髪に隠れた横顔。
 他者を寄せ付けない、硬質な空気。
「鋼の」
 呼びかけると、ゆっくりとエドワードが振り返った。
 無表情だった面に広がる、感情。
 皮肉気に口端を吊り上げて、「よう、大佐」気軽な挨拶を返した。
 それに苦笑を返しながら、ロイはゆっくりとエドワードに近づいた。
 少しだけ、ほっとした。
 今日は視線を逸らされない。
 一瞬、この前のことは気のせいだったのかとロイは思った。
 気のせいだったのだと、期待したいだけなのかもしれない。
 真正面に立って見下ろすと、エドワードの表情が悔しそうに歪む。
 睨み上げるようにロイを見つめ返す瞳に視線を合わせ、ロイは口を開いた。
「悪かったな、わざわざ呼び出して」
 内心の緊張を押し隠し、平素と変わらぬ態度でいるのは、思った以上に気力が必要だった。
 ロイの言葉に、エドワードがまばたきをひとつ。
 にやりと悪戯っ子のような顔で笑って、エドワードが言った。
「貸し、ひとつ」
「……キミね」
「なんだよ?」
「キミを呼び出すのにも、等価交換が必要なのかい?」
「情報のひとつやふたつ、ケチケチすんなよ」
「………」
 けちけちするなと言うのは、つまり肯定か? 肯定なのか?
 肯定なのだろうな、と考えて、こめかめを指で押さえた。
 頭痛がする。
 そのひとつやふたつ、がなかなか入手困難な情報であることは、エドワードも承知しているはずである。
 なんと言っても伝説級の賢者の石の情報。
 痛むこめかみを指で押さえたまま黙り込むと、ひょいっとエドワードが肩を竦めた。
「別に、いますぐ情報を渡せなんて言わねぇよ。次に来たときでいい」
 今回は、結構、面白そうな情報を貰ったしな。そう言って屈託なく笑う少年の言葉に、ロイははっと表情を改めた。
 次に来たとき? それは、もうイーストシティから離れるということだ。出立が早すぎはしないか?
 エドワードたちがイーストシティに立ち寄ったのは、二日前のことだ。それも約半年振り。
 ロイはエドワードの真意を探るように、凝視した。
 ロイの強い視線。もの問いたげな眼差しに狼狽したのか、それを隠すようにエドワードが視線を外す。そして居心地が悪そうに視線をさ迷わせ、軽く息をついた。
 明らかな困惑と戸惑いの空気に、ロイは眉を顰める。
 まるでなにか――そう、都合が悪いことがあるとき。後ろめたさを隠しているときのような、そんな空気だ。
「鋼の」
 怪訝な声音のままに呼びかければ、ビクリ、大袈裟なほどエドワードの肩が跳ね上がった。
 逃げるように落とされる視線。
「鋼の、どうした?」
 警戒させないようにと気をつけながら声をかけると、窺うように視線が上げられる。
 だが、エドワードの瞳はロイをまっすぐ見返さない。
 僅かに逸らされたまま。
 いつもだったら気にならない程度のそれは、しかし、ロイの心を掻き回した。
 ほんの二日前の、執務室でのエドワードの様子が思い出されたからだ。
 ロイと目を合わさなかったエドワード。
 その時の再現のように目を合わせないエドワードの態度が、ロイを酷く苛立たせた。
「鋼の、どうして私の目を見返さない?」
 苛立ちを押し隠しつつ直球で訊ねると、エドワードがはっとした表情でロイを見返した。
 しかし、それも一瞬のことだった。
 視線が交わった、その一瞬。ロイは金色の瞳が微かに揺れたのを、見逃したりはしなかった。
 諦めを含んだ瞳が、そっと伏せられる。
 それをどこか絶望的な気分で見つめ、ロイは、その気分を振り払うようにエドワードへと手を伸ばした。
 理由を、知りたかった。
 頭の隅で、理由を質すことは、エドワードを傷つけることになるかもしれないと考えた。だが、たとえ傷つけることになっても、理由を知らなければならない、と。いま理由を知らなければ、取り返しがつかないことになる、そう思った。
 それは、単なる強迫観念だったのかもしれないし、予感だったのかもしれない。
 まだ頼りない印象の残る左肩。固い感触の右肩。その両方の肩を包むように掴んだ。
 掌にエドワードの強張りが伝わり、ロイの胸が痛んだ。
「鋼の」
 そっと呼びかけると、エドワードが唇を引き結ぶ。
 頑なな態度。答えることを拒絶される。同時に僅かに体を引いて、エドワードが身を捩った。
 ロイの手から逃れるつもりだと悟って、肩を掴む手に力を込めた。
 幼さの残る顔が、痛みのためか、歪む。
「痛い。離せよ、大佐」
 逃れられなかった苛立ちか、エドワードの声は冷たく、硬質な響きをしていた。
 一瞬、ロイはそのあまりの冷たさに怯みかける。だが、ここで怯んで逃すわけにはいかないと、肩を掴む力はそのままに、何度目になるのか判らない呼びかけを口にした。
「鋼の」
「………」
「鋼の、私のなにが気にいらない?」
「……べつに、気にいらないとか、そんなんじゃない。――なんでもない」
 伏せられた瞼。
 微かに、睫が震えているのはどうしてだろう?
