27

「アル、手を……」
「放さないよ」
「アル!」
「嫌だよ」
 咎める声を拒絶するアルフォンスの、頑なともいえる態度に、エドワードはどうすればいいのかと唇を噛んだ。
 とっさに。無意識に、アルフォンスの注意を自分に向けるかのように掴んだ袖口。
 雄弁に語る無意識の行動。それが示すエドワードの本音を、聡いアルフォンスが気づかないわけがない。
 そして、エドワード自身、その意味を、理由を、否定するわけにはいかない。
 もう認めてしまうしかない。
 気づいてしまったのなら、知らないふりはできない。
 否定し、隠しとおせるだけの器用さを、エドワードは持ち合わせていないのだ。
 それよりもなによりも、アルフォンスに隠しごとができた例がない。
「兄さん」
 期待を込めた声音でアルフォンスに呼ばれて、エドワードは逸らしたままだった視線をアルフォンスへと向けた。
 嬉しそうな表情を隠すことなく、アルフォンスがエドワードを見ていた。
「兄さん」
 呼びかけられたものの、エドワードはどう答えていいか判らず、ぎこちなく微笑んだ。
「ねぇ、兄さん、いまボクが兄さんのことが好きだって言ったなら、兄さんはちゃんと応えてくれるのかな? 同じ想いを返してくれるのかな?」
 アルフォンスに掴まれた手が、そうっと持ち上げられて、どうする気だろうと見つめたエドワードの目の前で、アルフォンスが指先に口づけを落とした。
 口づけられた指先が、痺れたような感覚を訴える。
 熱が。
 熱いくらいの熱がそこからエドワードの体全部に、広がった。
 未知の感覚に怯えるように、エドワードはぎゅっと目を瞑った。
 くす、と、小さくアルフォンスが笑う気配。
 そして、もう一度、指先に落とされる熱。
 かあっと、全身が火照った。
 誤魔化しようもなく、体が震えた。
「アル!」
 咎めるように発した声も、みっともないくらいに震えていて、効果などないに等しい。
「兄さん、答えて」
 余裕綽々。
 弟のそんな態度に腹が立った。
 勝ち誇り、優位に立っているかのような口調が、悔しかった。
 だから、意地でも応じてなどやるものか。
 さきほどまでの気持ちを翻し、絶対に答えるものかと思いながら、エドワードが黙ったままでいると、その意図に感づいたのだろうか。アルフォンスが呆れたように失笑して、「天邪鬼だなぁ」と呟いた。
「無言は肯定だと受け取るよ?」
「……馬鹿アル。そんな横暴、オレは認めないからなっ!」
「じゃあ、ちゃんと答えてよ」
「嫌だ」
「駄々を捏ねないで」
「駄々じゃない!」
 諭すように言われて、意地になった。
 むっとアルフォンスを睨みつけるように見、いまだエドワードの腕を掴んでいる手を、強引に振り解いた。
 振り払う仕草が乱暴だったせいか、さすがにアルフォンスが気分を害したように眉根を寄せる。
 剣呑なアルフォンスの雰囲気に、少し強引過ぎただろうかと後悔が過ぎったけれど、強引なのはアルフォンスも同じだと、エドワードはあくまでも強気に弟の瞳を睨むように直視した。
「兄さんの頑固者」
 不機嫌な声音で、けれどどこか拗ねた口調でアルフォンスがそう言って、傷ついたようにエドワードから視線を逸らした。
 そのまま顔を横向けて、不貞腐れたようにもう一度、「頑固者」と呟いたアルフォンスの幼さの残る横顔を、エドワードは複雑な気持ちで見つめた。
 アルフォンスに言われるまでもなく、エドワードの態度は大人気がない。
 そんなこと、エドワードにだってわかっているのだ。
 けれど。
 不貞腐れているアルフォンスの、まだ少し丸みの残る頬の線を見つめながら、だけど、とエドワードは思う。
 たとえ大人気がなくても、兄としての威厳を守りたいのだ。
