23

入り込めない空気を、感じた。
 楽しそうに笑い合っているふたりの姿に、エドワードの全身は強張った。
 動かそうとしても、どういうわけか足が動かない。
 近づけない。
 胸の内にあるのは寂寥感か、疎外感か。
 なんとも言えない気持ちを抱えて、逃げ出したい気持ちを押さえ込んで、エドワードはなかなか動こうとしない足を踏み出した。
「アル! ウィンリィ!」
 呼びかける声は硬くなかっただろうか? 震えていないか? ぎこちなくないだろうか?
 さまざまなことが脳裏をよぎる。
 呼びかけに気づいた二人が、同時にエドワードを振りかえった。
 楽しげな表情。幸せな笑顔。
 つきんと、痛む、なにか。
 どこかが、とても痛い?
 どこが痛いんだろう? どうして痛いんだろう? そう思うのと、声をかけられたのは同時で、エドワードの疑問はふたりの声にかき消されてしまった。
「兄さん!」
「エド。もう、遅いわよ!」
「悪い、悪い。出かけにヒューズさんに捕まっちまった」
「もう、仕方ないな」
 怒ったポーズをして見せながらも、アルフォンスの口調は優しい。
 向けられる優しさに、エドワードはほっとする。
 まだ、失っていない。
 そんなことを考え、
「あれ?」
 自分の思考に首を傾げた。
 なにを、失っていない?
 なにを失っていなくて、いま、自分は安堵したのだろう?
「どうしたの、エド?」
 怪訝そう顔を覗きこまれて、エドワードの思考はそこで止まった。
 間近でエドワードを見つめるウィンリィの表情が不安そうで、エドワードは慌てて
「なんでもねぇよ」
 と言い、笑顔を浮かべた。
「本当に、なんでもない?」
 疑わしそうな眼差しに、頷く。
「なんでもないって。そんな心配そうな顔をするなって。――ああ、アル、お前もそんな顔をするなよ」
 ウィンリィ以上に心配そうな、不安そうな顔をしているアルフォンスに、エドワードは思わず苦笑を零した。
 くしゃりと髪をかき混ぜるように、アルフォンスの頭を撫でる。
 安心させるように笑いかけると、納得はしていないらしいものの、アルフォンスがこくりと頷いた。
 それにもう一度笑って、エドワードは手を離そうとした。が、不意に、その手をアルフォンスの手に捕られた。
 真っ直ぐにエドワードを見つめてくる瞳は、まるで心のうちを見透かすようだ。
 さっきの……アルフォンスとウィンリィが楽しそうに笑っている姿を見たときの、あの気持ちまで見透かすように……。
 そう考えた瞬間、エドワードの鼓動はどきりと跳ね上がった。
 生まれたのは、奇妙な焦燥感。
 心のどこかで、囁く声がある。
 認める声がある。
――――もう、逃げ続けることはできない。逃げられない。
 そして、唆す声。

「ツカマッテシマエ」
「ミトメテシマエ」

 エドワードの中に、動揺が広がった。
 唆す声に、引っ張られる思考。
 踏みとどまれない気がする。
 落ち着こうと、深く息を吸い込んだ。
 透明で、きれいなアルフォンスの瞳が、気遣わしげにエドワードを見つめている。
 エドワードの手を握る力が、少し、増した。
 それをきっかけに、エドワードは問いかけるような声を出した。
「アル?」
 呼びかけると、アルフォンスが眉を顰める。
 エドワードの誤魔化しを咎めるような眼差しは、けれど一瞬だった。
 きっとウィンリィが傍にいるからだと、エドワードは思う。
 昔からアルフォンスはウィンリィのことが好きで、大事にしていて、いつだって気遣いを忘れたりしなかった。
 不必要なことは知らせない、耳に入れない。気づかせない、悟らせない。
 徹底して、守っていた。
 優しい空気の中に、優しいままで。ずっと彼女がいられるように。
 傷つけず、傷つけないように。
 エドワードができなかったことを、アルフォンスはずっとしてきていた。
 だから。
 そっと、息を吐き出した。
 アルフォンスとウィンリィは、お互いを選ぶんだろうと思っていた。信じていた。
 エドワードの手を離して……。
 エドワードの手が届かない場所で、ふたりは幸せになるんだと、――それが自然だと思っていた。
 それなのに、どうして。
 苦く、思う
 どうして、アルフォンスは予定調和を乱すようなことを言い出すのだ。
 エドワードの手を、心を。エドワード自身を求めるのだろう。
 どうして。
 どうして……、どうして。
 なぜ、歪んだ想いなど抱くのだろう?
 エドワードがそんなことを思ったときだった。
「兄さん?」
 エドワードの瞳を覗きこむきれいな瞳のなかに、心配そうな翳りを見つけて、エドワードは微笑んだ。
 なんでもない。
 そう言おうとして、けれど、その言葉を封じ込めるようにアルフォンスが口を開いた。
「なんでもないって顔はしていないよ、兄さん」
 強い口調で言われて、言葉に詰まる。
 きれいな瞳に射すくめられて、視線を逸らすこともできない。
 心の中で、また声が囁いた。

「ホラ、モウ、ニゲラレナイ」

 奇妙な音程で囁く声は、けれど、どこかで聞いたことのある声だと思いながら、エドワードはアルフォンスを見返していた。
「ボクに誤魔化しが通用すると思っていなら、大きな間違いだよ」
 しかめっ面でアルフォンスが言った。
「兄さん」
 労わるような優しさを含んだ声に、呼ばれる。
 鎧に反響しない声。
 過去の記憶より成長した声。
 アルフォンスの、声に、呼ばれる。
「泣きそうな顔してるよ」
 そう言いながらアルフォンスも顔を歪ませて、もう一方の手でエドワードの頬を包むように撫でた。
 慰撫するような触れ方だった。
 愛しさを隠しもしない触れ方だった。
 唐突に、エドワードは泣き出したい気持ちになった。
 どうして。
 …………どうして?
 どうして、逃げられないのだろう?
 どうして、もっと、触れて欲しいと思うのだろう?
 どうして、気づいてしまったのだろう?
 泣き出したいのに泣けずに、顔を歪めたまま、エドワードはアルフォンスの視線から逃れるように視線を落とした。