 琴線に触れる仕草。……見たことがある。いつだったろうか。確かに知っている仕草だ。
 既視感を覚えつつ、ロイは言葉を重ねた。
「なんでもないなら、私を見なさい」
「いやだ」
 取りつく島もなく即答されて、ロイは思わず舌打ちした。
「鋼の!」
「嫌だ」
 固く引き結ばれた唇。
 拒絶が答えだと、突きつけられているようだ。
「……そこまで頑なに拒まれる理由を、私は知りたいんだ」
「オレは言いたくない」
「なぜだ?」
「言いたくないって、言ってるだろ!」
 声を荒げて、エドワードがきつくロイを睨みつけた。
 またも一瞬だけ交わる視線。
 すぐに逸らされた視線の中に見て取った、揺らぎ。諦めの感情。
 なにを、諦めた?
 ロイは、焦燥に駆られる。
 鋼の、キミは、私に関するなにを諦めた?
(私はキミになにを諦めさせてしまった?)
 焦燥だけが、大きくロイの胸のうちに広がる。
 早く。早く。
 いますぐに確かめないと間に合わない。失ってしまう。
『なに』が間に合わないのか。『なに』を失ってしまうのか、解らないままに、ロイは、ただ焦っていた。
 どうしたら、この頑なな心を溶かせるだろう? 開かせることができるだろう?
 焦りを感じつつ、ロイは思う。
 彼の弟なら……。
 あの鎧の弟なら。エドワードの信頼を、愛情を一身に受けている彼ならば、もっと簡単に……。
 そう考えて、ロイは苦く表情を歪めた。
 広がる、黒い、染み。
 透明な水面に落ちた、汚水のように。
 侵食される、心。
 無意識に力を込めてしまったようだった。
「痛い」
 と、再度訴えられて、ロイははっと我を取り戻す。
 エドワードの肩を掴む力を、少し緩めて「すまない」と謝罪を唇に乗せた。
「大佐、手を離してくれよ」
「キミが理由を言ってくれたら、すぐにでも放すよ」
「……どうして……」
「なんだ?」
「なんで知りたがるんだ? オレが大佐を見ない理由に、大佐が拘るその理由こそが、オレには解らない。拘るようなことじゃない。他愛ないことだろ?」
「他愛ないことなんかじゃない」
 このまま有耶無耶にしてしまっていいものではない。
「原因が解らないまま、失ってしまうのが嫌なだけだ」
「失う? なにを?」
「キミを」
 怪訝な声の問いかけに、答えた言葉は無意識に零れ落ちたものだった。
 意識しないまま零れた言葉に、ロイは驚き、同時に納得する。
 すとん、と、自然に受け入れられた。
 間に合わないと。失ってしまうと恐れたのは。焦ったのは。
 ロイの傍からエドワードがいなくなってしまうこと。エドワードの心が離れてしまうこと。
 ロイの中に生まれていたのは、エドワードに対する恋情を含んだ独占欲。
 嫉妬という感情を抱いたときに、どうしてエドワードへの恋情を自覚できなかったのかと、自嘲してしまう。
「なにを言ってるんだ、あんた……」
 呆然とした声音で言ったエドワードを、ロイは抱き寄せた。
 何度も抱きしめたことのある体だけれど、優しく抱擁したのは今日が初めてだと心の片隅で思う。
 いつも、いつも。エドワードを抱きしめるときは、性欲に塗れた抱擁ばかりだった。
 愛情はなかった。
 そう考えて、ロイは、その思考に否と思った。
 愛情はなかった?