 本来はたった一歳違いの兄弟だけれど、いまのエドワードとアルフォンスの年齢差は、五歳だ。
 五つも年下になった弟に、余裕綽々の態度を取られて、素直に頷けるわけがない。
 悪い癖だと解っていても、片意地を張ってしまう。
 なんとなく悔しいから天邪鬼な態度を取ってしまうのも、仕方がないことだ。そう思う反面、こんなときにまで負けん気が強い自分に、エドワード自身、正直呆れてしまうのだけれど……。
「アル」
 そっと呼びかけると、アルフォンスがちらりとエドワードを見た。けれども、視線はすぐに逸らされてしまう。
 完全に臍を曲げてしまったらしい。
「アル」
 もう一度呼びかけると、
「…………いから」
 小さく、早口にアルフォンスが何かを言った。
「え? アル、いま、なにを言った?」
 聞こえなかったぞ、とエドワードが訝しそうに問いかけると、アルフォンスが眉根を寄せたまま、拗ねた表情でエドワードに向き直った。
 仕方なさそうに振り返ったアルフォンスの、幼い仕草が、とても愛しかった。
「ボクも認めないから。そう言ったんだよ」
 拗ねた表情を一変させて、まるで挑むような顔つきになったアルフォンスが、ゆっくりと、言った。
 まるでエドワードに宣戦布告をしているようだ。
 アルフォンスの表情の変化を瞳に映しながら、エドワードはそう思った。
「なにも言わないで済まそうなんて。黙ったままで、なにもなかったことにしてしまおうなんて、そんなずるいこと、ボクは認めないし許さないよ」
「…………」
「どんな手段をとっても、ボクは絶対に、兄さんの気持ちを訊くから」
 アルフォンスの強い眼差しに、その口調に気圧されて、エドワードは反論も文句も封じ込められてしまった。
 エドワードに向かって伸ばされる手。
 攫うように触れた指先。
 全身に感じる、体温。
 奪うような強引さで抱きしめられたのだと気づいたときには、逃げる術を失っていた。
「兄さんが好きだよ」
 強い、強い声で、何度も告げられた言葉がくり返された。
 耳の中に入ってきた言葉。
 胸に染み入るように、届けられる想い。
 強く。
 息苦しいほど強く抱きしめてくるアルフォンスの腕の中で、エドワードはゆっくりと息を吐き出した。
 体の両側にだらりと下がったままの腕を持ち上げる。
 全身に駆け巡っている歓喜を。その意味を、これ以上否定し、撥ねつける理由も術も、エドワードの中には欠片も残っていなかった。
 昔からそうだったことを、エドワードは思い出す。
 口論も、喧嘩も、組み手も。どんなに意地を張っても、アルフォンスには敵わなかったことを。負けるのはいつでも自分だったことを思い出した。
 無意識に、心の奥底で。
 意識して、いつでも。
 望み、願い、求めていたのは誰だったのか。
 何だったのか。
 触れたい。
 会いたい。
 笑ってほしい。
 その思いの先に常にいたのは、誰だったのか。
 自分のすべてを賭けても求めたのは、誰だったのか。
 その想いを生み出した、気持ちの、根底。
 家族という絆を、とっくに凌駕していた、想いの名を。
「アル……アルフォンス」
 囁くように名を呼ぶと、なぜか胸が締めつけられる感覚に襲われた。
 持ち上げた腕を、手を、まだ成長途中の広くない背中に回して、抱きしめ返した。
 重なった鼓動の速さは、もう、どちらのものか判らない。
「……アルフォンス、お前だけが、大事。好きだよ。愛してる。ずっと、一生、一緒にいよう。今までみたいにふたりで……ふたりだけで生きて行こう。オレの隣にいるのは……いていいのは、アル、お前だけだ。他の誰かなんて要らない。どんなに似ていても、アルじゃなきゃ意味がない。他の誰かじゃダメなんだ」