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 エドワードとアルフォンス・エルリックの幼馴染みの女性が歩いている姿に気づいたのは、アルフォンスが最初だった。
 ずいぶんと肩を落としている様子に、声をかけようかどうか躊躇っていると、隣にいたグレイシアも彼女に気づいたらしかった。
 意気消沈している様子が気になったのか、躊躇うことなく、グレイシアはウィンリィ・ロックベルに声をかけた。
 振り向いたウィンリィの表情は、いまにも泣き出しそうで、辛そうだった。
 その表情を見て、アルフォンスにはなんとなく、彼女が落ち込んでいる理由が判った気がした。
 エドワードとアルフォンス・エルリック。
 あの兄弟に関係することだ。
 そして、アルフォンス自身にも関係していること。
 彼女の、アルフォンス・エルリックに対する気持ちには気づいていた。
 あからさまではない、けれど隠しきれない恋情。 
 家族に向ける想いをはるかに超えた、心。
 気づいていなかったのは、あの兄弟くらいだろう。
 近すぎる存在というのは、ときに、厄介だ。
 特別な感情さえ、家族というヴェールに覆い隠されて、見えなくなってしまうのだから。
 ウィンリィ・ロックベルが痛みを堪えた、泣きだす寸前の、辛そうな表情でいる理由など、だから、たったひとつしか思い浮かばない。
 彼女の想いは、言葉にされることなく封印された。
 ずっと。そう、おそらくはずっと、秘められたまま、言葉にされることはないのだろう。
 ウィンリィの想う『アルフォンス・エルリック』と、アルフォンスが見知っている『アルフォンス・エルリック』が別人であることを、誰からも説明されていない彼は、知る由もないことだった。
 グレイシアにも、ウィンリィにも気づかれないよう、アルフォンスはそっと溜息を零す。
 ウィンリィが失恋してしまったということは、アルフォンスもそうなのだと、思考がそこに辿り着いた。
 ああ、そうか。
 アルフォンスは、痛む心を受け入れなければならないのだと思う。
 やっと彼は――エドワードは気づいた。
 気づいてしまった。
 安堵と息苦しさが綯い交ぜになった気持ちが、アルフォンスのなかで渦を巻いている。
 エドワードは、弟に対する執着の、その根底にある気持ちに気づいたのだろう。
 なにをおいても。
 自分を犠牲にしても取り戻したかった、弟。
 その弟への家族という枠を超えた想いを、彼は、やっと、自覚した。――自覚してしまった。
(足掻くのもここまで、かな……)
 エドワードが自分の本当の気持ちに気づく前に、想いをもらいたかったけれど。
 身代わりじゃなく『アルフォンス・ハイデリヒ』を見てもらいたかったけれど。
 エドワードがアルフォンス・エルリックへの想いに気づいてしまったのなら。自覚してしまったのなら、同じ想いを返してもらえる確率はかなり低くなる。
――否、確率もなにも、もともと勝ち目などなかったも同然だ。
 だって、彼らは……特にエドワードは、あんなにも弟を求めていた。
 お互いが求め合っていた。
 無自覚なまま、一心に。
 たった一人の人しかいらないのだというように。
 あれで『家族』に対しての思いだと言い切るというのなら、ならば、エドワードのたったひとつの特別――恋情とは、いったいどれほどの執着をしめすのだろうか。
 それを向けられてみたかった。
 束縛を、されてみたかった。してみたかった。
 もう、そんな甘い夢をみることは許されないけれど。
 ……想いの成就を願わなかったわけではないけれど、心のどこかで諦めていたのも本当だった。
 でも、それでも、やっぱり……少し、足掻いてみたかったのだ。
 夢を、見てみたかったのだ。
(あなたと……、エドワードさんと一緒に宇宙に行ってみたかったな……)
 エドワードと一緒にロケットについて話し合っていた日々が、ずいぶん昔のことに思えた。
 懐かしくて、なんて遠い日々に思えるのか。
 いつか、笑って。
 胸を痛ませるばかりのこの想いごと、ぜんぶ、いつか、過去のことだと笑って話せる日が、来るだろうか。
 アルフォンスの好きな笑顔を浮かべるエドワードと、彼の一番愛しい弟を前にして、いつか。
(そんな日が、一日でもはやく来ればいいな……)
 痛む胸のうちが、笑い話になるように。
 そんなこともあったよなと、笑い話になって、そして、アルフォンスが見たこともない笑顔で、笑ってくれればいい。
 だれよりも、なによりも、どんなときでも、『一番』の幸せを知っている笑顔で。
 アルフォンスは、ときおり、そっと溜息を零しているウィンリィと肩を並べた。
 前を歩くグレイシアには聞こえない程度の声音で、重苦しく、悲壮な声音にならないよう充分気をつけながら、話しかけた。
「お互い、しばらくの間辛い時間が続きますね」
 それでも、滲み出る悲しさは消しきれなかったけれど。
 アルフォンスの方へと顔を向けたウィンリィは、辛さの滲む瞳を柔らかく細めて、「でも」と呟くように言った。
 きっと、似たような感情を抱いているからだろうか。アルフォンスには彼女が言うであろう言葉が、なんとなく解った。
 だから、ウィンリィが何かを言うよりも早く頷いた。
「ええ、そうですね。僕たちはお互い想いと心をもらえなかったけれど、でも、幸せであって欲しいと思う気持ちにも嘘はないですよね」
 アルフォンスの隣で、こくりと、ウィンリィが頷いた。
 そして、小さく、祈るように彼女は呟いた。
「うん……幸せになって欲しい……」
 いまの彼らに。
 これから先の彼らのために。なんて、そんなことを考えることは傲慢なことなのかもしれないけれど、思いつくことなんて、それしかないから。
 ありふれた、たったひとつのことしか思いつかない。
 幸せになって欲しい。いつでも、どんなときでも笑っていて欲しい。
 いつもそう思っている。
 願っている。
 不器用で優しいあの兄弟が、誰よりも幸せでありますように。
 本来なら出会うことのなかった、けれど、奇跡のように巡りあうことができた、キミたちが幸せでありますように。
――――いつでも、いつも、それだけを、願っている。

 この命が終わる、その、瞬間まで。