 そんなはずはない。愛情の欠片もなく同性を抱けるはずがない。
 優しく抱きしめたのは、今日がはじめて?
 それも、違う。
 ロイは回顧する。
 震える、睫。
 少し俯きがちの、頼りなく、細い首筋。
 耳に。記憶に甦る、光景。言葉。
 思い出した、はじまりのとき。
 呆然と、ロイはエドワードを見下ろした。
 金色の髪の頭部が目に映るばかりだったが、それもロイの記憶を鮮明にする。
 大きな事件が解決して、その処理も無事に終わって、浮かれ気分で杯を重ねて、したたかに酔っていた夜だった。
 久しぶりに顔を見せたエドワードを巻き込んで、酒を飲んだ。呆れ半分、心配半分の表情で「帰る」と言った彼を見送るために出た宿舎のドアの前、ロイが見たこともない顔で、エドワードが不意に言ったのだ。

「大佐が、好きだ」

 真剣な眼差しで、声で言われて。驚くロイの目の前に、エドワードの深く綺麗な金髪があって。髪と同じ綺麗な色の瞳に、自分の姿が映されていて。
 気がつけば、エドワードを抱きしめていた。
 告げられた好意。
 受け入れていた想い。
 そうだ、自分はエドワードの気持ちを受け入れていたのではなかったか?
 だが、真剣にエドワードの気持ち……自分の気持ちとも向き合ったことはなかった気がする。――いや、気がするのではなく、向き合っていなかった。本気ではないと、心のどこかで思っていた。言い聞かせていた。
 背負うリスクは少ないほうがいい。弱点になるもの、弱みになるものは、極力少ないほうがいいから。
 目指すものがある。
 手にしたいものがあるなら、お互いに、足元を掬われるような材料は、ないほうがいいから。
 だから。
 そう、だから、いつだって、エドワードを抱きしめるときは、酔うことにしていた。
 酒を飲み、エドワードにも少量の酒を混ぜた物をこっそりと飲ませて、お互いにほろ酔い加減で抱きしめ合って。
 その行為に本気はないのだと。お互い酔っているから、と、そんなずるい言い訳と逃げ道を用意して。
 エドワードの告白を受け、思わず抱きしめた瞬間に、自身の心の中に広がった感情を、ロイは思い出す。
 嫌悪は微塵も感じていなかった。そんなものはなく、ただ、言葉にできないほどの温かさがあった。
 嬉しいと感じていた。幸せだと感じていた、あの一瞬。確かにあったはずの時間。
 どうして、本気じゃないなどと思おうとしたのだろう。
 弱みだとか、リスクだとか、そんな些細なことは投げ捨ててしまわなければいけなかったのに。
 純粋な気持ちを踏み躙るような真似を、どうして選べたのだろう。
 自分の本心すら気づけず。偽って。傷つけて。
 エドワードがロイの目を見なくなっても、それは当たり前のことだった。
 自らが遠ざけるような真似をしていたのだ。
 まったく、なんて愚かなのか、自分は。そして人間の脳とは、なんと単純で、都合よくできているのだろうか。
 きっかけが思い出せなかったわけではなく、思い出さないよう、自分で自分に暗示をかけていたようなものだ。
「鋼の」
 呼びかけ、顔を覗き込むように身を屈めると、エドワードの眉根が辛そうに寄せられていた。
「大佐、あんた、自分がなにを言っているか、解ってるか?」
 搾り出すように紡がれる言葉は、ロイの真意を問うている。
 解っている。
 今度こそ本当に。本気でお互いの気持ちに向き合うのだ。リスクも弱みもなにもなく。ただ、互いを想う気持ちを大事にするために。
 だから、ロイは頷いた。
「もちろん、解っているよ」
「本当かよ?」
 疑うように呟かれた言葉にロイが頷く前に、エドワードが続けた。
「解った、って言いながら、また、同じことを繰り返すだけじゃないのか?」
 ロイを嘲ることに失敗したエドワードの声はひどく掠れていて、彼が泣くのを堪えているんだとロイに教える。
 エドワードを腕の中に囲うように抱き寄せて、ロイは目を閉じた。
 深く傷つけた。裏切った。
 純粋に向けられていた好意を、こんなにも絶望させていた。
「だって、……大佐には、本気だろうが、遊びだろうが抱きしめることができる人が、他にもいるもんな? オレでなくちゃいけない理由がないだろ?」
