない。想いじゃないのに。 「アル」 吐息のような微かさで呼ばれた名前に、不意打ちで泣きそうになった。 深く静かな声音。 いつか聴いたことのある声音だと思った。 でも、いつ聴いた声だったろう? どんな場面で聴いた声だったろうか? 深くて、心に沁み入るような声。 優しくて、優しくて。泣き出したくなるほどただ優しいだけの表情に向かって、手を伸ばした……気がする。 だけど。 届かなくて。 触れられなくて。 『……戻ってこい、アル』 頭を掠めたその言葉を、どこで聞いたのだろう? 夢の中、だったろうか。 会いたくて、会えなくて。探しても、探しても、会えなくて。どれだけ探しても会えなくて。 だんだん絶望が広がり始めた旅の途中の、夢の中で? それとも、体と引き換えに喪失した、記憶の断片、だろうか? ああ、どうしよう。 アルフォンスは恐怖に似た思いにとらわれた。 もし、これが夢だったら。 触れた体温の温かさも、抱きしめた感触も、なにもかもが夢だったら―――!? 気が狂ってしまうかもしれない。 恐る恐る足を動かし、エドワードに近づいた。 震えそうな腕を伸ばして、指先を伸ばして、確かめるように触れた頬の温かさ。 かすかに寄せられた眉根には気づかない振りをした。 そっと外された視線にも、気づかない振りをした。 戸惑いを含んだ唇が「アル」と呼んでも、応えられる余裕が残っていなかった。 硬く引き結ばれた唇に気づいても、優越を感じられる余裕は残っていなかった。 ただ、一秒でも早く確かめたかった。 触れたかった。 夢じゃない、本物の温もり。 たったひとりの、焦がれる人。 そこには独占欲も、なにもなかった。 純粋に欲していた。求めていた。触れたいだけだった。 愛しいひとに。 指先に触れた体温に、ほっとした。 夢じゃないんだと、泣きたくなった。 よかった。夢じゃない。本物のエドワードだ。 「兄さん」 呼びかけた声が震えて、自分でもみっともないなと思いながら、続く言葉を絞りだした。 「兄さん、離れていかないでよ」 「アル?」 「ボクの傍から離れて行かないで。やっと会えたのに。触れられる距離にいるのに、ボクの手の届かないところへ行かないでよっ!!」 「アル……。馬鹿だな、どこにも行ったりしねぇよ」 宥めるように頭に置かれた手を、アルフォンスは握り締めた。 エドワードの言葉をもらっても、不安は消えない。増すばかりだ。 家族としての言葉には、アルフォンスの不安を消し去る効果はない。 欲しいのは、たった一人に向ける特別。 視界の端で押し隠された感情。 押し殺してしまえる程度の想いなら、捨てて欲しいと思う。 望まないで欲しいと思う。 どちらの思いがより強く、重いのか。 そんな無駄なことを競うつもりはない。 そんな――はっきりと言ってしまえばレベルの低いことを競っても、意味などないから。 誰を傷つけても。 どんなに醜く映っても。 詰られて、謗られて、ひどい人間だと思われてもかまわない。それほど手に入れたい人。 たったひとりの、欲しい人。 誰かのものなら、奪ってでも。そう思うほど望んでいる。 本来なら、自分でも眉を顰めてしまいそうなことでも。道徳心も、禁忌も、関係なく。 『エドワード・エルリック』という個人を、その心を。すべてを求めている。 髪一筋すら、誰にも渡せない。分かち合うこともできない。 幸せな顔を見るのなら、それは自分の隣限定で。 第三者の目で。誰かの隣で笑っている、そんな幸せなら見たくない。 あなたが幸せならそれでいい、なんて、そんなお人よしにはなれない。 そんな狭心に、自分勝手さに自嘲が零れてしまうけれど、そこまで想える人がいることに、同時にもてる誇り。 腕の中に閉じ込めてしまうつもりで、抱きしめた。 強い力に抗うように身じろいだ体を、押さえつけるように抱きしめた。 「アルっ、……つ」 痛い、と、聞こえた気がしたけれど、腕の力を緩めるなんてことはできなかった。 少しでも緩めれば、エドワードがこの腕からすり抜けてしまうと判っていた。 見ないように。見えないように背けられた顔。 奪うほどの気概を見せられないなら、そのまま忘れてしまってください。 淡い気持ちなら、早く殺して。 「兄さん」 身を捩って、なんとかアルフォンスの拘束から抜け出そうとしているエドワードの耳に、アルフォンスは唇を近づけた。 触れそうで、触れない、そんなギリギリのところまで唇を近づけて、言った。 「ボクは兄さんを愛してるよ」 抵抗を止めたエドワードのこめかみに、触れるだけの口づけをひとつ落として、アルフォンスはそっと拘束を解く。 泣き出しそうに顔を歪めたエドワードの視線を、絡め取るように視線を合わせた。 |