 エドワードが何を見たのか、放たれた言葉で知る。
 エドワードを抱いた手で、他の人間を、ロイに言い寄って来る女性たちを何度か抱いた。
 自業自得で招いた現実が、エドワードの言葉が、ロイの胸を抉り、ロイを切りつける。けれどそれも仕方がない。
 自ら蒔いた種だ。自分で刈り取らなければならない。
 反論はせず、ロイは真摯に呟いた。
「すまない」
「謝られても、困る」
 本当に困りきった声で呟かれて、「そうだな」とロイは小さく嘆息した。
 腕の中の体が、居心地が悪そうに身じろぐ。
 拒絶だろうかと、考えて、ふと怖くなった。
 もしかして、もう、ダメなのだろうか。間に合わなかったのだろうか。失ってしまっていた……のだろうか。
 身勝手にも、それは嫌だ、とロイは思った。
 抱きしめる腕に力を込めると、エドワードの体がびくりと怯えたように震えて、硬直した。
「大佐……?」
 窺うように呼ばれ、その声から、ロイへの感情を見つけたいと思う。
 まだ大丈夫だと。間に合うのだと、そう信じて。……信じたくて。
「鋼の、キミを、好きだよ」
 ロイがそう言うと、エドワードが息を飲むのが判った。
「な……に?」
 震えて掠れた声が、恐る恐るロイに向けられた。
「キミが好きだと、そう言ったんだ」
「……それ、なんの冗談だよ?」
「本気だ」
「あんたの本気なんて……ッ!」
「もう二度と信じられない?」
「判ってるなら、二度と言うな。聞きたくない!」
 ぐい、と、強い力がロイの体を押した。
 抱きこんだ体が、離れる。
 急速に失われた熱。
 怒りとも、悲しみともつかない表情でロイを見つめるエドワードを、ロイはじっと見返した。
 瞳の揺らぎの中から、ロイへの感情を見つけ出したい。けれど、金色の瞳の中にあるのは困惑ばかりで、それ以外の感情を見つけ出すことはできなかった。


 嘘でも良いと、本気で、思っていた。
 だけど、嘘なんかじゃ嫌だと思った。ダメ、だった。
 本当が欲しい。
 偽らない、本当の心が欲しい。
 だけど、それだけは手に入らない。
 どんなに望んでも、願っても。
 力を失って落ちた手。握りこんだ、指先。怖くて、もう二度と伸ばせない。
 あなたは知らない、狂おしいこの想いを。
 あなたは、知らない。
 いまもなお、声に、言葉に、存在に、過敏なほどの反応を返してしまう、鼓動を。
 悔しいぐらいに、まっすぐに向かう心を。


 ふう、と力を抜くように零れた吐息とともに、エドワードの体から強張りが消えた。
 掌にそれが伝わって、その意味を、ロイは量りかねる。
 ゆっくりと瞬きを繰り返したエドワードの瞳には、もう、困惑などなかった。
 綺麗に、消えた感情。
 形の良い唇が開かれる。
「大佐」
 階級だけを紡ぐ、唇。
 ロイは、そういえば、と思い出した。
 一度だって名前を呼ばれたことはなく、また、ロイ自身もエドワードの名を口にしたことがなかった。
 大佐。
 鋼の。
 軍から与えられた、それぞれの身分を表す呼称だけを、いつでも唇に乗せていた。
「エドワード」と呼んだら、果たして、目の前の少年はどんな顔をするのだろうかと考えて、けれどその名を呼べない自分がいることを、ロイは知っていた。
 あまりにも大切すぎて。
 彼の名前はロイにとっては綺麗すぎて、まだ呼べない。
 彼の真実の名を呼ぶときは、お互いの望みが果たされたそのときだと、ロイは思っている。
 エドワード自身も、名を呼ばれる、そのことを望んでいるわけではないだろう。
 だから、まだ、呼ばない。
 まだ、呼ぶときはきていない。
 そのときは、もしかしたら、もう失われてしまうのかもしれないけれど。
「鋼の」
 唇に馴染んだ銘を呼べば、エドワードが硝子のような瞳をロイに向けた。
「鋼の、キミが好きだと、何回言えば……」
 もう一度、信じてくれる? そう続くはずだった言葉は、エドワードの抑制を欠いた声に遮られた。
「大佐。全部、忘れよう。お互い夢を見た――そう思うことにしよう」
 透明な表情で告げられた言葉に、ロイは呼吸を忘れた。
 思考が停止しかけている脳で、必死に、何度もエドワードの言葉を反芻し、咀嚼して、――愕然と見つめ返した。
 なにも、なかったことにしよう。そう言われているのだ。
 エドワードからの告白も、ロイが受け入れて抱きしめたことも、キスをして、体を重ねて抱きしめあったこと。今日までの全部。いまロイが告げたエドワードへの『想い』も、なかったことにしようと、そう言っているのだ。
 瞬きも忘れてエドワードを見つめると、感情の篭らない、薄っぺらな笑顔が目に映った。
 初めてエドワードに会ったときの、……彼らが人体錬成に失敗し、絶望に絡め取られていたときの表情を、なぜか思い出す。
 なにひとつ、似た状況はないというのに。
 似ているのは、たったひとつ。エドワードの瞳から失われた光。灯ったはずの、炎。
 ああ、でも。
 絶望的な気分で、ロイはエドワードの瞳を凝視する。
 失われたのはロイ個人に向けられていた炎だけで、自分たちの目的に向かうための炎は、捨て去っていない。
 彼は、それだけは捨てない。
 大切で、大事で。
 自分自身よりも愛してやまない、弟のために。
 安堵を覚える反面、ロイはそれを悔しく思う。
 そんなにも激しい感情が、ロイに向けられることはない。
 それを証明するように、エドワードが言った。
「オレは忘れるから。ちゃんと、忘れてみせる」
 決意を込めて繰りかえし告げられる言葉に、ロイは立ち尽くすしかなく、ただ黙って、エドワードの言葉を聞いた。
「大佐がオレを好きだって何回言っても……言ってくれても、オレは信じない。もう、二度と信じたりするもんか」
「何故?」
 思わず問い返したロイに、エドワードは笑みを向けた。
 怖いほど、透明な笑顔だった。
 感情が見えない。なにも見えない。
 いつだってエドワードの真意など、ロイには判らなかった。けれど、判らなかったからといって、それに混乱し、恐怖を齎されたことなど、一度だってなかった。
 エドワードがくれていたものは、いつでも、心が温かくなる、そういったものだった。
 心配したり、怒ったり。
 本当に温かくなる感情ばかりではなかったけれど、それでも根底にあったのは『思う』気持ち。
 そういったささやかで、大切なもの。どうして目を背けていられたのだろう。
 どうしてもっと早くに気づけなかった?
 失うことになってはじめて気づくなんて。そんなことが本当にあるのだと、ロイは自嘲を浮べた。
「大佐の言葉を信じて、期待して。でもまた裏切られて、苦しくなって、辛くなってしまうなら。そんな思いしかできないなら、二度と信じないほうがマシだと思うからだよ」
 抑揚を欠き、淡々とした言葉が、なにもかもを断ち切るのだと告げる。
 まだエドワードの肩に触れている指先には、確かにエドワードの温もりが伝わってきているはずなのに。それなのに、ロイは全身が凍ったように冷えてゆく感覚を体験していた。
「鋼の……」
 気力を総動員して絞り出した声は、みっともないくらい掠れて、震えていた。
 ロイの動揺に気づいたのか、エドワードが、少しだけ、戸惑ったように眉根を寄せた。
 心が揺れていればいいのに、と。そしてロイを拒絶する言葉を、態度を、撤回してしまってくれればいい。そんなことを思い、期待する女々しさに、少し嘲笑ってしまう。
「鋼の」
 もう一度呼びかける。
 今度は、さきほどよりもましな声が出た。
 ロイの呼びかけに、エドワードが歪んだ笑みを浮かべた。
 泣くことを堪えて、無理に笑っているような顔。
「なぁ、大佐」
 歪んだ表情のまま、エドワードが口を開いた。
 エドワード自身、もうどんな表情を浮かべればいいのか判らなくなっている。そんな印象が濃い表情だと、ロイは思う。
 掌と指先に、微かに感じていた震えは、もう、伝わってこない。
 エドワードの中にある、固い決意。
 きっと、覆ることがないもの。
 ここで、なにもかもが終わってしまう。終わって……しまうのだろうか。
 エドワードを見つめたまま、ロイはそんなことを思った。